第6話
その後、穏やかな日々は、一年二年と過ぎていき、三年目を迎えた時のことです。
その頃には、隧道から山地の開拓へと進んでいました。ところで、この山は、蔓山と言うのですが、この辺の村人たちは、通称「お化け山」と呼んでいました。というのも、この山の森に山菜や茸採りに入ると、狐や狸に化かされたり、化け物に出会ったりすることがよくあったからです。実際、狐が若い女の人に変わったとか、のっぺらぼうや大入道に出くわしたと言って、急いで山から駆け下りてきた村人が何人もいました。そのため、この山の中腹の林に稲荷堂を建て息災を祀っていた程だったのです。ですから、殿様からここを開拓するようお達しがあった時、村人はあまり良い顔をしなかったのでした。それでも、この開発の指揮を執っているのが、名目上勘兵衛でしたので、渋々行っていたのです。その上、この山には難しい問題がありました。隣の大きな藩に股がっていたことです。頂上を越えて裏側に行くと、そこは隣の藩の領地です。その山麓には、隣村の田んぼが広がっていて、勘兵衛の藩が、開墾によって、山から多くの水を引き込むようにすれば、隣の村に流れていく水が少なくなり、水不足が起こり騒動になることが予想されたからです。
お化け山の開拓の噂を聞きつけた隣村では、村の代表の者と村長が、責任者である勘兵衛に開拓を辞めていただくよう申し出ました。
もともとお化け山の開拓は、勘兵衛も気が進まなかったこともあって、隣村の村長の話を殿様に取り次いだのですが、
「蔓山は我が領地、何ゆえ隣の者に気を遣う必要があるのだ。蔓山がお化け山ゆえ、民もそちも臆病風に吹かれたのではないか」
と、聞く耳を持ちませんでした。戻って、そのことを隣村の村長に告げると、
「わかり申した」
と言って、その場は引き下がったのですが、諦めたわけではありませんでした。今度は自分の藩の殿様に訴え出たのです。
その頃、隣の藩では、殿様の代替わりが行われ、新たな若い殿様が藩を治めていました。
領内の村長から、水不足になる訴えがあり、それが若殿様の耳に入ると、蔓山を我が領内とする野望を持ったのです。それというのも、隣の小藩と我藩は、本来一つの領内であったからでした。それが、曾祖父の時代、長男に家督を継がせる折に、長男には無断で腹違いの次男にも領地を分与してしまったのです。
この地における石高は、決して多いとは言えない中、分与してしまったのですから、大藩としては面白くありません。藩主が兄弟同士の時は、戦になることはありませんでしたが、従兄弟同士の時代になると、小競り合いが起こり始めました。この小競り合いは、お互いの国力を疲弊することになり、財政の厳しい小藩は、この無益な戦を避けるため、少しづつ領地を大藩にお返しする約定を取り交わしていたのです。
それが、勘兵衛が活躍し、その名前が大藩でも知られるようになると、小藩では領地を返すことを無視するようになったのでした。大藩としては、約定を反故にされたことで、腹立たしく思ったものの、勘兵衛のいる小藩に戦を仕掛ければ、多くの戦費と家来を失うことになるため、見過ごしていたのでした。
しかし今、世の中が安定し、領主が次の世代へと移ったことで、両藩の関係は、新たなものへと移っていったのです。
大藩の若殿様は、
「赤鬼勘兵衛、何を恐れることがある。近年噂をとんと聞かん。おそらくは、老いさらばえて、惚け老人になっているわ。この機会に一息に攻め寄せて、我が領土を広げ、約定を思い起こさせようぞ」
と言い出し、村の水問題を解決することに寄せ、二百の兵を率いて隣の国へと迫っていったのです。
最初にその異変に気がついたのは、お化け山を開拓していた村人たちでした。
朝、顔を洗うために、河原へ出かけてみると、流れている水の量が極端に少なかったのです。川幅が三分の一になっていました。
驚いた村人は、すぐに勘兵衛の所に報告に行きました。
話を聞いた勘兵衛は、すぐさま川に駆け着けると、確かに水の量が減っています。そこで、視線を川上の方を向けてみると、山の中腹に、大藩の旗が立っているのが見えたのです。そうです。大藩の軍隊は、山の中腹で小藩に流れる川の支流を堰き止めたのです。
「すぐに、我殿にお知らせせねばなるまい」
勘兵衛が城に駆けつけ、その報告をすると、殿様は、
「小藩と見て甘く見ているのじゃ。我藩の勇士を見せつけ、煮え湯を飲ませねばなるまい」
と、受けて立つことを決めたのでした。
「しからば、これより拙者も鎧兜を身につけ、出陣の準備をして参ります」
そう言って、勘兵衛が勢いよく立ち上がろうとすると、殿様は、
「いや、そちは控えていよ。そちが居なくとも、我が藩は充分戦えるのだということを、大藩に見せつけなければならぬ。今回は、余の戦いぶりをゆっくりと見物して居れ」
と押し止めたのです。
「これは心外な。殿は、拙者がもう戦えないと思うておられるのか」
「そうではない。いつまでも、そちの武勇に頼っていては、この藩を安全に保つことなどできまい。なあに、隣の小倅など、ちょいと捻って痛い目を見せてくれるわ」
と言い放ち、兜の緒を締めて、
「出陣、出陣の太鼓を鳴らせ」
と命令したのです。
殿様は、山の裾に陣を構えると、すぐさま家来を山頂の偵察に行かせました。
その偵察から二十人位の武士が、土嚢を積んだ堤防を守っているだけだという話を聞くと、推測していた通りだと思ったのです。
殿様は、今度の争いは、単なる脅かしにすぎないと考えていたのです。勘兵衛の噂は知っていたものの、新たな若い領主は、自分の代になったことから、自己の権力を誇示するために見栄を張って兵を出したに過ぎない。このことによって、前の約定を思い起こさせようとしたのに違いないと考えていたのでした。
「小癪な考えよ。倍の兵を出して、堤防を壊し、我藩の力を見せつけてくれるわ」
そう言うと殿様は、家臣に百人の兵を率いて、堤防を打ち壊すよう指示したのでした。
隣の藩の若殿様は、お化け山の峠に密かに陣を構えていましたが、いよいよ小藩の兵が堤防めがけて攻め寄ってきたとの報告を受けると、すぐさま密かに潜ませていた百人の兵を、小藩の兵が昇ってくると思われる道の両側に配置させ、堤防にも、百人の兵を補充させて警護に当たるよう指示したのでした。
小藩の先頭の兵が、いよいよ堤防のところまで上り詰めると、侍大将の指示で、一斉に警護している兵に襲い掛かりました。
すると、警護していた兵たちは、その姿を見るやいなや、持ち場を離れて逃げ出したのです。
「それみたことか。やつらは、我藩を小国と侮って、ちょっと攻めれば、怖じ気づくとでも思っているのだ。やつらに我藩の武勇を存分にみせつけてやれ」
そう侍大将が言って、更に声を上げて攻め寄せようとした時です。辺りの木々がザザッと動いたのが目に入ってきました。
「風?」
と、思ったものの、それにしては、下草が激しく揺れています。その瞬間、侍大将の頭に「敵襲」という言葉が閃めきました。
「皆の者、敵に備えよ」
侍大将が、後ろを振り返って警告を発した時です。その声を戦の口火にしたかのように、木々の間から敵の軍勢が現れ、ワーッと言う声と共に、一斉に小藩の兵へ襲いかかってきたのです。
敵の軍の後ろには、侍大将と思われる人物がいて、馬上から、
「愚か者め。堤防から逃げ出したのは、おまえ達を誘い込むための罠よ。本隊は、密かにおまえ達の横に回り込み、攻め寄せてくるのを待ち伏せていたのだ。更に前方より、多くの兵がお前達に襲いかかる手筈になっているわい。存分に我藩の強さを思い知るがよいわ」
と嘯いたのです。
言葉通り、前方からも、多くの敵の兵が押し寄せてくるのが見えました。
小藩の兵たちは、死に物狂いで応戦しましたが、多勢に無勢、ほとんどの兵が傷つき倒れていったのです。その中をようやく逃げ果せた伝令の兵が、殿様にその事を報告すると、歯噛みして悔しがりました。
「更に多くの兵を動員して攻めよ」
と、すぐに指令を出したのですが、そんな余裕がないことに、直ぐに気づかされました。屈強そうな騎馬武者を先頭にした敵の軍が、勝利した勢いに乗じて、殿様の陣地がある裾野まで、攻め寄せてきたからです。
「一刻も早く、この場から退避せねば」
そう殿様が考えていた時でした。その軍に向かって、一騎の騎馬武者が、矢の如く突っ込んでいくのが見えたのです。勘兵衛です。
「儂は、勘兵衛じゃ。儂が相手をしてやるわい。何人でも掛かってくるがよい」
そう言つた後に、思いっきり息を吸い込んでいくと、みるみるうちに顔が紅色していき、身体中の筋肉が二倍に膨れ上がったのです。そして、持参していた黒く太い鉄槍を馬の背中から手に取ると、頭の上でビュンビュンと振り回し、敵陣へと突っ込んで行きました。
「鬼勘!」
と、敵兵の中には、名前を知っていて怖じ気付いた者もいたのですが、敵の侍大将から、
「なーに。年を取って、耄碌している親爺よ。多勢に無勢。一斉にかかれ」
という指示が跳んで、数十名が、我先にと襲い掛かったのでした。
それを待ち受けてたように勘兵衛は、襲いかかってきた兵に向かって、長い鉄槍を一気に突き出すと、一度に四人を串刺しにしたのです。更には、その串刺した槍を振り回し、兵の身体を払い飛ばすと、仲間の死体に当たることを避けようとした兵を狙って、また四、五人を串刺しにするといった調子で、次々に死屍累々の山を築いていったのです。その流されていった血で、何時しか草原は真っ赤に染め変えられていきました。
敵の兵たちは、勘兵衛に対し、円陣を組んで一気に攻めようとするのですが、その円は、攻めようとする度に、振り回される黒い槍によって阻まれ、攻めきることができません。とはいえ、その槍も何十回と薙ぎ払っていれば、曲がってきます。すると、勘兵衛は、
「おーら。この槍がそれほど恐ろしいか。早う儂の首をとってみせい。腑抜けども」
と言い放ち、相手を挑発したのです。
それを聞いた一人の鎧武者が、
「我は、向坂効之進。尋常に勝負せよ」
と、勘兵衛の前に進み出たのです。
「ほほう。儂の腕にかなうと思う奴がいたか。おもしろい。相手してくれるわ」
そう言うと、曲がった鉄槍を捨て、今度は鞍の後から、鉈のような刀を二振取り出しました。それを見た効之進は、
「それは、刀なのか」
と問うと、勘兵衛は、
「冥途の土産に教えてやろう。そなたが持つような刀など、剃刀のようなもの。使い道がないわ。戦場での刀は、刃こぼれがせぬ鉈のような刀が良いのよ。かかってくるがよい」
と答えました。
「うぬー。吠え面をかくなよ」
効之進は、勘兵衛に向かって一気に馬を走らせますと、眉間を突き刺すように、一直線に太刀を突き出しました。勘兵衛は、その太刀を、右の鉈の腹で受け払つたのです。次の瞬間、勘兵衛は身体を大きく捻ると、通り過ぎようとする効之進の後腰のあたりを、左手の鉈で素早く薙ぎ払ったのでした。
その後、数歩も走らない内に、効之進の上半身と馬の首が、後方へとずれ落ちたのです。同時に、切り口から激しく血が噴き出し、ドッと前に崩れました。即死です。
この光景には、敵も味方も言葉を失わざるを得ませんでした。
「次は、だれじゃ。相手してやるわい」
吠えるような勘兵衛の声が、まるで地鳴りのように大地を揺るがしました。
「鬼じゃ。本物の鬼じゃ」
攻め手にいた兵の中から、そんな言葉が囁かれはじめました。その後、士気が下がった敵の兵は、徐々に後ずさりをし始め、退却して行ったのです。
「殿、退路が開きましたぞ」
勘兵衛は、本陣に声を掛けました。その声を合図に、殿様を始め味方の兵は、ホッと胸を撫でおろしたのです。
隣の藩の若殿様は、逃げ帰ってきた家来の報告を受けると、
「あと一歩という所で、勘兵衛にしてやられたと申すか。まだ耄碌してはおらなんだか。しかし、このままでは帰れん。我藩の威信を見せつけてやるために、何としてもここは一泡ふかせやらねばなるまい」
と言って、家臣達に策を訊ねたのです。すると、一人の老齢の家臣が、
「若殿、我に追討の命をお出し下され」
と言って、若殿の前に進み出てきました。
「爺、そちの息子である効之進を、よもやこの戦で失うとは思ってもいなかっだけに、そちには申し訳ないことをした。仇討ちしたい気持ちは、察するに余りあるが、されど戦に私情は禁物。そちは控ていよ」
「若殿、爺にそのようなお気遣いは無用でござる。戦に生死をかけるは、武門のならい。わたしも息子も戦を始めた時から、死は覚悟しております。息子が討たれたからといつて、闇雲に戦をしようとは思っておりませぬ」
と言うと、老齢の家臣は、若殿の傍に歩みより、耳打ちをしたのです。
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