鬼の勘兵衛

@takih

第1話

  プロローグ

私の祖母は、昔お城があったと言われているところに住んでいました。

一時期、明治維新で焼け落ちたそのお城を再建しようと計画し、当時の市長が中心となって、この『城山』地区に住んでいた人達へ転居の申し入れがあったそうです。ですが、祖母は、

「ここは、祖先が殿様から拝領した場所」

と言い張って、頑として立ち退こうとはしなかったそうです。結局再建の話は、いつしか立ち消えになってしまいました。

 その祖母が、よく聞かせてくれた話があります。

『むかし、むかしのことだ。

 お侍の時代になって、ようやく世の中が穏やかになってきたころの話だ。

 あるところに、大きな国と小さな国が、隣どうしで並んでいたんだと。

 その小さな国が、大きな国に飲み込まれなかったのは、そこにたいそう強くてこわいお侍がおったからなんだと。

 そのお侍は、隣の大きな国の侍たちが、この小さい国へこぞって攻め寄せたとき、ただ一人、馬にまたがって立ち向かい、背の丈二倍ほどのある刀を振り回しては、次々と敵の首を撥ねたんだそうだ。

 奇妙なことには、その時どこからともなくのつぺらぼうや女狐など、次々と妖怪たちが現れて、そのお侍を助太刀したんだと。

 日の落ちる頃には、敵の首から吹き出た血と夕焼けで、そのお侍の体は真っ赤に染まって膨れ上がり、まるで大きな赤鬼のように見えたんただそうだ。

 戦が終わって、敵の首の数を数えてみると、百は下らなかったと。

 そのお侍の名前は、堀江勘兵衛といったそうだが、それ以来、鬼の官兵衛、『鬼勘』と呼ばれるようになったんだ。

 それからというもの、ほかの国が、この国を攻めることは、無くなったんだと』

 この話をすると、決まって最後に祖母が、

「この人が、家の祖先なんだよ」

と付け足していました。祖母はこの話をすることで、祖先が武士だという矜持を孫の私に教え込もうとしていたのかも知りません。ですが、当時の私にとっては怖さだけしか残りませんでした。

 当時の祖母の年齢に近づいた私は、祖母の思い出と共にこの話のことを思い出し、この話を自分なり物語ってみることで、子供のころに受けた印象とは違った解釈をしてみたいと思うようになったのです。


  一

 大きな戦があってから、数十年後の話です。

 大小隣り合った小さな藩に、堀江勘衛門の息子で、堀江勘兵衛というお侍がおりました。勘兵衛は、幼い頃から、当時指南役であった父に、剣術はもちろんのこと槍、斧、手裏剣など武芸全般について厳しく教え込まれました。というのも、小さな藩にとっては、家来一人一人の武芸の腕が、藩を守ると考えられていたからです。

 その甲斐あってか、国全体が戦の波に巻き込まれたとき、勘兵衛は、留守居役の父の代わりに、若干十三歳で出陣すると、真っ先に敵の陣地に入り込み、次々と首を刎ね、数々の殊勲を上げたのでした。

このとき、相手から浴びた返り血と、大きな厳つい身体つきが相まって、

「まるで、赤鬼のようだ」

と言われたことから、「鬼勘」と渾名されるるようになったのです。「鬼勘」の猛勇果敢の噂は、藩の内外に鳴り響き、そのため当藩が弱小藩であったにも関わらず、他の藩の侍達が迂闊に入り込むことができないでいました。

当時の官兵衛は、右手に金棒のような太く重い鉄の槍、腰には斧のような刀身が厚い刀、更には鎧や兜を身に付け、いつでも出陣できるような出立ちで、毎日お城の勤めに出ることが、日課となっていました。そんな姿で村をのし歩き、登城していたのは、

「儂亡き後は、倅であるお前が若殿をお守りし、この藩を守っていかなければならぬ」

と父勘衛門から、常々言われていたからです。

 それというのも、今の殿様は、父勘衛門が大殿様から預かって、お育て申しあげていたお方で、大殿様が若殿様の行く末を心配しつつ、先の戦の心労から亡くなってからというもの、この若殿様を守り立派な領主として育てることが、父勘衛門の最後の役目だと思っていたからです。しかし、その父も大殿様に追随するかのように七年前に流行病に罹ると、死を目前にして後を息子に託したのでした。

 勘兵衛は、この父の遺言を守り、この藩は「鬼勘」が常に目を光らせて守っているぞということを、国の内外に知らしめるため、鎧姿で毎日登城していたのでした。

 そんな勘兵衛の姿を見た藩の村人たちは、最初は、藩の平和と安全を守っている守護神のように思っていたのですが、毎日、口ひげを針の山のように蓄え、赤ら顔で大声を出しながら怒ったように駒を進めるその姿を見続けていると、本当の鬼が来たように思え、恐れ慄くようになっていました。童子たちは、遠くから勘兵衛の姿を見つけると、雷様がやってきたように思えて、

「捕って喰われるど」

と泣き叫び、女たちは、

「首つこ、撥ねられる」

と言っては、すぐさま跳んで家に帰り、引き籠もるというような有様だったのです。もっとも、勘兵衛本人は、怖がられることを、一向に気にせず、むしろ図に当たったと喜んでいたのですが……。

ところで、そんな勘兵衛の行動を好ましく思っていない人物がいました。それが、この藩の殿様です。というのも殿様は、常々、

「力で治める世は、もう終わった。これからは、国を豊かにし、法によって治めなければならぬ」

と考えていたからです。ですが、勘兵衛は、そんなことを爪の先ほども考えてはいません。登城するやいなや殿様に、弓や刀等のを武芸の練習をするよう毎日促すのです。その度に、殿様は、

「もう戦乱の世の中ではないのだから……」

と言ってみるのですが、

「武士は、武芸が全てに優先されなければなりませぬ」

と言い返されてしまうのです。そう言われてしまうと、家臣であっても、大恩あるお守り役であった勘衛門の息子であり、藩の殊勲者でもあるため、殿様とはいえ何も言えません。とはいえ面白くない気持ちは残ります。正直なところ、殿様はすぐに武芸を口にするこの勘兵衛が苦手でした。そのため殿様は、この時代遅れの勘兵衛の頭を何とかして変える手立てはないものだろうかと常に考えていたのでした。

 ある日のこと、殿様が、いつものように赤兵衛に謁見すると、こう言ったのです。

「勘兵衛、もう戦乱の世ではない。鎧兜をを脱いで登城せよ。そうそう腰の刀も要らぬであろう」

「なんと仰られる。殿は、拙者にこの藩の警護をやめろと仰るのか。それどころか、武士の魂である刀を捨てよとは、拙者に隠居しろとでも仰られるのか!」

「そうではない。そなたが豪の者であることは、すでに国の内外に知れ渡っておる。わざわざ危険を侵して我が国に攻めようと考える者もおるまい。ならば、鎧兜を身につけて登城する必要はないのではないか。常に鎧兜を身につけていることこそ、逆に弱いのを隠すために、身につけているではないかと思われてしまうかも知れぬ」

「拙者が弱いと仰られるか!」

「そう考える者もいるかもしれぬと言っておるのじゃ。刀にして同じこと。刀を持って登城しなくても、そなたを襲う不心得者はいまい。ならば、わざわざ刀を腰に差して歩かずともよかろう。むしろ腰に差さないでいることこそが、強さへの自信の表れではないか。それともそなたほどの豪の者でも、刀に頼らねば、登城することがかなわぬか」

「なんと仰られる。切りつけてきた刀が、拙者の腕に当たれば、刀の方で刃こぼれがするわい。いや、拙者を襲うものなどがいれば、刀など無くともこの腕のみで、まるで大根を引き抜くように首を引っこ抜いてみせましょうぞ」

「左様か。それでは明日から、鎧兜を身につけず、帯刀をしないで登城できるの」

「いかにも、承知つかまった」

 その返事を聞いて殿様は、明日から、武芸の稽古が少し減るかもしれぬと、ほくそ笑んだのでした。

 次の日より、勘兵衛は、鎧兜を身に着けず帯刀しないで登城することになったのです。

 日頃より武芸に励み、自分より強い者はいないと思っている勘兵衛ですから、鎧兜を身に着けず刀や槍が無くても、襲われて逃げ出すなどということは全くありません。刀を腰に差さずに登城することなど、わけもないことでした。しかし、実際に、帯刀せず歩いてみると、刀が無い分軽くて、どうも腰が落ち着かないのです。風が吹くと、腰が柳の枝のように泳いでしまい、何となく不安にさせられてしまうのでした。しかも、それがどうも顔に表れてしまうらしいのです。

 村人たちは、鎧兜を身につけず帯刀していない勘兵衛を見て、最初は何とも思いませんでした。というより、見かけるとすぐ逃げ込んでいたのですから、姿をじっくり見る余裕などなかったのです。しかし、三日も過ぎると、どこか何か変だぞと思うようになりました。

 そこでその事を確かめようと、前より少しだけ長く勘兵衛の姿を見てから逃げ込む村人たちが増えてきたのです。すると、やはりなんかおかしいと感じ始めたのです。まず、それほど怖くありません。前ほどの厳めしさが感じられないのです。それに、何か我慢しているように見えるのでした。今度は、家に隠れながら、登城する勘兵衛の姿を覗き見しようとする村人たちが現れ始めました。その内に、

「大事な刀が、無いではないか」

ということに気がついたのです。

 何人かの村人は、改めて木戸口に顔を近づけ、確かめてみました。やがて、そのことが本当だと分かると木陰から、はたまた家に逃げ込むのも忘れて、立ったまま眺める村人も出てくるようになったのです。

 それが、勘兵衛には、どうも面白くありません。自分の不安な気持ちを見透かされた気がするからです。といって、何か言われたわけでもなく、自分に対する畏敬の気持ちを忘れてしまっているわけでもないので、むやみに怒鳴り散らすわけにもいきません。結局、その場をやり過ごすというのが、いつものことになっていったのでした。

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