人間になりたい

 ド田舎の生まれである。

 少し前までは家も田畑に囲まれていたが、この頃は宅地開発とかなんとかで随分減り閑静な住宅街になった。辛うじて残っている田畑もあるにはある。しかし作り手がいないのか、田植えの季節に水を張ることはなくなったし、年中何かの野菜が生えていることもなくなった。そう言えば猟銃の音も聞かなくなった気がする。昔は山から響いていたはずだったのだが。

 田舎というのは、まあ、合う人には合うのかもしれない。合わない人間にはとことん合わないだろう。

 人が少ないぶん家々の繋がりが強くなるのか情報の拡散力は凄まじい。人の噂なら尚のことである。あそこの娘が結婚しただの、隣の爺さんががんになっただの、子供が産まれただの、そんなんばかりだ。娯楽が少ないから噂や監視が娯楽になっているのだろう。

 男女の役割意識も強い。若い世代はそれほどでもないが、祖父母と同居している人はその傾向が強いかもしれない。

 普段は合理的で賢い人が、男女の話になると急にバグり出すのは何も珍しいことではなかった。そういう呪いがかかっているのである。

 男なら強くあれ、女なら従順であれ。

 男は泣くな、女は泣けば許される。

 みんな少しずつ呪いにかかっていて、そうして下の世代にも同様の呪いをかける。

 筆者は女性なので女性側の事情しかよく知らないが、良い機会なので記そうと思う。きっと共感する人もいるのではないだろうか。

 初潮を迎えた日の夜は赤飯を炊かれた。そうしてその赤飯を家族みんなで食べたのだが、今思えばなかなか気持ち悪い風習である。

 また、体が大人に近づいてくると、「胸がまた大きくなったね」と祖母に面と向かって言われたこともあった。彼女にとっては褒め言葉なのかもしれない。

 同級生の男子に突然腹を殴られたこともあった。意味がわからないまま、腹を抱えながら担任に「殴られた」と訴えたら、その教師は男子生徒に「女の子は将来お腹で赤ちゃんを育てるから殴っちゃだめだよ」と説教していた。どうやら私は人間ではなく、女という生き物として扱われているようだ。子宮の有無に関わらず、人を殴ってはいけないと説明するのではだめだったのだろうか。

 中学では、聞こえてないとでも思っていたのか、二人組の男子生徒がチラチラこちらを見ながら「フェラしてもらえよ」「セックス頼んでこいよ」と言っているのが聞こえた。クソだと思った。

 教師と二人きりで話さなければならない機会もあったが、その時は何故か体を密着させられ肘で胸を突かれた。クソだと思った。

 いずれは結婚して、子供を産むのだと決めつけられることも多々あった。生理痛がひどく、婦人科で診てもらった時はピルを選ばせてもらえなかった。(これは医師による)脚や脇に毛が生えていれば笑われた。男児は女児より大切に扱われた。長男ならなおさらだった。

 最近では、順序立てて話していると理屈っぽいと言われる。相手の失礼な物言いや、偏見に言い返すと怒りっぽいとか怖いとか言われる。黙ってウンウンにこやかに頷いてろってことかよ? と思いながら、努めて冷静にいようとするけれども、正直「うるせえ〜!」と言いたくなる。

 田舎とか都会とか関係ないものも出て来ただろうか。まあ、こんな感じである。男性にも不満があるだろう。社会の変化が激しいのに人間がそれに追いついていないが故の、生きにくさ。これからを生きる子供たちにはこんな思いして欲しくない。そう思って必死にあらがっている、今。地道に変えていくしかないが、今すぐに変わって欲しい人にとっては地獄だ。

 あと何年経てば、皆が人間として扱われるようになるのだろうか。少なくとも、筆者が生きている間には、無理かな。

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