死とは何か

 死を恐ろしいと思ったことはない。

 それに伴う苦痛に恐れを抱いたことはあるが、死という概念そのものは恐ろしくない。なぜ筆者がそういう価値観に至ったのか、定かではないのだが、おそらく幼少期から親戚や知人の葬儀に行くことが多かったからであろう。

 死は不思議だ。焼香をあげた時にはまだ肉があった人が数時間後には骨になって出てくる。その骨を長い箸で掴んで骨壷に入れる。骨は重かったり、軽かったりする。箸で少し強く掴めば崩れもする。

 焼く前に布で肌を撫でるというローカルな手続きも行ったことがあった。見た目はふっくらとして柔らかそうなのに実際は硬直していて、撫でたら肌が破れてしまうのではないかと思い撫でるのを躊躇したことが今は懐かしい。

 人の死で泣いたことはない。近しい人が亡くなったことがないからというのもある。それだから参列者が故人を思って泣いているのを見ると、ここにいていいのかという気持ちに苛まれる。その場にふさわしい感情を抱けなかったからだ。

 学校が休みになってラッキー。ご飯が食べられて嬉しい。観光気分。

 どうかしていると言われることもあるのかもしれない。確かにどうかしている。人より自分が大事だった。

 人とは、あんな小さな壺におさまれるものなのだ。人とは、焼くと骨が脆くなるのだ。肉がその人たらしめていたのだ。肉が本体なのであろうか。骨はその人ではないのか。しかしその人の体でしか骨は組み立てられない。

 死は平等である。どんな人間にも訪れる。人は死ぬものだ。

 しかし、寿命ではなく不慮の事故で亡くなってしまった人の遺族はそう思えないのだろうなとも思う。人は死ぬものだ。けれどもそんなことを言うべきではない。

 死は、全てなくなると言うことなのだろうか。なかったことになるものなのだろうか。いや、写真は残る。書いた字も残る。育てた花も残る。ならば死は、ただその人が生きている世界が終わったと言うことなのだろうか。

 死は恐ろしいのか。死というものを知らない。けれども死の先に何もないことは知っている。

 永遠の命を持つ方が筆者はよっぽど恐ろしい。終わりがないことは、つまり逃げ場がないことではないか。自分の人生を自分で握れないことではないか。わからない。

 死を恐ろしいと思ったことはない。

 しかしそれは、死の悲しみを知らないからかもしれないと、いま思い至った。

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