血涙病攻略作戦

翌日、俺たちは医局を目指していた。レティシアを先頭に、俺と、ヴォイトヴィッチ軍事局長閣下と、書庫係の二人。閣下の姿を目にした政治局の文官たちは背筋を伸ばして凍り付いてみたり、怯えたようにこちらを見たり、慌てて隠れるやつもいた。俺たちが通ったあとにはざわめきがさざ波のように残る。

そのざわめきの中心にレティシアがいるということを誇らしく思った。


レティシアは今朝家まで迎えに行くと目の下にクマを作って出てきた。また問題かと思い不安を抑えながら問えば、嬉しくてドキドキして眠れなかったのだと言われて拍子抜けした。今は俺の少し前を歩く彼女の顔をちらりと見やる。少し緊張しているようだが、強い目をして前を見据えていた。


レティシアが会議室をノックする。返された力ない返事を跳ね返すようにして扉を開けた。禿げた小太りのおっさんとジルが一瞬こちらに沈痛な視線をくれ、その直後、レティシアの背後にそびえる閣下に気づく。


「い゛?!」「…」


あからさまに顔をしかめたおっさんと、ポカンと口を開けてタバコを落としたジルのその顔を見たら笑えてきて慌てて顔を伏せた。


な、そうだろ?俺の可愛い婚約者殿はすごいやつなんだぜ。


さあ、ここから巻き返しが始まる。




「ヴォイトヴィッチ軍事局長閣下より、騎兵隊の協力を取り付けました。皆さん基礎的な医療処置はできるそうです。これで人手不足の解消になりませんか」

「き、昨日の、今日で、かね…」

まさに口火を切るという表現が相応しいレティシアの言葉に、医局長だというおっさんは信じられないというように、唖然としたように呟く。閣下がゆっくりと頷いた。


「書庫係の面々には、以前作った借りがある。それに、聞けば国家存亡の危機という。助力は惜しまない」

それと、と付け加えた。

「私は今日、軍事局の持つ知見と資産が役に立てばと思い、ここに来た。過剰な気遣いは無用だ」

はあ…と狐につままれたようなおっさんはさておき、話を進めなければならない。


「今動ける騎兵隊員は九十八人。どう動かせばいい」

俺はジルを見つめる。たぶん、挑むような眼になっていると思う。そういえば、ジルと会うのはこの前あいつの家で会って以来だったことを思い出した。

「急ぎやるべきことは、西方全土への警戒令と、感染源である犬の駆除、それと、処置方法を見つけることです。中でも一番急ぎたいのが処置方法の確認ですが、死亡例ばかりで肝心の患者がいない」

「第二外区には患者がいるはずです。そこに、何名かの医師の方に行っていただければ…」

「やはりそれが妥当でしょうね。感染地域を捜し歩く時間がもったいないですが」

「先遣隊を出せばいい」

俺はジルとレティシアのやり取りに口をさしはさんだ。


「騎兵ならば装備を全部外して走れば第二外区まで三時間程度で着く。運が良ければ今日中に行って感染地域を探して帰って来れるんじゃないか」

わお。とラウラ嬢が声を漏らした。にやりと笑い返すに留め、すげえだろ騎兵隊は、という自慢は心の中にしまっておいた。

「…第四小隊を、令が出たらすぐ動けるように準備させている。問題なければ、行かせるが」

その場の全員がその細やかな配慮に感心したように閣下に目を向ける。閣下は咳ばらいを一つすると、どうなんだと促した。

「可能なら、感染地区を見つけたあと患者に対して簡単な問診を一緒にお願いできませんか?紙にまとめてお配りしますのでその通り聞いていただければ結構です」

うむ、第四小隊まで届けてくれ。という閣下の返事を聞いて、ジルは医局長に媚びるような視線を向けた。え、私かね?閣下直々のご命令ですので僕には務まらないかと。あ、問診表は五十部くらいあるといいと思うんですが。腑に落ちない顔をして医局長が席を立つ。レティシアと俺は苦笑してジルを見た。



「問診の結果があれば、感染経路や処置方法のめどが立てられる。それを持って医師団が、患者に処置を試しに行く…」

「処置方法がわかったら、それを騎兵隊に指示し、西方全土に騎兵隊が処置をしに行く、ってことでいいの?」

「それだと、警戒令と犬の駆除が抜けてるわ」

ハンスとラウラ嬢が確認した段取りにレティシアが応える。

「どちらも西方全土が対象地域になるから、その二つは同時で進めるのがいいと思うけれど…」

「さっき二人が言った段取りの最後、騎兵隊が処置をしに行きながら、警戒令も出すし犬の駆除もする、だとどうだ?」

「それだとたぶん、一週間から十日は後になる。まだ、治るかどうかも分からないんだ。できるだけ早く警戒令だけでも出したい」

「つってもなあ…いくら軍馬といえど、行って帰ってまた行って、は無理だ。休ませてやらないと、馬がつぶれちまう」

俺は愛馬であるアレスの顔を思い返しながら顔をしかめる。


「ジル先生、処置の方法って、どのくらいの種類があるのかしら」

何かを思いついたらしいレティシアだが、固い表情のままジルに問いかける。

「処置と言いましたが、正確には処方です。どの薬が効くのか。それだけです」

「じゃあ、あの、騎兵隊は行った先で待ってて、例えばのろしとかを使って指示を…つまり、どれが当たりかだけを伝えるっていうのは…流石に無理…ですか?」

ラウラ嬢の発言に俺と閣下が前のめりになって彼女を見つめた。ひっごめんなさいとラウラ嬢が小さく漏らす。その手があったか。大陸軍では戦闘地域がそれほど広くないうえ、騎兵で走ったほうが確実なので実際に使うことはなかったが、戦術論で学んだことがあった。


「ジル君、薬の種類は」

「できれば六、最低でも四は欲しいですね」

「分かった。対応できるのろしのパターンと資材を用意させよう」

よかった、とラウラ嬢が顔を輝かせた。が、

「ジル、薬って、粒?粉?注射?点滴?」

俺の質問にジルが察したように顔を曇らせた。

「…その全部、あり得ますね」

「…だよな。のろしを使うのは良い手だと思うが、そうすると最初に騎兵隊が全部の薬を持っていく必要があるだろ。粒と粉はいいが、注射と点滴を運ぶとなると移動速度は下げざるを得ない。行った先で壊れてたんじゃ意味がないからな。となると、馬車並みの速度しか出せないかもしれない」

しばらく全員が考え込んだ。


「…船は使えないかしら」

『船?!』

「ええ。せっかくトレムディア川があるじゃない。警戒令を出しに行く騎兵が必ずしも薬を持っている必要はないわ。処置方法がわかった時点で、そこにその薬があればいいんだもの。川岸で荷揚げしてからは馬で運ぶ必要があるけど、最初に騎兵が持っていくよりも早いんじゃないかしら」

「でも、相応の量になりますよ。この内陸国にそんなたくさんの船…」

「…ですよね。良い案かなと思ったんですが」

レティシアはため息をついて首をすくめたが、その隣でハンスがランランと目を輝かせている。


「ないなら作ればいいんじゃないっすか。レティシアさん、以前、バンブーが大繁殖したの覚えてますか。言ってなかったですが、バンブーは中が空洞だから水に浮くんです。あれなら船材として使える。いろいろ用途があることがわかってたから、伐採してそのまま置いてあるはずです」

あっとラウラ嬢が腰を浮かせた。

「私見た!バンブーじゃなかったけど、木材を使った丈夫ないかだの作り方、この前読んだ!!作れるよ、レティ!!」

「そう、よかった。…じゃあ、これで薬の運搬もクリアになったから、あとは…?」

あとは、とレティシアがジルに視線を向けた。


「…もう無いよ」

その言葉は会議室全体に光を灯すように響いた。


「え…?」

レティシアが戸惑いの声を漏らす。ジルが机についた腕にもたれかかるように頬杖をつきながら言う。

「もう、無い。作戦は出来たんだ」

「え…」

ほら。と、ジルはいつの間に控えていたのか、これまでの話をまとめた紙をレティシアに渡した。俺と書庫係の二人と、閣下まで一緒に、震えるレティシアの手に握られたその紙をのぞき込んだ。それぞれ、読んで、確認して、そして。


最初に閣下が、いい作戦だと言ってその輪から離れた。ラウラ嬢が鼻をすすりながら後ろを向く。ハンスが歯を噛み締めて天を仰いだ。


俺は、レティシアを見ていた。何度も何度も必死に間違いを探し出そうというように上から下に文字を追っている。その目はだんだんと潤んできていたが、レティシアはギュっとしかめっ面をすると大きく息を吸い込んでいった。

「みなさん、ありがとうございました!これでお願いします!」


そして、改めてジルに向き合うと「先生、ありがとう」と花がほころぶような笑顔になる。その笑顔に一瞬見惚れるとともに、その笑顔に含まれている感情に気づいた俺は思わず息をのんだ。


…うそだろ。


「ルディも、昨日からどうもありがとう!…ん?どうかした?」

いつもと全く変わらない調子で問いかけるレティシアに、俺はぎこちなく顔を歪める。笑顔に見えるようにと祈りながら。

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