第4話

 登城することを止められ、屋敷での養生を言い渡された勘兵衛は、翌日より、刀や鎧の手入れをして過ごしました。それが終わると、家の掃除、更には庭の草むしりと、毎日しなければならない仕事を見つけて過ごしていましたが、半月も経つと、何もすることがなくなり、日がなぼーっとして過ごすようになりました。すると、まるで隠居した年寄りのような気持ちになって来たのです。

ーこれはいかん。儂は、まだやれる。年寄りではない。

 そう思うのですが、何をしたらよいのか分かりません。それに、養生の身で、外出して何かをするというわけにもいきません。結局、運動のため屋敷内の土地を耕し、野菜や豆を作ってみることにしました。とはいうもの、今まで武術の稽古しかしてこなかったものですから、刀や槍などしか扱ったことがない者が、道具を鍬や鋤に変えて耕してもうまくいくはずがありません。力だけはあるので、切り落とした木の根を掘り起こしていく事などは出来ますが、あちこち穴だらけになり、まるで猪が荒らした跡のようで、到底耕地にするまでにはほど遠いものになりました。おまけに、力任せに鍬や隙を使うので何度も壊れます。更には、野菜や豆をどう育てていけば良いのか分からないのですから、話になりません。

そんな事を半月も続けていますと、いつの間にか、村の者が屋敷裏に聳え立っている小高い丘に、二人、三人と集まり始めていることに気がつきました。しかも、勘兵衛のしていることを、遠目で眺めているのです。

 勘兵衛が、その者たちを睨みつけるように見上げますと、すぐ散ってはいくのですが、しばらくするとまたどこからとなく集まってくるのです。

 数日間は、睨むことで追い払っていたのですが、追い払ってもすぐまた集まってきますし、しかも、日を追うごとに、その人数が増えていくものですから、途中からもうどうでもよくなってしまいました。

 そんな日が続いたある日のこと、

「勘兵衛様」

と言いながら、一人の童子が息せき切って、勘兵衛の屋敷へと駆けてきたのです。童子は、耕している勘兵衛の近くに座り込むと、すぐ土下座をして、

「勘兵衛様、お願えでございます。おいらと一緒に来てくだせえ。お父を、お父を助けてくだせえ」

と訴えてきたのです。勘兵衛が、

「何事じゃ」

と訊ねると、童子は、勘兵衛の袴の裾を掴み、

「来て、助けてくだせえ。お願えします」

と言って、離そうとしません。

「何があったのだ。はっきり申せ」

「来てくだせえ。約束してくだせえ。でないと離しません。それに一刻を争うのです」

 童子の眼は、真剣です。

「わかった。行く。だから、話してみよ」

「おいらのお父は、蔓山の梺で隧道を掘っていたんだけんど、さっきの地震で転がり落ちてきた岩が、入口を塞いじまったんです。ここままでは、みんな死んじまう」

と泣きながら訴えたのでした。それを聞いた勘兵衛は、近くにあった荒縄を襷にすると、袴の後ろをはしょって帯に挟み込み、

「わかった。案内せえ」

と童子に言うと、すぐに駆け出したのでした。

 童子の案内で、半刻も走って着いた所は、最近我が領地を広げようと、隧道を掘って開拓を進めていた場所でした。

「童子。父ごはどこだ」

「その岩場の梺です」

 目の前に見える崖を梺に目を向けますと、男たちが半円を描いて、集まっているのが見えます。そこが、隧道を築いている洞窟がある場所のようでした。

 勘兵衛は、その輪をかき分け、洞窟の前に進んで行きました。洞窟の前では、屈強な男たち四、五人が、太い木材を梃子にして、寺の大鐘の二倍はあると思われる岩を動かそうとしているところでした。その作業の間に、岩と洞窟の隙間から、助けを請う男たちの声が聞こえてきます。

 周りの男達の話では、閉じ込められた洞窟の中に、あの村長もいるという話でした。開拓の陣頭指揮をしていて、洞窟に入っていたところを塞がれてしまったというのです。

「どけどけどけ、儂がやる」

と、勘兵衛が言うと、作業していた男達は、すぐさまその場所を明け渡しました。

 勘兵衛は、岩の下半分に両腕を回してがっちりと掴むと、腰をぐっと落とし、その岩に身体全体をぶつけるように力を込めたのです。

「ぐおー。どどっ。どどどどりゃー」

と、天地を揺るがす掛け声が、辺りに響き渡ります。身体中の筋肉が大きく膨れあがったかとおもうと、肌一面の血管が浮き上がって、赤く染め上げていきました。その姿は、敵の軍隊に攻め入り、真っ赤に染まった勘兵衛の姿を思い起こさせました。勘兵衛は、赤鬼となったのです。

 その姿に恐れをなしたのか、岩は自分の居場所を明け渡すかのように、徐々に位置をずらしていきました。数分間の格闘の後、ようやく人間一人が抜け出られるような三日月型の隙間ができたのです。

「いまだ。早く抜けろ」

 洞窟近くにいた男たちの一人が、中にいる人たちに声を掛けました。それに反応して、洞窟に閉じ込められていた人たちが、蟻の行列のように次々と抜け出てきたのです。三人、四人と続き、五人目には村長が出てきました。

「勘兵衛様。全員が抜け出ました」

そう村長が声を掛けると、それを聞いて勘兵衛は、おもむろに岩から手を離し、その場から飛び退いたのです。岩は、自分の居場所を取り戻そうと、元の場所へと動き出し、最後にドドンという大きな地響きを立てて止まりました。それを見た勘兵衛は、

「岩よ、儂が来たなら必ず席を明け渡すのだ。よう心得よ」

と、気炎を吐いたのです。が同時に、その場に倒れてしまいました。

 気がつくと、勘兵衛は、自分が大きな屋敷の蒲団に寝せられていることに気が付きました。傍らには、村長の娘がいます。看病で疲れたのか、居眠りしていました。その様子をしばらくじっと見ていると、娘は見つめられている事に気がついたらしく、ハッと目が覚め、すぐその部屋から立ち去って行きました。

 すると間もなく、忙しい足音が障子越しに聞こえてきて、障子戸が開くと、娘の肩に捉まって歩いてきた村長が、ひれ伏しながら、勘兵衛の前にやってきました。

 勘兵衛が、上半身を起こそうとすると、村長は、

「そのまま、そのままに」

と制止するのでした。

「儂は、どの位寝ていたのか」

と寝たまま勘兵衛が訊ねると、

「丸二日寝ておりました」

と返事が返ってきました。

「左様か。それは迷惑をかけた。すぐに屋敷に戻る」

 そう言いつつ起きかけると、

「いや、あなた様は命の恩人。しばらく、当家にお泊まりくださり、ご養生くだされ」

と押し留められたのです。そう言われたものの、武士としての矜持もあり、無理して立ち上がったのですが、身体が大きくふらつき、めまいがしため、その場に座り込まざるを得ませんでした。こんな状態では、屋敷に帰っても何も出来ぬだろうと判断した勘兵衛は、結局その言葉に甘えて、二、三日留まることにしたのです。

 村長の屋敷に留まっている間、家の者たちは、何かにつけて「命の恩人」と、痒いところに手が届くように、勘兵衛に気を遣ってくれました。そのため、居心地が良く、更には屋敷内で一緒に過ごす人がいるという楽しさもあって、一週間が過ぎ、二週間が過ぎ、たちまちのうちに、二ヶ月も屋敷に泊まるようになってしまったのです。

 とはいえ、その間、何もしないでいるわけにはいきません。はじめの一週間こそ、床に臥せっていましたが、身体が良くなるにつれ、何もしないでいることが苦痛になってきました。そこで、世話になっている礼もかねて、水汲みや薪割り、馬の世話などを進んで手伝ったのです。更には、村長の敷地内で畑を作り、ついには百姓のまねごとまでし始めたのでした。

 そんな勘兵衛の姿を見て村長は、身体を心配し、黙って養生するように押し止めるのですが、勘兵衛は、耳を貸そうとはしません。

 畑を耕していると、そんな勘兵衛の姿を、近くの村人たちが見物がてらにやって来ては、微笑ましく見ていきます。その中には、勘兵衛を見れば、泣き出したり姿を晦ましたりしていた女たちや童子たちも含まれていました。

ー儂の顔を見るたびに、逃げまどっておった者たちなのに・・・

と思うのですが、村人たちは、そんな怖い者などいなかったように振る舞うのです。勘兵衛からすると、自分が変わったわけでもないのに、なぜ自分を見る村人の目がこうも変わってしまったのか不思議でなりません。

ー儂が恐れられるようになったのは、外敵から藩を守るためであった。それが大事と思ったからこそ、血塗れになって、真剣戦ったのだ。そうやって殿を守り、藩を守ってきた。それが、たとえ民に怖がられることになろうとも、自分の使命でしてきたのだ。今回、隧道を閉じた岩を力いっぱい押して民を助けたのも、それと同じだ。藩を潤そうと一生懸命働いている民の命を助けることは、藩を守る儂の使命だからだ。儂は志を曲げたわけではない。にもかかわらず、自分に対する民の態度が、異なり始めている。それが奇妙だ。

 そんなことを思いつつ、勘兵衛は、畑仕事を進めていたのです。

 更にひと月が過ぎると、畑に蒔いた大豆から、芽が吹き出し始めました。その芽が、双葉となって出揃ってくると、その可愛さに口元が緩み、植物を育てる楽しみが、何となく勘兵衛にも分かってきたような気がしました。多くの命を奪い、たくさんの物を破壊していく戦に比べ、植物を育て、食物を作り出すということは、人にとって意義のある仕事であり、のどかで暖かい行為に思えたからです。

 そんな気持ちで双葉を眺めていると、見るからに人の良さそうな年寄りが近寄ってきて、

「勘兵衛様、百姓は面白いかね」

と声をかけてきたのです。

「面白い」

と返事をすると、

「実ると、もっと面白いだ。一ぱい手をかけてやんなせい。もっと楽しみになるだ」

と言って笑いながら立ち去って行ったのです。

「左様か」

勘兵衛も笑いました。愛想笑いではありません。心から笑えたのでした。

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