ひと時の休息
ジル先生に提案された鉄剤は予想通り私の体には全く合わなかったけれど、それは覚悟の上だったので特段悔いることもない。ただ、三日間寝込んでしまったこの体はその後二日経っても何をするにもぐらぐらふわふわと頼りなく不便だった。
ジル先生からは謝罪の手紙が届いていた。『自分がバカな提案を~~~、取り返しのつかないことを~~~』と、大方予想通りのことが書いてあった。有益だったのは体調回復に良い食べ物くらいで、さらに言うと甘いものを沢山摂るように書いてくれていたことだ。
お返事として『じゃあこれからは、私がお昼ご飯抜いても怒らないでください』とだけ殴り書いた手紙を送った。送る前にアンリに、ねえこれどう思う?と見せたらぶはっと笑ってしばらく肩を震わせていたので、あのお返事は完璧だったと我ながら思う。
なぜ私が選んだことなのにジル先生が謝る必要があるのだろう。
親友であるアンリとラウラはわかってくれているが、産まれた頃から持病に悩まされている私にとっては死ぬことも具合が悪くなることも特別なことではない。だから次の瞬間死んでも悔いることが無いように、私は常に自分がしたいように、生きたいように生きている。その私の選択を他人にとやかく言われたくなど無かった。
その後、ジル先生からはなんとわざわざ早馬で返事が届いた。どうしよう、もしかして気に障ったのかしらとアンリと青い顔を見合わせた。不安でドキドキしながら震える手で封を開ければただ一言、『ダ・メ・で・す・』と書かれていた。
たまらずアンリと吹き出して二人で涙が出るまで笑った。わ、わざわざ早馬で。ダメですって。ジル先生は、これはわざと笑わせようとしているのでしょうか?!と言ってまた笑った。笑って笑って笑い疲れて、早くジル先生が来るといいのにね、とアンリと話した。
先生が決死の思いで切ってくれた最後の切り札が効かなかった。その事実を乗り越えるためには、きっと私たちには暗い影を笑い飛ばすようなこの時間が必要だった。
そのさらに二日後の夕刻、自室のドアが叩かれた。今日はガルディウスが来てくれるとアンリから聞いていた。
「はあい、どうぞ」
読んでいた本から顔を上げ返事をすると、ドアが勢いよく開かれてガルディウスがつかつかとこちらに歩み寄ってくる。ガバっとベッドの側に置いた椅子に腰かけた彼は気ぜわしく問う。
「レティ大丈夫なのか」
「ルディ、久しぶりね。全然大丈夫よ、むしろ甘いものを沢山食べさせてもらって、贅沢しているの。…あなたも元気だった?」
「俺のことはいい。どうしたんだ」
「ただの風邪よ。ルディったら、心配し過ぎだわ」
ジル先生以外には風邪で通すように、家族全員に話を通している。ガルディウスはその言葉が本当か確かめるようにじっと私を見ていたが、本当だってば、と笑うとほっとしたような顔をした。
「また、痩せたろ」
ガルディウスが私の頬に手のひらを添える。日頃の鍛錬で鍛えたその手のひらは沢山の肉刺があって硬い。
ガルディウスには言っていないが、少し前にたまたま騎兵隊の訓練をしている彼を見かけたことがあった。意のままに馬を操り剣を繰る彼は私が知る姿とは別人のように気迫に満ちて、雄々しく美しかった。どんな鍛錬を積めばあんな風に動くことができるようになるのか、この肉刺だらけの手でどれだけの痛みと苦心を乗り越えて来たのか私には見当もつかない。きっと私の想像をはるかに超える努力をして手に入れたその強さで、私とこの国を守ろうとしてくれている。
彼のその努力に報いたいと思った。彼ほどではなくてもいい、でも、私も強くありたかった。だから投薬を受けたのに。ジンと涙腺が熱くなったけれど、ガルディウスに心配をかけたくなくて涙は瞳の奥に押し込めた。
「ルディ、…ごめんね」
結局彼の身に何が起きたのかは知らない。いつも柔和なジル先生があんなに冷静さを欠くなんて、よほど悪いことが起きたのかもしれない。それが悪いことであればあるほど、ガルディウスは私をそれから遠ざけるだろう。そうやって彼はいつも私を守ってくれてきた。
「ああ、違うわ。…ルディ、いつもありがとう」
彼の手に手を添えて私は微笑んだ。彼はなぜか苦し気に眉をひそめたあと、するりと指を頬に滑らせて私の顎を持ち上げ、流れるようにキスをした。乾いた唇の感触。
そのまま私の肩に顔をうずめるように抱きしめた。私が戸惑っていると、次第にぎゅう、と腕に込められた力が強くなる。
「心配、したんだ」
「うん、ごめん」
「ちゃんと元気になれよ」
こんな細い体しやがって、と一層強く抱きしめられて、痛いってばと笑った。
椅子に座りなおしたガルディウスは頬を少し赤くしながら「なんか、この部屋とお前、凄い甘い匂いがする。香でも焚いてるのか?」と辺りを見回す。
「ううん、さっきも言ったでしょ。血の気を取り戻すのに甘いものがいいってジル先生が言うから、ケーキとかクッキーとかたくさん食べてるの」
「ええ、本当かー?それ。肉だろ肉。肉を食えよ」
辛党のガルディウスはげっそりした顔をする。彼の辛党っぷりは徹底していて、一緒にカフェでお茶をしていても決してケーキを食べようとしない。昔、あーんとしてあげた時に顔を真っ赤にしながら食べたことがあるくらいだ。その時はコーヒーを追加で頼んでいたっけ。
「あ、お肉と言えば、なんか豚肉が手に入りづらくなったって聞いたけど」
「ああ…知ってたか。なんでも、農作地区のある村で豚が大量死したらしい」
「あら、物騒ね」
「ん。……仕事にはいつ戻る予定だ?ラウラ嬢から絶対聞いて来いって言われたから聞くけど」
「明日には戻ろうと思ってるの。少しずつでも体を動かさないと調子が出なくって」
「そか。絶対無理はするなよ」
「はいはい」
ちゃんと聞け。とジト目で睨まれて私はまた笑ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます