●ゴールデンカムイについて
『ゴールデンカムイ』という漫画をご存知だろうか。2022年4月末まで週刊ヤングジャンプで連載されていた漫画で、日露戦争後の明治を舞台にしている。
ストーリーとしては、帰還兵である青年がアイヌの少女と共に、北海道のどこかに隠されたアイヌの金塊を見つけるため奮闘するものだ。
私がこの作品を読み出したのは連載終了も間近という頃だった。以前からタイトルだけは知っていたが、何となくお堅いイメージがあり食わず嫌いをしていたのが読み遅れた原因である。(早くなおしたい)
じゃあ何でそんな食わず嫌いのオタクが急に読み出したんだよ?と疑問に思う読者もいるだろう。これに関しては話せば長くなる。
私は当時、日本画に傾倒していた。絵も描くオタクだったのである。特に月岡芳年とか上村松園、高畠華宵、山本タカト(高畠、山本の二人に関しては日本画とは少し違う)が好きだった。そういうわけで、Twitterで毎日美人画や少年画を探す日々を送っていた私はある日、一枚の画に出会う。
それは二次創作の作品だった。日本画的な構図とタッチだが、塗りや人物の描き込みは現代的な優美さを持ったフルデジタル作品である。私はそこにいる一人の少年に心を奪われた。今まで見て来た中で一番美しい人だと思った。
作者のアカウントを覗いてみると、その絵の少年はなんと『ゴールデンカムイ』に登場するというではないか。私は、「ゴールデンカムイにはこんなに儚げで耽美な少年がいるのか!」と思い、今までの食わず嫌いも忘れて意気揚々とNetflixでアニメを視聴した。勿論、そのキャラクターが登場する回をだ。
結果、その少年は少年ではなく立派な成人男性で、全く儚げではない帝国陸軍第七師団所属の上等兵で、上官が仕置きとして自身の顔に描いた棒人間を刺青にしてしまうような、ぶっ飛んだ男だったのである。何を言っているかわからねーと思うが、俺も何をされたのかわからなかった。
いや本当に、本当に理解が追いつかなかった。最初からちゃんと観れば何かわかるやも知れぬと思い、私は配信されているところまでアニメを視聴した。しかし結局そのぶっ飛んだ男(これを宇佐美時重と言う)のことは、何もわからなかった。ただ、鶴見中尉という、彼の顔に棒人間を描いた上官が大好きということだけしかわからなかった。わからなかったのに、気づけば金カム(ゴールデンカムイの略称)へと沼っていた、というのがことの次第なのだ。
長すぎる前置きだった。そう、まだ前置きである。読者の皆々様は戦慄したかもしれない。オタクの話は長いのだ。どうか許してほしい。
まあ、そういうわけで無事沼に落ちた私は、宇佐美以外にもたくさん推しができた。流石に全員紹介できないので、三人ほどに絞って語らせてもらうとしよう。
当然の如くネタバレを含むので、これから原作を読まれる読者の方は注意してほしい。
【家永カノ】
まずは彼を語ろう。
家永は若く美しい女性の姿を装った、凶悪犯の爺さんである。医者でありながら患者を次々と殺害し、その肉を食うという凶行に及んだ彼には、『同物同治』という思想、とでも言うのだろうか、とにかくそれがあった。
※[同物同治]
体の不調な部分を治すには、調子の悪い場所と同じものを食べるのが良い、と言う考え方。
家永は、若さや強さ、美しさを完璧と捉え、そうあり続ける(ありたかった?)ために人殺しを繰り返していたのだが、そうなるに至ったのにはわけがあった。
妊婦だった母親の存在である。
彼は母を追い求めていた、と作中で語る場面がある。その後に続くセリフでは、お腹の大きな母も自分の中で完璧であり、赤ん坊を抱いた母は聖母のように完璧になる、とあるのだが、私はここを初めて読んだ時、何とも不思議な心地がしたのを覚えている。
妊婦、と言うと一般的には大きくなったお腹を抱える女性を思い浮かべる人が大半だろう。かく言う私もその一人だ。
腹の大きくなった状態を“完璧(または美しい?)”と捉えることは今までなかったし、また世間でもそう捉えられることは体感として稀なように思う。芸術分野でもなかなかないんじゃなかろうか。一応、キリスト教の新約聖書には『受胎告知』というエピソードがあり、芸術作品の中で繰り返し使われるモチーフだそうだが、話自体が受胎の告知なので、当然腹が大きく描かれたマリアの絵は見当たらない。
しかし、彼の中では腹の大きな母親もまた完璧なのだという。
筆者は女性であるが、自身の中に『妊娠』という事象に対してどこかネガティブなイメージがあったこともあり、彼の考え方はそれはもう良い意味で衝撃だった。
救われた、ともあえて表現しておこう。
妊婦は、その体の中にもうひとつの命を抱えている。医療技術の進んだ現代でも、産む際は相当な苦痛を耐えなければならないのが普通で、時には命さえ落とすこともある。彼の重視する『強さ』という要素は、もしかしたらここも含んでいるのかもしれない。
家永は、今か今かと出産の日を心待ちにしていたのだろうか。完璧だった母親は階段から足を滑らせ流産してしまったと、その口から語られた。この出来事が彼の人生に大きな影響を与えただろうことは想像に難くない。
若さ、強さ、美しさ。
これらの要素は、彼の追い求めていた完璧だった頃の母親と符合するが、今一度深く考えてみたいと思う。
まず若さというのは、身体的な健康も包括した若さであろうか。病にかかったり、怪我をしたりすれば赤子諸共完璧な母は死に至る確率が上がる。それを防ぐための若さという捉え方もあったりするのかも知れない。
次に強さだが、これも死に抗う強靭さと安直に考察してみる。もっと強い体であれば、母は完璧なままでいられた。強さこそ完璧を守る鎧だったりするのだろうか。
最後に美しさ。これは捉え直すのが少し難しい。というのも、家永の中では美しさという概念に若々しさや強さが内包されているようなのである。逆に言えば、若さと強さが揃った時に初めて『美しさ』になるということだが、彼の完璧とはほぼ美しさに等しく、美しい(若く強い)から完璧になるのではないか。そう考えると要素間で概念が共有、又はまたがっているのにも納得できる。
そんなふうに“完璧”に執着を見せていた家永だったが、ある一人の妊婦の完璧を今度こそ実現させるために、二発の銃弾をその身に受け最期を迎えることとなる。完璧に固執し散々人を殺めて来た彼が、人を生き延びさせるという選択をしたのだ。
家永はついに倒れて、廊下に大きな血溜まりを作った。奇しくもその形が、妊婦を食べても作り出すことなどできないはずだったあの神秘的な腹の膨らみによく似ていたのが、彼の死に余韻を残す。
【鶴見中尉(鶴見篤四郎)】
鶴見は陸軍第七師団中尉という立場にいる、いわゆる“魔性の男”である。
とは言っても、誑かしているのは女性ではなく主に男性で、もっと言うと、年上の男より年下の男を誑かしている印象が強い。彼の所属する聯隊の全員とまでは言わずとも、その殆どの兵士たちが鶴見に籠絡されていると言われたとて、なんら不思議ではないカリスマ性の持ち主だ。正直、現代に生きる私が第七師団に所属する兵卒だったとしても、彼に籠絡されないなんてことはほぼ不可能に近いだろう。
確かに、彼は魅力的な外見をしている。
戦前は紳士風の上品で甘やかな色気を香水のように燻らせおり、清潔に撫で付けた頭からひとたび細く前髪が顔にかかれば、その瞬間凄まじく耽美な風を吹かすのだ。
戦後は戦後で、奉天会戦で負った傷を保護する琺瑯の額当てが鶴見のアバンギャルドな魅力を引き出し、その振る舞いとも相まった危うさに思わず目が離せなくなる。
だが彼の魅力の本質は外見ではなくその精神にあるといえよう。
鶴見は作中でたびたび、聖母マリアを彷彿とさせる演出をなされている。
例えば107話では、赤ん坊を抱く鶴見と三人の部下(月島、鯉登、二階堂)がひとつの画面に収まっている場面が見つけられるが、これは東方の三博士がキリストの誕生時に訪れたところを描いた画によく似ていて、マリアの位置にはやはり鶴見が置かれている。
256話は特にわかりやすい。生き絶えた宇佐美を片手に抱く鶴見の構図は、『サン・ピエトロのピエタ』そのままだ。
聖母的な要素を含んだ鶴見は、その一方で父親としての役割を描かれることもある。
鯉登の回想ではそれが顕著だろう。兄の戦死をきっかけに、家庭が一時的な機能不全を起こしたことでどこか宙ぶらりんの存在になってしまった鯉登に鶴見が疑似父子的な関係を築きながらケアを施す。最終的に家庭の機能不全は解消されたものの、疑似父子の関係は鯉登が陸軍に入った後もなんとなく続いている。
月島や尾形という父親殺しを行なった人物に対しても同様にその傾向があるのではないだろうか。そもそもにして軍隊の構造が家庭として機能している部分があるから、そう見えやすいというのもあるかもしれない。
死神とか聖母とか父親とか、色々な彼を見て来たものの、最終回まで読んだ今、鶴見をただの『愛情深い人』だったと思うのは少しつまらないだろうか。頭がキレる分冷徹な判断を下すことが多く、利用できるものは全て利用して来たような彼だが、これまで通り過ぎて来たところにはぽつりぽつりとでも愛情の轍が残っているように思えてならない。
私はそういう、どうしても人間味を捨てきれない鶴見が好きだなと思う。
【月島軍曹(月島基)】
月島は日清戦争にも出兵した叩き上げの優秀な軍人で、鶴見の右腕である。
他キャラと比べ小柄な体格の彼だが戦闘能力は作中でもずば抜けており、また屈強で、瞬時の判断能力や任務遂行力にも長けている。まさに兵士になるべくして生まれて来たかのような人物だ。
男女共に高い人気を誇るキャラであるものの、物語の最初は割と影が薄かったりする。しかし展開が進むにつれ月島の活躍も次第に増え、駄々をこねる協力者のご機嫌を取ったり、わがままな若い将校の世話をしたり、モルヒネを打ちまくる部下を阻止したり……と、うむ。これらが活躍と呼べるかは少しわからなくなってしまったが、月島が苦労人なことは読者の方々にもわかっていただけたことだろう。
私は回想編を見て彼をさらに好きになったのだが、きっと私以外にもそこで彼を好きになったという人も多いのではなかろうか。
以下、説明していく。
月島は佐渡島の父子家庭に生まれた。父親は殺人を犯した噂もあるような人物で、それ故に、月島自身も島で「人殺しの息子」とか「悪童」と呼ばれる荒くれ者だった。
誰もが彼を名前で呼んだりしない中、しかし一人だけ「基ちゃん」と呼んでくれる女の子がいた。その子は、髪がいご草という海藻によく似たくせ毛だったことから、皆から「いご草」とからかわれている子だった。(以下彼女を「いご草ちゃん」とする)
いご草ちゃん自身も、人からからかわれるせいできっとくせ毛をコンプレックスに思っていたことだろう。しかし月島はある日、「おめのことが好きらすけ」と言うセリフに続いて、彼女の髪を「いとしげら」と表現する。後になって調べたが、いとしげと言うのは新潟の言葉で「かわいい」と言う意味らしい。
私はこの場面をアニメで初めて観た時、何年振りかのトキメキを感じてちょっと叫びそうになった。だってあの、真面目が服着て歩いてるような男が、好きな人に面と向かって「好き」とか「かわいい」とか言うと思わなかったのである。しかもこの後彼女に「戦争から帰ったら駆け落ちしよう」とも言うなんて思わなかったのである。
一部のファンからは、なぜ月島に女性人気があるのかわからないという声を聞くことがあるが、これが人気の一因でなかろうかと私は思う。
普段仕事にストイックで恋愛の気配など全くない人が、実は情熱的な性格の持ち主だったなんて展開はいくらあっても良い。何故ならキュンキュンするからだ。
「早く結婚しろ!」とか呑気に私が盛り上がっていると急に不穏な空気が流れ始める。恐々としながら観ていれば、なんと言うことだろう、月島が戦死したと言うデマを聞いたいご草ちゃんが海に身を投げ自殺したと言うではないか。
彼は海で彼女の遺体を必死になって探したと話した。探し始めてしばらく経った頃、月島はある疑問を抱いたらしい。自分が戦死したと言うデマを流したのは誰だ、と。
犯人は月島の父だった。
今までの鬱憤が溜まりに溜まっていたこともあり、彼は父親を殺して陸軍監獄に収監されてしまう。
この後、実はいご草ちゃんは生きていた、とか色々怒涛の展開があるのだが、全て書いてしまうと原作者に失礼であるし、これから読んだり観たりする読者の方々の邪魔になるだろうと思うので、今回はここで終わりにする。
長々と書いてしまった。
つまり何が言いたいかと言うと、私は月島基が好きだと言うことである。どれだけ語彙を尽くしてもこの気持ちは伝え切れないだろう。悲しいところも、苦しいところも、私はその全てが好きだ。
このエッセイは果たしてエッセイと言えるのか難しいところだが、エッセイだと思うことにする。これからもたびたびオタク語りをすると思われるが、読者にはどうか許してもらいたい。
さて、この『ゴールデンカムイ』と言う作品、来年の1月には実写映画が公開される。不安がないと言えば嘘になるが、それでも楽しみに思う気持ちの方が今は勝っていたりする。私は製作陣を信じて待とう。
読者の方も興味があれば是非観てほしい。
長々と申し訳ない。ここまで辛抱強く読んでくれた読者を嬉しく思う。筆者が恥ずかしくなったらこの記事は下げることにする。
それまでの期間限定公開だ。
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