書けない

 詩がうまく書けなくなった。

 カクヨムで執筆を始めたのは二年ほど前のことだ。当時の詩を読んでみると、あれほど推敲もせずに書いていたのに今より出来が良い作品ばかりだ。今の私には思いもつかない表現でひたすらに書かれている。なんだか、つまらなくなったなと思う。

 当時の筆者はかなり精神的に参っていた。だから書いていたのだが、ここ最近は死にたくなることはあっても夜が怖いとか、ままならなさとかを感じなくなってしまったから、引き出しが狭くなったのかもしれない。時間に追われて、物事を深く掘り下げることができなくなった。それではあの、やけに生温かいような質感のある言葉を紡ぎ出せなくなっても当然のことと言えよう。

 筆者に詩が必要でなくなったのだろうか。ただの命を繋ぐための道具だったということか。あんまりではないか。

 感想として、読者の方に「生々しさ」を褒めていただくことが多かったが、今の筆者の詩に生々しさを感じることは少ない。今思えばあれは、限りなく死へと近づいていたから書けたものなのかもしれない。生と死の境でずっと悶々と考えて、踏ん張って、どちらへの羨望も捨てられず、みじめったらしく生きていたから、かもしれない。

 生きるしかなくなった今、あのぬめついた感覚たちを再現することなど不可能になった。死を考える時間すらないのだ。気まぐれにただ近づいてみるだけで、本当はそんな気ないくせに。ひどい。ひどいのは私だ。ああ、生きるしかないのだ。

 全てが怒涛の勢いで変化している。あの時の私は、ずっとあそこにいる。いつかその姿が見えなくなると思っても、なんとも思わない。それは良いことなのか、悪いことなのか。わからない。

 人間とは贅沢なもので、あの時脱したいと思った状況からいざ脱した時、その頃が一番良かったような気がしてくるのだ。馬鹿だ。馬鹿は私だった。

 生きるしかなくなった。死が遠い。もう二度と、あの詩は書けない。

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