近づく病の足音

私は朝起きると食事もそこそこに家を出て、総統院まで急ぎ足で向かった。


昨日、ハンスとガルディウスから聞いた話がずっと頭の中をぐるぐるとしていた。ガルディウスの友人が飼っていた犬が、目から血を流して亡くなった。そしてその友人自身も後を追うように亡くなっている。リスナール村では豚が大量死した後に、それを食べたかもしれない村人が異様な死に方をした。


どちらも動物が死んだあとにそれに関わっていた人が亡くなっている。ただの偶然だろうか。それならばいい。


書庫に着くとすぐにマスタンドレア王国全土の地図を広げる。ガルディウスの友人が住んでいたのは王国の南の外れである第三外区の一番外側。リスナール村は国土のほぼ中央の第二外区。どちらもトレムディア川の西方地区に位置している。

予想できていたことだが、やはりこれだけでは何もわからない。それにしても、目から血を流す病気なんて聞いたことが無かった。ジル先生に聞けば何かわかるかもと思ったが、先生はきっとリスナール村の一件への対応に追われているだろうから、私の根拠のない妄想に付き合ってもらうわけにはいかないと思いなおした。


大テーブルの前で悶々と悩んでいたらラウラが出勤してくる。

「あれ、レティどうしたの。今日はずいぶん早いわね」

「疫病の件でちょっと気になることがあって」

昨日ガルディウスから聞いた話をラウラにも伝える。

「ううーん…ショッキングな話ではあるけど、流石に関連性は無いんじゃないかしら…だって、場所が飛び過ぎてる」

「そうよね…隣り合う農村間で家畜が混ざったり交換したりすることは稀にあるけど、流石に第三外区と第二外区じゃ離れすぎてるもんね」

「それに、犬は食べないでしょ」

「そうよねえ…」

「でもなんか引っかかるのよね。犬…犬…目から血が出た…い、ぬ…」

ラウラは呟きながら次第に顔面蒼白になった。

「ねえ、レティ…あの、狼の精霊の話覚えてる?あれって…」

はっ、と私は悲鳴に近い声を上げて息をのんだ。

「赤い目…!」

「どこの村だった?!」

二人で書庫係対応録を引っ張り出してめくっていく。対応録はもう五冊にもなっていてなかなか見つからない。あった!ラウラが叫ぶ。「レインドルム村!西方地区、第三外区と第二外区の間!」

ガルディウスの友人の犬の件、赤い目をした狼の件、リスナール村のそれぞれの地点に、日付を書いた小さなメモ用紙を置く。悪い予想が当たり、それらは予想通り一直線上に並んで王都に近づいてきていた。

「男の子は、犬と狼を見間違えたのねきっと…」


とても悪いことが起こっているという確信めいた予感に、内臓が冷え切ったように感じお腹の中から震えが沸き立ってくる。

「おはよー…っス…って…どうしたんですか二人とも」

ハンスが一瞬で顔を引き締める。ラウラが私に視線を寄越し促す。

「…リスナール村の人って、異様な亡くなり方って、もしかして、…目から出血して亡くなった…?」

「…そうです」

「まずいわ…!」

私たちの剣幕にハンスが荷物を投げ捨てて大テーブルの地図を覗きに来る。ラウラがハンスに説明している間、私は努めて冷静に事態を整理しようとしていた。


三件はすべて同じ症例だ。だとすると、医局は第二外区だけを対象に警戒、調査しようとしているがそれだけでは足りない。実際には第三外区でずっと以前に感染者が出ている。

それに感染源について、医局は豚や家畜が元凶とみているがこれも異なる。リスナール村以外の二件の症例では犬の感染が確認されているし、家畜は村間を移動しない。感染源は犬だ。


「レティ、医局に行かなきゃ…」

「待って、ルード文官長が先」

「二人で行けますか?俺、他に疑わしい事例がないか調べたいです。西方に集中している理由も気になる」

「お願い。私たちは文官長室の後医局に向かうから!」

私とラウラは地図とメモと対応録をひっつかむと文官長室へと走った。


「ルード文官長、図書係のコートウェルとピクシスです。急ぎお耳に入れたいことがございます!」

文官長室のドアを乱雑に叩き叫ぶ私たちの剣幕に、通り過ぎる文官たちが何事かと振り返る。

「どうぞ」

失礼します!とラウラと私はなだれ込むように部屋に入った。

「リスナール村での疫病の件、おそらく、大元の感染源は犬です。現在の対応では感染拡大を防げません!」

文官長は艷やかな長い黒髪を静かに湛え、急な訪問に驚いた様子もなくこちらに目をやった。挨拶も前置きも細かい説明も省いたが、これが彼が好む話し方であると私は承知している。案の定、ラウラが持っている地図をちらりと見ただけで何かを察したらしく、何も聞かずに立ち上がる。

「医局ですね?行きましょう」

「お願いします!」


三人で医局に向かって走った。文官長が走ってるの初めて見た。と場違いな感想をこぼしたラウラは文官長から冷ややかな視線を浴びて取り繕うように続ける。

「あの、細かい説明は…」

「医局で他の人たちとまとめて聞きますよ。皆さんのことは信用してますから」

「…っ、ありがとうございます…!」

医局につくとルード文官長は手ごろな看護師に医局長は、と問う。そちらで…と指さされた会議室をノックすると返事を待たずに開けた。私とラウラは一応の礼儀として扉の外で一度待機する。

まずい。ずっと走ってきたので目の前がちかちかして床が回るようだった。貧血の症状だ。でも、今は倒れるわけにはいかない。

「失礼。疫病の件で政治部書庫係からご報告したい内容がある。お時間をいただきたい」

「ルード文官長…。いくら急ぎの要件でも、不敬が過ぎるのではないかね?」

「お叱りは後程じゅうぶんお聞きします。入りなさい」

招かれて私とラウラは失礼します、と言いながら部屋に入る。

「レティシアさん?!」

白衣の一団の中にジル先生を見つけた。先生は私を見て目を丸くしたあと、眉間にしわを寄せて腰を上げようとする。首を振り制したが、貧血の予兆が来ていることに気づかれたようだ。

「話しなさい」文官長が私たちに視線を投げた。私とラウラは目を合わせて頷く。

「リスナール村での疫病の件ですが、おそらく、大元の感染源は犬です。書庫係に寄せられた相談と、私が個人的に入手した情報からの推測です。今から根拠をお話しします」

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