第8話

 四日目の夜のことでした。

 隣の国が本陣にしている稲荷堂に、百姓の一団が、十数台の荷車を引いてやってきたのです。

「何者だ。何の用だ」

と、見張りに立っている兵が、行く手を遮ってその荷車を押し留めますと、

「儂らは、この国の百姓でございます。お願いがございまして、お殿様にお目通りさせていただきたく、貢物を持って参りました」

「殿にお目通りだと。帰れ。帰れ」

「よろしいのですか。中は酒と餅米でございますよ。今日は、夜から一段と冷えそうでございます。特にここは林の中、寒さは一層厳しくなります。そんな中、酒が欲しいとは思われませんか。それをみすみす逃されますか」

「酒か」

「もし、お取り次いでいただけますなら、あなた様には、ほれ、ここに瓢箪いっぱいの酒を用意してありますゆえ、これをあなた様に差し上げます」

「左様か。ならば考えてやらんでもないのー。暫し待て」

 そう言うと、見張り番をしていた兵は、陣の奥に引っ込んでいきました。しばらくすると、その兵が戻って来て、

「拝謁を許すとのご許可が降りた。参れ」

と、威張ったように言い、本陣が設置してある稲荷堂の前に通されて、座らされたのです。やがて、数十名の鎧武者がぞろぞろと現れると、村長たちを取り囲みました。最後に観音堂の戸が開くと、隣の国の若殿様が現れたのです。

 村長は、すぐに頭を垂れ、

「拝謁を賜り、ありがとうございます」

と、そつなく挨拶を述べました。

「そなたたちは、この藩の百姓ではないか。余に何用じゃ」

「お殿様に、今儂らが献上できます品物、麻布十反と戦勝を祈念しまして大注連縄一本、餅米三俵、さらに酒十樽と肴として煎った大麻の実を五袋、最後に今日は冷えますので、薪三十束と火を点けやすいように干した大麻の葉を持参いたしました。どうぞお納めくださいますようお願い申し上げます」

 この藩の主な生産物は、もちろん米でしたが、副生産物として、麻の製品を作っていたいたのです。とくに、このお化け山では、たくさんの大麻を採取することが出来たからです。それを夏の内に刈り採って干しておき、茎を使って布を折ったり、近隣の漁師のために麻縄を編んで網を作ったりしていたのです。その他、大麻の実は、非常食にもなりました。

「それは、随分殊勝な心懸けじゃのう。じゃが、そなたたちはこの藩の百姓なのに、なぜ余に荷担する」

「お殿様。お殿様の軍勢を見ますと、我らの殿様の何倍もの軍勢で攻め寄せておられます。更には、この国の守り神たる勘兵衛様も、あなた様の軍隊の鉄砲で撃たれたと聞き及びました。こうなれば、もうこの国は、あなた様のものと儂らは確信したのでございます。そこで、儂らの村は、まだ戦をしている内からお殿様の応援し、この国が見事、お殿様の国になりましたあかつきには、取り立てる年貢を少しでも軽くしていただきたいと、村人全員で相談しまして、取りあえず掻き集められるものを持って参上した次第でございます。それに、これだけの大軍、兵糧が無くなれば、お殿様が命じなくても、家来の方々が勝手に儂らに供出を迫ってくるかと存じます。それよりは、早めに貢物として差し出し、気分良く貰っていただいたほうが、お互いに良いのではと考えた次第でございます」

「左様か。そちたちはなかなか賢いと見える。ならば、ありがたく貰おう。じゃが、年貢の負担を軽くするかどうかは、約束はできんな。この戦いが、どれだけの費用が掛かるかによって違うのでのう」

 それを聞いた村長は、顔がにわかに曇り、しばらく下を向いて黙ってしまいました。これでは、貢物を持ってきた甲斐が無いからです。とはいえ、殿様に不満を述べるわけにいきません。言えば、無礼者と、この場で手打ちにされる恐れがあるからです。そればかりか、そのことを口実に、無理矢理村から食べ物を取り立てる可能性もありました。

「なんぞ、余の言っていることに、不満があるのか」

 周りにいる侍達に、緊張感が走ります。村長は、ゆっくりと頭を上げますと、

「左様でございますか。お殿様のお話は、とくと分かりました。お立場を考えますと、ごもっとものこと存じます。されど儂も、皆の意見をまとめてこれだけ集めてきております。それをお酌み取り下さいり、二つのことをお聞き取り下さいまして、何とか儂の顔を立てていただくわけには参りませんでしょうか。いえ、先程のように、年貢を軽くして戴きたいとは申しません。一つ目は、儂たち村人は、平和な時に慣れすぎましたので、戦に恐れを抱いております。せめて御家来衆に、この戦の間、村の者に無体な事をせぬよう、仰せになって戴けませぬか。二つ目は、この蔓山の川の水、これより、この場所の開拓を中止することをお約束します故、堰き止めを解いて、前と同じ様に水をお流し下さいますようお願い致します。もともと、この場所を開拓するに当たっては、我藩の殿様のご命令であったことから進めたまで。ここは化け物が出る呪われた土地故、乗り気では無かったのです。この山の水が無ければ、我々も米を作ることが出来ませぬ。それは、強いては殿様の損になりましょう。水を横流ししたのでは、お殿様の藩の村人に言い訳が立たぬと仰られるのでしたなら、ただとは言いませぬ。多少なりとも水の代金をお支払いいたします。更に、今日よりできるだけお殿様のご要望に従って、供出できるものはいたします。何のお約束をいただけずそのまま帰るわけには行かない儂の立場をお察し下さいませ」

「左様か。余が本日中に、もっと酒を持って参れと言えば、持参するというのだな」

「量は何とも言えませんが、できるだけ努力をいたします」

「左様か。それでは余の軍に、この領内の村人に無体なことをせぬよう触れ回り、早速堰き止めていた土嚢を外そう」

「ありがとうございます。これで村に帰れます。皆の命は、お殿様の温情にて助けられたと報告致します」

 そう言って、村長たちは喜んで帰って行きました。その姿が見えなくなると、側近の向坂藤右衛門が若殿様の傍に寄り、

「若殿。あのような取り決めをなさってもよろしいのですか。兵の中には、強奪を楽しみにしている者もおりまする。兵の士気が下がるやもしれませぬぞ」

「ふん。結局は、百姓の浅知恵よ。供出するというのは、それだけ百姓達がまだ余裕を持っているから言えるのだ。我々は大軍。壊れた瓶のように酒と食料はどんなにあっても足りることはない。すぐに不足する。そこで足りなくなれば強奪するしかないが、幸い今はまだ持参してきた食料が充分に残っている。それを無視して強奪し、わざわざこの領内に敵をつくることはあるまい。なにしろ、奴らは、自分たちの領主を見限って、儂らにその分を貢ぎに来たのだ。ここで奴らを安心させておき、しっかりと我らの支配下に置けば、後々この地を治めることが容易となろう。ここは、体良くあしらっておいて、奴らを安心させておくのが得策よ。なあに、このまま戦が長引き、食料が足らなくなれば、強奪に踏み切ればいいのだ」

 その夜、貰った酒は、見張り番を覗いて、すぐ皆に振る舞われました。特にこの日は、夜が更けゆくにつれ、寒さがどんどん厳しくなってきたことから、振舞われた酒はすぐに底をつきました。そこで篝火に、多くの薪や麻の葉をくべたものの、依然として寒さから逃れられず、早速多くの酒と薪を届けるよう村に言いつけたのでした。仕方なく村が、更に酒を八樽差し出すと、

「見たことか。やはり奴らは、物を隠し持っておったわ。この機会に更に搾り取ろうぞ」

と、若殿様が、側近の武将に言うと、左様、左様と、皆頭を縦に振り、差し出してきた酒を酌み交わしたのです。

 久しぶりの酒でした。最初の戦こそ、勘兵衛の働きによって恐ろしさを味わったものの、今はその勘兵衛も鉄砲に撃たれて思うように動けなくなっているため怖い者はありません。毎日が勝ち戦でした。更にはこの藩の百姓たちも、藩主を見捨て我藩主に貢物を差し出し、心を寄せているのです。後は、何も心配することなく、じっくりと攻めていけばいいのです。そんな思いが、皆の心に巣くっていたからでしょうか、今日の夜くらいは酒を飲んで、のんびりしても罰は当たるまいという気になってしまったのです。

 お椀に注いだ冷酒をグイと飲み干すと、一杯と思った酒がもう一杯欲しくなり、杯はドンドン重ねられていったのです。また、その夜は底冷えしていたために、囲炉裏やたき火に麻の葉や薪をドンドンくべていったことから、身体が外と内からじんわりと温まってきて、ふんわりとした気分になっていったのでした。やがて、睡魔が誘いに来ると、酒に酔って騒いでいた人達の声が次第に止んでいき、松明の燃え盛る音だけが聞こえてくるようになったのでした。

 そんな真夜中のころです。 

 数足の草鞋と荷車が近づいてくる音が、半分眠っていた見張り番の耳に聞こえてきました。その音に、ハッと目が覚め、槍を構え直すと、

「だれだ」

と、音のしている暗がりに声を掛けたのです。すると、ごそごそという音がして、荷車を牽き瓢箪を抱えた数人の女たちが現れ出ました。その中の一人が、

「これは、脅かしてしまいましたか。さっき、無体な事はせぬ代わりにもっと酒を出せよとお殿様が仰っていると村長から言われ、先に第一陣の者がこちらにお運びいたしましたが、更に第二陣として酒と薪をお持ちした次第です。どうぞ、お通し下さいませ」

と頭を下げたのでした。

 そこで、見張りの兵は、女たちを眺め回し、荷車の中も覗いて確かめて見たものの、積んでいるのは、酒と燃やすための薪や麻の葉しかなく、不審な物も見あたらないので、身体をどけて道を開けたのでした。その道を女たちと荷車三台が通っていくと、最後の女が、見張りの兵の方を振り向いて、

「これは見張り番の方への御礼です。見張り番の方々は、こんな寒い夜にもかかわらず、きっと飲めずにいるのではないかと思いまして、お立ちになっていても、飲めますようにこの瓢箪に詰めてまいりました。どうぞお召し上がり下さい」

と言って、二つの瓢箪を差し出したのです。

「左様か。それは、よう気が利く」

 見張り番の兵が、女の手から二つ瓢箪を受け取ろうと槍を肩に立てかけて、両手を差し出した時でした。後頭部に大きな衝撃が走ったのです。見張り番の兵は、持っていた瓢箪を落とし、その場に崩れていきました。

 その後には、いつの間にか岩を手にした若者が立っていて、すぐに見張り番の兵を藪の中へと引き込んで行くと、笠を被り鎧や小刀を身に着け、何事も無かったように見張りに立ったのです。更にその後、荷車を牽いてきた女たちの一団が、さっきの見張りに立った若者の前を通過すると、提灯で後ろの一団に合図を送り、次々と荷車を運んでいったのでした。今度は、誰も引き留めるものはいません。


 第二陣で入り込んだ女たちは、本陣内を荷車を引いて回ると、愛想を振りまきながら酒を注いだり、焚き火や篝火に積んできた薪や麻の葉を充分過ぎるほどくべていきました。やがて、その焚き火や篝火から、細く青白い煙が立ち登っていくと、辺りに甘酸っぱい焦げた匂いが広がっていったのです。その匂いは辺り一面広がって、本陣全体を包み込んでいきました。

 やがて、何人かの兵たちが、その煙たさに目を覚ますと、辺りが青い煙で取り囲まれいることに気が付いたのです。最初火事と考え、声を挙げて周囲に注意を呼びかけようと思ったのですが、格段暑くもないことから違うと判断し声を挙げるのを辞めました。とすれば、今度は原因を突き止めなければなりません。周囲を見渡すと、辺りは霧がが掛かったようになっていて、何となく不気味さが感じられました。

 そんな時、兵の一人が、女のすすり泣く声を聞いたのです。目を凝らして辺りを見回すと、酒を届けに来たらしい村の女が蹲っているのが見えました。

「いかが致した」

そう声を掛けますと、

「目が見えませぬ。苦しい。苦しい」

と言うのです。少し助平心を起こした兵士は、

「この匂いのせいかもしれん」

と言って、背中越しに腕を回して女を抱き起こしながら顔を覗くと、なんと口の他は何もないのっぺらぼうの顔が表れたのです。

「ば、化け物!」

 兵は思わず抱き起こしていた腕を外すと、女を突き飛ばして逃げ出しました。似たような出来事は、他の場所でも起こったらしく、同じような叫び声が、そこかしこから聞こえてきました。そのため、その声を聞かされた兵士の間に、不安が広がっていったのです。


 その少し前、勘兵衛が養生していた寺に一人の童子が、息せき切って駆けて来ました。

 勘兵衛は、撃たれた傷を簡単に治療したものの、毎回戦に出ていたために傷口が塞がらず、その出血で貧血を起こし、思うような働きが出来なくなってしまったことから近くの寺で伏せっていたのでした。もっともそればかりではなく、鉄砲に撃たれたことで、自分の武芸が時代遅れのものであることや殺生をすることに嫌気がさしてきたことも、戦う気力を奪い伏せることに繋がっていました。

 庭に駆け込んできたのは、岩に閉ざされた父親を助けて欲しいと、自分に縋ってきたあの童子です。

「そちは、あのときのわっぱではないか」

「勘兵衛様。敵の陣地は、今お稲荷様の怒りにふれ、化け物が出たと騒ぎ混乱しています。この機会に、ぜひお出で下さい」

「なに!」

 その知らせを聞くいて、すぐに身体を起こした勘兵衛でしたが、すっと頭から血の気が消えうせ、

「されど、この身体では、思うように動けず、返り討ちにされてしまうかも知れぬ」

と肩を落としたのでした。するとその童子が、

「何言ってんだい。村のみんなは鍬や鋤を持って戦に出でいるんだぜ。おいらだって、これから手伝いに行くんだ。勘兵衛様は、村のみんなを守ってくれる守神じゃなかったのかい」

と、言ったのです。

「なんと。村の者全員が戦に出ているのか」

「当たり前だろ。ここは、おいら達の村なんだ。それに勘兵衛のいないところで、暮らしてなんかいけないよ」

 それを聞いたとたん、儂には守らねばならぬものがあると気が付き、勘兵衛の顔が、真っ赤に燃え上がったのです。

「馬を持て。槍をよこせ」

 勘兵衛は、片足を引きずりながらも、すぐさま鎧を身に着けると馬に跨がり、敵陣めがけて一直線に馬を走らせたのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る