治療室

うさみゆづる

情けは人の為ならず

 正直言うと、幼少期のことはほとんど覚えていない。記憶が薄れている、とかそう言うのではなく、すっぽりと抜け落ちたように記憶がないのだ。昔から人の顔と名前を覚えるのが苦手だったが、それとも少し関係しているのかも知れない。しかし筆者は専門家でないので本当のところはよくわからない。

 まあともかく、ここ数年になって思い出したことがあるので今回はそれをここに記そうと思う。


 小学三年生の時、筆者のクラスの担任は学年中の生徒から「厳しい先生」として恐れられていた。その人は市外にある別の学校から筆者の通っていた学校に年度はじめに移動してきて、多分校内には顔見知りすらいなかったはずだ。

 身体が大きく筋肉質で、今思えば酒やけにも似た掠れ気味の声帯を持ったその人は、振る舞いがやや粗暴であり、抑圧的な態度を惜し気もなく生徒に振り撒いていた。また完璧主義的な傾向も見られ、具体的な例としては、求められた目標を充分に満たして提出された宿題を「紙の向きが違う」と言うだけで突き返したことなどがある。(ちなみにその生徒は他の生徒たちの目の前で泣くまで怒鳴りつけられていた。)

 本人曰く、きっちりしていないと気が済まないタチで、潔癖とのことらしい。しかしながら教室内のデスクも職員室のデスクも、いつも書類やなんかに埋もれていて足の踏み場がなかった。

 また、よく怒鳴る人でもあった。受け持つクラスがまだ幼いこともあり、教師が生徒を叱る場面なんてのは当然あったが、それでも先生に関しては叱ると言うより怒ると言う表現の方が正しかっただろう。

 黒板にチョークを投げつけることもあれば、直接殴りつけることもあった。怒りの対象になった生徒の机を蹴りつけたこともあった。

 でも当時はそれを普通のことだと思っていた。子供にとって、大人は世界である。まさか間違いを犯すなど思わないし、教師ならなおさらだ。だからクラスメイトが先生によって投げ飛ばされた時も、その事態を異常なことであると咄嗟に認識できなくても仕方のないことであると言えよう。

 それは授業の合間の休憩時間に起きたことだった。何がきっかけでそうなったのかはわからない。投げられた生徒はクラスのガキ大将的な立ち位置にいて、先生お気に入りの男子児童のはずだった。

 気づいた時には先生は肩で息をしていた。一方男子児童は棚にぶつけられた痛みからか、それとも投げられた衝撃に驚いてなのか、ひくひくと嗚咽しながら泣いていた。彼らの近くの机や椅子はいくつもひっくり返り、その事態の凄まじさがありありと主張してくるようだった。

 目撃者はたくさんいた。筆者もその一人であった。先生は私たちをチラリと見やった後、男子児童にこう言った。


「お前が悪いんだよ。先生はお前の親から、お前が悪いことをしたら殴ってでも止めろって言われてるから投げたんだ。だからこれは当然のことなんだ」


 それから間もなくして、他クラスから別の教師が慌ててやってきて先生は連行されていった、ような気がする。

 そう、“気がする”。「気がするってなんだよ、曖昧だなあ」なんてふうに感じた読者もいるかもしれない。しかしその曖昧な言葉尻には理由がある。

 この事件を思い出す時、筆者の記憶は二つの視点に分かれる。物理的な立ち位置の話である。男子児童のすぐ近くで見ている視点と、ずいぶん離れた教室の後ろの方で見ている視点。勿論、一人の人間が同じ時間に別の場所にいる、なんてことはあり得ないので、どちらかの視点が事実ではないことになる。

 後になって知ったけれども、これは精神医学や心理学で言う「解離」なるものらしい。つまりは、限界を超えた苦痛や感情から身を守るために、身体と精神を切り離したり、記憶喪失したりする防衛本能という理解で良いのだろうか。間違いがあったら申し訳ない。

 興味のある読者は是非自身でも調べてみてほしい。

 先生の話に戻ろう。

 先生はその事件を起こした後も普通に教壇に立っていたが、次年度にはまた別の学校に移動していった。恐らく前の学校でも同じような騒ぎを起こした結果、筆者のいた学校にやって来ることになったのではないだろうか。そう考えると、今もどこかで子供に暴力を振るいながら、各地を転々としているのかもしれない。

 とは言え、先生をただの「体罰教師」だったとしてこの話を終わりにして良いのだろうか。

 筆者は被害者である。そして先生は加害者である。その立場はどうやったって覆ることはない。がしかし、先生が何故そうするに至ったのか、そうしなければならなかったのか、今一度考える必要があると思う。

 先生は筆者たち子供と会話する機会が多かったのに対し、大人たちとは折り合いが悪く同学年の教師からは腫れ物扱いされていた。時々、母親の介護について溢すことがあった。体臭が酷く臭う時もあった。明らかに健全な精神状態ではなかった。

 これらを読んで、先生に同情した読者はいるだろうか。反対に、そんなことは全くの無関係だと切り捨てた読者はいるだろうか。どうとも思わなかった読者もいるだろうか。

 先生は生徒に対し体罰を行なった加害者である。それと同時に、自治体支援に繋がるべき介護者だったのかもしれない。メンタルケアを受けるべき患者で、同年代と良好な関係を築けるようトレーニングすべき人だったかもしれない。そうすれば体罰事件など起きなかったかもしれない。

 なんだか筆者も何を言いたいのかわからなくなって来た。まあとにかく、負は連鎖していくと言うことである。現に投げ飛ばされた児童はその後、他の生徒に暴力を振るう騒ぎを何度か起こしている。要因は様々だが、体罰が関係していないとは言えない。

 一人の人間を助ける、ということはひいては集団のためになると思う。昨今の自己責任という風潮は、長期的に見れば多くの人間に対して不利益をもたらすだろう。情けは人の為ならず。支援は巡り巡って利益をもたらす。

それでいいんじゃないだろうか。だめだろうか。


 ……それにしても先生、私はあなたの行為を暴力だと気づくまで随分時間がかかりましたよ。あまりに長く忘れていたせいで、恨みも何もありませんけど、でもたまに腹が立ちます。

 ああ、先生。かわいそうな先生……。

 私はもう二度とあなたを忘れません。

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