第3話
その日の夜、下城した勘兵衛は、屋敷に戻ると、ふて腐れて寝ころんでいました。
屋敷といっても、居間が二間に土間が一つの小屋のようなものです。
父勘衛門は、武士の本分は武芸であるとして、質素倹約を旨とし、必要最低限の家財しか残さなかったのです。もっとも、小藩だったので頂いていた石高も少なく、贅沢できるような余裕もありませんでした。
とはいえ、父も母も既に亡く武芸の稽古と藩の警護に明け暮れていたため妻もいない勘兵衛にとってみれば、金を使うこともなく、家事などは幼少のころから使えていた老夫婦が二日に一度やって来て、洗濯や炊事など日々の細かなことを済ませ、近くの自宅に戻って行くので、ほとんど一人で住んでおり二間でも広いくらいでした。
夕闇が迫ってきた頃です。
ふと気づくと、勝手口の戸を叩く音が聞こえてきました。時は、すでに戌の刻を過ぎています。
「こんな夜中にだれが訪れてきたのか」
と思い、小刀を手して戸を開けると、すぐ目の前に、この地区の村長とその娘が、地べたに座り込んで土下座をしていたのでした。
「そなたたち。この夜中に儂に何用ぞ」
と、驚いた勘兵衛が問い質しますと、
「勘兵衛様、ここ数日のご無礼を、どうかお許し下さいますようお願いに参りました」
と、村長が顔を上げずに答えたのです。
「本日は、村の者たちを代表し、謝罪に参上致しました。日頃より、村の者たちは、勘兵衛様を恐れ敬い申しあげておりますが、昨日、勘兵衛様の仕草についお笑いしてしまいました。されど、あれは勘兵衛様を笑いものにしたのではございません。夜分遅くご無礼かと存じましたが、それを早くお伝えしたく、参上した次第でございます。村の者は皆、この国を守って下さっている勘兵衛様の御恩を忘れているわけではございません」
「ならば、なぜ笑った」
「嬉しかったのでございます」
「嬉しいとな。これはまた、異な事を言うものよ。何が嬉しいのか、申してみよ」
そう言われて、村長が頭を上げました。勘兵衛は、村長が取り繕うために、いい加減な出任せを言っているのだろうと思っていたのですが、その顔つきが、意外にも真剣だったことに驚かされました。
「はい。勘兵衛様は、日頃より何とお噂されておりますかご存じかと思います。そう、『鬼』です。血で真っ赤に染まった赤鬼と言われておいでです。もちろん、国を守るには他国へ睨みを効かせるために、怖くなければいけないことは充分存じております。なれど、この村の民の者もまた、あなた様に恐れ慄いているのです。これは、勘兵衛様が守っているこの民に必要なことでしょうか。民は、儂らを守ってくださっている殿様のためなら、年貢を惜しげな出すつもりでおりますし、またそうしてきました。そのお味方であるあなた様を、なぜ必要以上に怖がらなければいけないのでしょう。ところがあの仕草で、あなた様も笑うことがあるのだと思えるようになり、一気に氷解したのでございます。あなた様は、鬼ではなく、人なのだと、民のものは、改めて感じることができたのでございます。これは、嬉しいことではありませんか。われわれは、鬼に守られているのではなく、同じ人に守られているんだと感じることができたのです。民の者はその嬉しいさを声に出して表現したいと思い笑ったのです。どうぞその気持ちをお酌み取りくださいまして、ご勘弁くださいますようお願いいたします」
と言って、頭を深々と下げたのでした。更に、
「民の者たちもご容赦願いたいと、少ない食べ物から少しずつ持ち寄り、勘兵衛様にこちらの粗品をお持ちしてまいりました。どうぞお納めください」
と言って、村長のそばにあった包みを、娘に解かせたのでした。中からは大根が一束に、米一袋、それに薪一束が現れ、それを官兵衛の前に差し出したのです。
「いかがでございましょう」
勘兵衛は、我藩が小さく、耕地は少ないことを知っていました。従って、採れる作物も少ないのです。それでも、今回許しを得るために、皆が少しずつ作物を持ち寄ってきたのを見て取り、村人たちの誠意を感じました。その差し出してきた品物を、勘兵衛はしばらく黙って見ていましたが、
「そんなものはいらん。話はわかった。儂は人の施しは受けん。持ち帰れ」
と言ったのです。すると、村長はまだ許していただけないと受け取ったらしく、更に言葉を付け加えたのでした。
「それでも、勘弁ならんと仰せられますなら、この首一つで、村の者たちを許してくださいますようお願い申し上げます。私の骸は、お屋敷を汚さず家に持ち帰るようにと、この娘に言い聞かせてあります」
と言って、頭を下げたのです。娘もその言葉を受けて後ろに下がり、深々と頭を下げました。勘兵衛は、
「儂は、持って帰れと言ったのだ。そなたが死ねば、娘は父親の骸を抱くだけで手一杯になるではないか。さすれば、差し出した物を持って帰れまい。いいから、そなたは娘と共にこの品物を持って帰れ」
そう言い捨てると、戸をピシャリと閉めたのです。
「すると、お許しくださるので・・・」
そんな声が、背中ごしに勘兵衛に聞こえたものの、奥の座敷に行き床に入ったのです。ただ、目はいつになく冴えていました。
ー鬼は人であったと笑うたか。それが嬉しいと笑うたか・・・。
すると、あれほどむしゃくしゃしていた気持ちが、何だがおかしいくらいに晴れ晴れ渡ってきたのです。
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