冷たい主治医様
「…なんで君がここにいるんですか」
ジル先生は幽霊を見るような目で私を見つめた。
ガルディウスが来てくれた翌日、総統院の業務に復帰した私はまず先生の医務室を訪れていた。
「『ダメです』の手紙から一度も顔を見に来てくれない冷たい主治医様のご尊顔を拝見しようかと思いまして」
後ろ手に扉を閉めるとあえて高飛車な態度で髪をかき上げながらつかつかと部屋を縦断し、ぽふん、とベッドに腰かける。
困惑したような、気まずいような顔で私を見ていたジル先生が何かに気づく。
「君…なんで制服着てるんですか。まさかもう復帰するつもりですか!?」
「はい」
「はいじゃない、まだ投薬が終わって五日しかたってないでしょう、早すぎる!」
「でも、息もしているし歩けているし本も読めます」
「…レティシアさん…」
「めまいもないし吐き気もないし、激しい運動をする予定もありません。私の元気な姿を見て欲しくて、来ました」
胸を張るようにして言ったのだが、先生はデスクでうなだれるように頭を抱えていてこちらに目を向けてはくれなかった。きっと先生のことだから自責の念に駆られていると思ったのだ。先生が苦しむ必要はないし、苦しんでほしくなかった。
「ねえ先生、私、仕事ができないほど弱っているように見えます?」
「…」
「先生ってば」
「…」
「頑固ですねぇ。…何なら華麗にターンだってできちゃいますよ。私、小さい頃はバレエを習っていたんです。見ます?」
立ち上がろうとすると先生はうつむいたまま無言でこちらに近づいてきて、ベッドに押し戻すように両手でぐっと私の肩を抑え込んだ。
「…見ません」
思った以上に強い力で抑えつけられた私は身動きが取れない。その力の強さに驚いて鼓動が少し早くなる。ジル先生の、タバコの苦い香り。
先生はしばらくそのまま固まっていた。うつむいている先生が何を考えているのかわからず、私は今度こそ本気で先生を怒らせてしまったのかと不安になる。
「あの…、勝手なことをしたのは謝ります。でも本当に元気なんです。先生にも、私が大丈夫だって分かってもらいたかっただけで」
先生は力を抜くように大きくため息をつき、私の肩から手を離すとデスクに戻った。
「わかった、わかりました。でも無理はしないようにしてください」
やれやれと言ったように、先生はやっと私を見てくれた。困った顔をしていたけれど、いつもの先生の笑顔に私もほっとして笑顔になる。
そのとき、医局中に声が響き渡った。
「医師は全員集合!リスナール村で疫病が発生した!村はほぼ全滅だ!」
真剣な表情でバタバタと駆け出して行く先生を見送った私が書庫に戻ると、ラウラとハンスが話し込んでいた。
「レティ聞いた?疫病だって」
「あ、うん。さっきまで医局にいたから」
「リスナール村って、例の、豚が大量死した村だろ?病死した豚を食べて感染したんじゃないかって話だぜ。それも異様な死に方してたって話だ」
「ええ、焼却処分したんじゃないの?」
「こっちとしては指示までしか出せないだろ。あの村は農作地区でも冷害が酷かった地域だから、蓄えが少なかったら、みんなして食っちまったとしても不思議じゃない。百人に満たないくらいの小さい村だしな」
マスタンドレア王国の王都以南の国土は農作地区と呼ばれ、トレムディア川を中央に、左右に扇形の大平原が約百キロにわたり広がっている。その農作地区全体はおしなべれば、他国の農業地帯よりも恵まれた環境にあるはずだ。トレムディア川という水源があり、土地も肥えているため様々な作物が育つ。かつ、比較的質素な国王一族であるために税もそこまで重くない。
ただしそれはあくまで全体を見渡した話であり、各村々には個別の事情もあるだろう。ハンスがリスナール村にこんなに詳しいのは、その時の冷害対策の相談に乗っていたからだろう。かれは当時のことを悔いてか苦々しげな顔をしていた。
「どうするんだろ」
「念のため、第二外区の村全部に病死した家畜を食べないように早馬が出たらしい。それと、リスナール村とその周辺には医師を派遣して状況調査するとか言ってたぜ」
「その周辺って言っても…時間かかるでしょうね…」
農作地区に存在する多数の村を総統院では管理のために、王都から近い順に第一外区、第二外区、第三外区とし、川をはさんで西方地区と東方地区に分けていた。
当然ながら王都に近い第一外区が最も村の数は多く、第二、第三と王都から離れるにつれて村は少なくなり村々の間の距離は離れていく。周辺がどこまでをさすか次第だが、場合によっては調査には一か月はかかるのではないか。
その間、ジル先生に会えなくなるかもしれない。やっぱり今日、元気な姿を見せておいてよかった。
その日もガルディウスが書庫に迎えに来てくれたのだが、言葉少なで元気がない。いつも暗いところを見せない彼にしては珍しい。
「ルディ、どうしたの?」
「ん、何が?」
「元気ないじゃない」
「んー…」
「ルディが元気ないと私も心配だわ。できることがあるかもしれないから話してほしいの」
「あー…前に、ペットが亡くなった友人の話したろ。…今度はそいつが亡くなったらしくて」
「ええ?!」
「詳しい話はわかんねえしもう葬式も終わったらしい。…学院時代の友達なんだけど、なんつーか…線が細いやつなんだよ。優しいっつーかさ…。学院の軍事科は七回生以上になると実習があるんだ。ちょうど七回生の時にそいつと一緒に、南方の国境線での戦闘に同行したことがあって」
「…うん」
難攻不落の城があるおかげで基本的には北方以外は安全なこの国だが、南方の国境線でも数年に一度、規模は大きくないものの国境を巡った戦闘が起こることがあった。大体はにらみ合い程度で終わるのだが、ガルディウスが七回生の時に起こったということはおそらく参加したのは『サンドレア戦線』と呼ばれている、大規模な衝突が起こり多数の死者が出た戦闘のはずだ。
「それが…レティも知ってる通り、あんな戦闘だっただろ。実習生だったとはいえ結構きつい場面にも出くわして、それでそいつは…まあ…戦えなくなって学院やめて田舎に戻ったんだよ」
「そう…」
「だから、もしかしたら犬が死んだのがきっかけで…病んじまったのかと思ってさ。そりゃきついよな、目から血噴き出して死んだところに出くわしたって言うんだから」
「え?!」
私の悲鳴に近い驚きに、ガルディウスがしまったという顔をする。
「悪い、忘れて」
「う、うん…」
「…一応手紙には返事出したんだけど、読んでくれたかもわかんねえ。もうちょっとマシなこと書いてやればよかったって思ってさ」
「…できることはしたんだから、あまり気を落とさないで」
何が正解だったのかがわかるのはいつも結果が出てからだ。そんな現実の残酷さを恨むことは、いたずらに自分を傷つけるだけだ。私は、ガルディウスが何事にも真っすぐに取り組む人だと知っているから、その選択を悔やんでほしくは無かった。
一方で私は何かが見落とされているような予感を感じ、消沈している彼への罪悪感にさいなまれながらも、聞かずにいられなかった。
「…ねえ、気落ちしてるところ本当にごめんなんだけど…そのお友達って、どちらの村にお住まいだったの?」
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