第2話
その勘兵衛の噂が、やがて殿様の耳に入ってくると、殿様は、再び勘兵衛を自分の前に呼び出しました。
「勘兵衛よ。余の命に従い、約束を違わず帯刀せず登城していること、誠に天晴れ」
「ハハッ」
「されど、勘兵衛。そなたの登城の顔つきが、おかしいと民の者たちの評判ぞ。しかと相違ないか」
そう言われて勘兵衛は、ぐっと言葉に詰まりました。たしかに、帯刀していないことで心が落ち着かず、平然としていたとは言えなかったからです。とはいえ、ここで否定しなければ「小心者」と思われると考え、
「そのようなことはございません。いつもと同じ顔つきで登城しております」
と、言い張ったのです。
「さようか。なんとなく懐寒い顔をしているように見えた、との噂を聞いたがそれは偽りであったか」
「埒もないことを・・・。だれが、そのようなことを殿のお耳に・・・。嘘偽りに決まっております」
「左様か。さもあらん。そなたのことゆえ、帯刀しないなどの些細なことで不安になるなど、片時もあるまい。いやそれどころか、カッカッカツと、笑いながら登城していることであろう」
「当然でござる」
「その笑い声が、民の者には、聞き慣れぬゆえ、奇妙に聞こえたのかも知れぬ。いや、もしかして、その声を聞いて、そなたを、なんと胆の太い方かと思った者もいたかもしれんの」
勘兵衛は、その言葉に呼応するように、
「それなら、心当たりがありまする」
と答えたものでした。
「いや、すまぬ。訊ねたかったのは、それだけじゃ。もう下がってもよいぞ」
勘兵衛は、笑いながら殿様の前から下がりました。ですが、殿様の話を聞いて、村人が自分の不安な気持ちを見透かしている思うと、恥ずかしさと悔しさで顔が真っ赤になったのです。
ーそれならば、明日からは、殿の前で宣言したとおり、毎日豪快に笑いながら登城しなければなるまい。
と思ったのでした。
翌日、登城の勘兵衛。おかしいことは何もないのですが、それでも、豪快さを装うために笑わなければななりません。自分で決めたことでした。
そこで、何はともあれ、まず形より入るが良策と考え、普段「へ」の字になっている口の両端を思い切り引き上げてみました。そこに、笑い声を付け足してみますと、
「ふぁっ、ふぁっふぁっ」
という声が、半開きの口から出できます。
その笑い声は、まるで歯の抜けた爺様が、照れ笑いをしたときのようで、何とも気が抜けるものでした。
ここ数年来、笑うことに縁の無い生活を送っていた勘兵衛にとってみれば、そんな笑声しか上られないことは、仕方のないことだったのです。
一方、そんな笑声を耳にした村人たちは、
「何の音だろう」
と、聞き慣れない音を心配して、その源を探し出そうと、あちこちを見て回ったのでした。
すると、その音は、登城する道中から聞こえて来ることがわかり、視線をそこへ向けてみると、そのおかしな笑いの元が、なんと勘兵衛だったことが分かったのです。皆はびっくり、目が丸くなってしまいました。
その後、今度は急激なこらえきれない笑いが襲ってきました。
勘兵衛様は怖い。とはいえ、なんともこみ上げてくるおかしさに抑えが効きません。恐ろしさの隙間を通り抜けて、笑いの波が打ち寄せてくるのでした。それでも、村人たちは、遠慮がちに下を向いて、
「くっ、くっくっ」
と笑いをこらえようとするのですが、それがまた、おかしさに変わるのです。
一方勘兵衛は「笑う」という行為に集中していて、村人の様子など目に入っていなかったのですが、クスクスという声が聞こえてくると、村人たちが、遠巻きに一人、二人と集まってきているのが見えました。そこで初めて、自分が笑われていると気がついたのです。その様子に勘兵衛は、顔を真っ赤にして、
「何を笑うか」
と怒鳴り返しました。ですが、両頬を無理矢理引き上げている口元は、すぐには戻りません。
「わにふぉ、ふぁらうふぁ」
と、どうにも閉まらない声が出てしまったのです。そこで、拳を振り上げて威嚇してみせたのですが、それも、どうもぴたりと型が決まらず、へろへろへろと腕が上がっていったのでした。それを見た村人たちは、更におかしさがこみ上げてきて、
「ガハハハハッ」
と、今度は鳳仙花の実が弾けたように、ここそこに笑い声が立ち上ったのです。
「か、か、か、勘兵衛様。こ、こ、こらえて下せえませ。わ、笑いが止まりませぬ」
と、言う者もいれば、
「笑わせねえで下せえ。おら、腹がよじれる。腹がイテエ。し、死んじまうだ」
と、言う者も現れる始末でした。しかも、呼応して村人たちが集まってくるごとに、その笑いの渦は、どんどん広がっていくのでした。
こうなると、もう今日の登城はだめです。
その日勘兵衛は、自分の屋敷に戻ってしまいました。
次の日早く、勘兵衛は、馬を走らせ殿様にお目通りを願ったのです。
「このように早く、何用じゃ」
「殿、殿は、拙者を民の笑いものにしようと思うておるのではありませぬか」
「藩の守り神たるそなたに、そのような気持ちを持ってはおらん。わかっておるではないか」
「されど、殿の仰せに従ったおかげで、今では拙者、民の笑いものになっておりまする」
「気のせいじゃ。捨ておけ」
「そうは、まいりませぬ。殿は、拙者の警護がいらぬお世話とお考えになられているのではありませぬか」
「そんな事は思ってはおらぬ。そちは今、帯刀できないことで、気が滅入っているのであろう。しかも、頭に血が上って、しっかりと考えることができぬと見える。もう少し心を落ち着かせてから話しに参れ。それまでは屋敷にて養生せよ」
そう言うと、殿様は陰で少し笑いながら、そそくさとその場を立ち去られたのでした。
勘兵衛はおもしろくありません。
ー儂は、父の言いつけを守り、武芸に励むとともに、常に警護を怠ること無く勤めてきて、ずっとこの藩と殿を守ってきたのだ。その儂が、なぜ屋敷で養生せねばならぬ。儂はこの藩にとって必要の無い人間だというのか。儂は病人ではない。狂ってはおらん。
と、ぶつぶつ呟いては、憤るのでした。
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