も〜やんの本棚

@Mowyan228

そして蝮は沼を呑む・其の1



 ⚠️注意⚠️

 こちらは、国立TRPG劇場【沼男は誰だ】第1卓のHO1、辰己将嗣の後日談です。上記動画をご覧になった方のみ、先にお進み下さい。












 ――――――――――――――――



 夢を見る。


 スワンプマンに喰われる夢。

 それも馬久留、藍美さん、そして一緒にあの事件に立ち向かった3人に。

 スワンプマンの捕食は、聞いたところによると一瞬のはずなのに。

 そいつらはゆっくりとゆっくりと、遊ぶように、嬲るように俺を食らい、責める。


 何故助けてくれなかった?

 何故連れて行ってくれなかった?

 何故あの母体を殺さなかった?

 俺は殺して欲しかったのに。

 親友は自分の身を犠牲にしても被害者が増えるのを止めたがったのに。

 警察官のくせに、自分の都合だけで人の命を弄んだ。

 人間のくせに、化け物を殺さずに野放しにした。

 お前は誰も救えなかった。

 お前は何も変えられなかった。

 お前が悪い。お前が間違えた。

 お前のせいだ。お前さえいなければ。


 この世界を壊したのは、お前だ。



 そんな、夢を、今日も。



 寝覚めは最悪。雪もちらつくような時分だというのに、寝汗は酷いものだ。起き上がり、顔でも洗おうかと洗面台の前に立てば、自分でも腹が立つほど、生気のない顔が鏡に映る。

 そんな自分の顔ですら、目を合わせれば俺を責めているように見えた。


 馬久留と、藍美さんと。

 2人が消えた世界は、それでも何も変わっちゃいなかった。

 今日もどこかで沼男が生まれ、それでもまだ変わらずにいるんだろう。

 全ては俺が選んだ事だ。他の3人を押しのけ、自分自身の我儘の為に、世界全てを血の池事件に巻き込む事になってしまった。

 それでも、馬久留が藍美さんとまた幸せになれるなら、良いと思っていた。馬久留があの闇の中から抜け出して、藍美さんが本当に、無理に貼り付けた笑顔ではなく、心から微笑む事が出来るなら、良いと思っていた。

 だと言うのに。俺が選んだ未来は、希望は、数分もしない間にどこかに消えて行った。結局、何も変わらなかったんだ。ただ俺の前から、大事なものがひとつ、ふたつ、なくなったことを除いて。

 本当に正しかったのか。あの選択は間違いでは無かったのか。せめて2人が生きてさえいれば良かったが、今となってはもう誰も答えてくれない。教えてもくれない。手放したものの大きさを噛み締め、答えは出ないまま時は過ぎ。

 気付けば、ため息と血の池の数だけが増えていた。



 今も思い出すのは最後の瞬間の事だ。

 馬久留と藍美さんの声。あの空間には到底そぐわない、優しさと、幸せに満ちた一瞬。最後に2人が満足していたなら、それだけが救いだと思った。

 だと言うのに、時が経つほど未練と後悔は押し寄せてくる。本当にこれで良かったのか。選んだ結果、今の俺が得た物はなんだ。この心にぽっかりと穴が空いたような、空虚な気持ちだけだ。

 分かっている。俺は間違えた。

 あの時、母体を撃ち抜いてさえいれば良かったんだ。沼男が消え、あれ以上被害者も増えず、人は人のまま、怯えること無く生きていく事が出来たのだから。

 何も聞かないまま、あの内藤の手記をただ信じていれば良かった。それなら言い訳は出来たはずだ。母体を殺せば、捕食は止まると。俺はそれしか知らなかったと。

 いや、それは違う。それでいいはずが無い。世界から急に134万もの人が消え、残された人々は、世界はどうなる。耐えられないのは俺だけじゃない。それならきっと、これで良かったはずだ。

 違う。それも違う。そんな事、本当はどうでも良かったんだ。俺はただ、あの2人にそんな最後を迎えさせたくなかっただけだ。せっかく、また出逢えた2人を。あんなに想って想って想い続けて、やっと届いたかもしれない希望を沼に沈めてしまうなんてことが、出来なかっただけだ。

 藍美さんは言ってくれたじゃないか。どんな選択をしてもいいと。

 これは、ただ俺が選び、そして馬久留と藍美さんが選んだ結果だ。これで良いはずなんだ。

 ならば正しかったのか、自分達だけが知っている事を秘めたまま、危険を知らせもせず、世界に怯えて暮らす現在が、本当に良かったのか。

 でも。いや。しかし。

 終わらない。答えはどこにも無い。狂ってしまいそうだ。あいつが失ったものは、その時の思いは、きっとこれより大きかったのだと思うと、馬久留がああなった気持ちも分かってしまう。

 藍美さんは言っていた。知らない方がいい事もある、どうしようも無い事もある。ああ、なるほど、確かに。そもそも、何も知らなければ良かったのかもしれない。何も知らなければ。


 違う。

 それだけは違う。

 あのお節介は、あの面倒事は、絶対に知らないまま済ませてはいけなかった。

 俺は、救えた。救えたはずだ。馬久留と藍美さんを。どうすれば良かった?あの時、時空転移とやらが始まる前に、馬久留の首根っこを掴んで引きずってでも外に連れて出れば良かったのか?

 普段の俺ならそうしなかったか?何故行かなかった?

 あぁ、そう。怖かったからだ。

 それをして、馬久留は、藍美さんは、本当に幸せなのか。このままでおいた方が良いんじゃないか。そんな弱腰な考えで、蓋をしてしまったからだ。

 生きてりゃ何でも出来る。死んじまったら何も出来ねえ。そんな事、とうに分かっていたはずなのに。


 ならば。だから。

 やはり、間違えたのは俺なんだ。



 本当に、そんな事ばかり考える。1、2週間もしないうちに仕事にも身が入らなくなった。繕っているつもりだったが、周りからは相当落ち込んでいるように見えたのだろう。しばらく休んではどうかと上司に言われた俺は、使い道のなかった有給を申請し、休暇を取ることにした。

 とは言っても結局やる事はなく、じっとしていても余計な事ばかり頭に浮かぶだけだった。かと言って外へ遊びに出る気も起きず、徒に吸い殻だけが増えていく。ただ、不思議と1箇所だけ、足が向く場所があった。

 鐘有馬久留の家。家だった場所。決まって何をするでもなくそこへ行き、何をするでもなく無為に時間を過ごし、しばらくすると家へ帰る。そんな日々。

 何をしているのか自分でも分からない。

 どうしてここへ来てしまうのか、何がしたくてここに来ているのか。

 ここまで自分が分からないことは、今までに無かった。そうしているうちに、あの時から1ヶ月と数日。今日もまた、夢を見た。


 気まぐれだった。久々にテレビをつけると、海外でも血の池事件が発生している、というニュースがやっていた。

 国内ではもう使い古しのネタになり、アナウンサーやコメンテーターもさっさと言うだけ言って本題に入りたいと言わんばかりに、ぞんざいに話す。ともすれば、自分たちが既にスワンプマンになっているかもしれない。そんな事も知らずに。

 知らないというのはこうまで幸せな事かと、やるせない気持ちでテレビを消す。見なけりゃ良かった。こんな事ばっかりだ。

 ふと、いつか藍美さんが泣きながら言っていた事を思い出す。

 もし自分が鐘有藍美でないなら、自分は一体誰なのか。

 あの時は、確かに彼女の心が、想いが、藍美さんの中にあった。だから俺は、あなたは昔と変わらない鐘有藍美さんだ、と答えた。

 馬久留も藍美さんも、確かなものが心の中にあった。だから俺は、本物だろうが偽物だろうが関係なく、あの2人があの2人として幸せになって欲しかったんだ。


 なら、この抜け殻と化した自分はどうだ?

 この前天野のやつがいたずら半分によく分からん呪文を使った時には、何の反応もなかった。まだ俺は俺のはずだ。

 それなのに俺は、何をしている?俺がまだ俺でいるなら、こんな所で腐っている暇は無いはずなのに。本物と同じなのに、何かが違う。何も分からないまま、同じ事をして生きているだけ。

 まるで、そう。

 ”出来損ないの、壊れた人形”スワンプマンのようじゃないか。

 そんなやつに、今更何が出来る?

 何も出来ないなら、何故俺は生きている?


 答えが出ないまま、気付けば今日も、あの場所に来ていた。いつもと変わらない、何も無い、空っぽになってしまった場所。まるで、俺の心のような。

 何も出来やしない。何も変えられやしない。夢の中のあいつらが言う通りだ。

 この世界を壊しちまったのは――――


「俺、か……」


 思わず口から零れる、逃れようのない事実。

 俺が、壊した。この1ヶ月、何回も何回も噛み締めた絶望。

 無力だ。あまりにも。俺は結局、何も出来なかった。そればかりか、救うことが出来たかもしれない世界を、命を見捨てた大馬鹿野郎だ。

 世界の全てが俺を責めている。気がするだけかもしれないが、もうそんな事分からない。どうでもいい。

 悪いのは俺だ。分かってる。でももう疲れた。許してくれ。助けてくれ。誰でもいいから、俺を――――



「辰己さん」



 冬の静かな空気を裂いて、声が聞こえた。

 耳に届いたそれは、胸にすうっと解け落ち。冷えた身体に染み込み、心臓をひとつ大きく跳ねさせた。

 俺の中にあった、淀んだものを一気に押し流すように、強く強く、ドクン、と。

 反射的に目を向けた先にあったのは、女性の小柄で華奢な身体。陽の光を浴びてきらめく美しい黒髪、弾けるような笑顔。最後に見た時と何も変わらない、俺が救いたかった人。

 全身に血が巡り、身体が熱くなる。炉心に火が入ったような、止まった時が動き出すような、そんな感覚だった。


「藍美さん……ですか……?」


「ふふっ。戻りましたよ!」


 嬉しそうに弾む声。泣きそうになるほどに。

 藍美さんじゃないが、色んな言葉を考えていたはずが、何も出てこない。やっぱり、人間なんてこんなもんだ。代わりに、あぁ……なんて気の抜けた声が出た。


 無事でよかった。通ってはいたが、まさか本当に会えるなんて思わなかった。今までどこでなにをしていたんですか。

 詰まっていた言葉が一斉に溢れ出し、途切れ途切れになり、要領を得ない質問をしている。自覚はあるが、どうしようも無い。

 藍美さんはくすりと、それすらも嬉しそうに笑う。


「話せば長くなります。でも……やっと。戻って来れました」


 彼女の目元は赤らんでいた。泣き腫らした跡なのか、それを気にしない辺りは今の藍美さんらしいと思うと、少し気が楽になった気がした。間違いなく、あの3日間を共に過ごした藍美さんだ。


 彼女が無事にここに居るという事は、あいつは上手いこと過去に戻れたんだろうか。過去の藍美さんと、話す事が出来たんだろうか。過去の藍美さんと、どうなったんだろうか。過去の馬久留も居るかもしれないし、無粋な真似はしてはいないと思うが。

 あいつは、救われたんだろうか。


 心配もある。彼女は馬久留と話せたんだろうか。帰ってきました、と伝えた返事を、貰ったんだろうか。それなら、俺はおかえりなさいとは言えない。彼女にそれを1番最初に言うべきなのは、馬久留だからだ。


 彼女に救いはあったんだろうか。いや、そもそもあの時、馬久留が彼女の名を呼んだ事だけで。彼女を彼女と認めた事だけで、彼女は良かったんだろうか。

 それは俺には分からない。だが、どちらにしても。


「その顔を見るに――――悔いは、無いようですな」


 あぁ、こんな風に笑えるのなら。彼女はきっともう、大丈夫だ。

 洪水のような想いが押し寄せる。大事な2人がちゃんと救われていたのなら。俺には、守れたものがあったんだ。


「まあ……その顔を見れただけでも、私は関わった甲斐がありました」


「本当に。辰己さんもそうですけれど、皆さんが居てくれなかったら、ここに私は居なかったかも知れないから」


 すうっと胸が軽くなる。彼女の言葉は、時折吸い込む冷えた空気と共に俺の中に染み、心身が綺麗になっていくようにさえ感じた。

 あぁ、それなら良かった。本当に良かった。

 彼女がここに居る事を喜んでくれるのなら、俺の選択は間違いでは無かったんだと、今度こそ信じられる。

 目頭が熱くなる。永遠に続くかと思っていた悪夢から、やっと醒める事が出来る。ようやく、前を向いて歩き出せる。そんな勇気を貰った。

 ようやくわかった。なぜ俺がここに来ていたのか。俺は、知りたかったんだ。俺が選んだものがなんだったのかを。そうして、ただ暗い沼の底から、救って欲しかったんだ。

 救われたのは、俺なんだ。

 

「これからは、どうなさるおつもりで?」


「少し、自由に生きてみたいと思います。お家、なくなっちゃったけれど」


 ふふふっと朗らかに笑う彼女。それは流石に笑っている場合ではないが……


「きっと、何とかなります。わたし、強いですから」


「はははは!間違いない、その節は本当にお世話になりました。まあ何か困られたら、いつでも連絡を下さい。友人の奥様ですからな、出来る限りの事はします」


 冗談めかした彼女の言葉に、思わず吹き出す。笑うのなんていつぶりだろう。胸の閊えも、きれいさっぱり取れた気がする。

 

「それじゃあ……また、会いましょうね」


 彼女はもう一度ニコリと微笑む。その顔は、言葉を失うほど眩しかった。

 彼女は振り返り去っていく。掛けたい言葉はあったはずなのに、そんな気の利いた台詞は全部掻き消えて、相槌のようなものしか出てこなかった。

 彼女は強い。人間として、鐘有藍美として本当に強く在る。日常のことに関しては心配ではあるにしろ、この人なら何とかするんだろう。何かあったら、その時は手助けしてあげればいい。

 遠ざかっていく藍美さんを見送る。短い時間だったが、何にも代え難いものを貰った。名残惜しさもあるが、それよりも晴れ晴れとした気持ちが勝る。彼女は途中一度だけ立ち止まり、振り返ることなく去っていった。


 そうしているうちに、いつしか姿も見えなくなり。ほっと一つ息を吐き、帰ろうとしてふと思い至る。

 そう言えば。見惚れていてすっかり忘れていたが、礼を言えていないじゃないか。


「しまったなあ……」


 煙を吐き出し、頭を掻く。

 本当に、上手いこといかないもんだ。まあ良いか、次回で。今生の別れじゃあるまいし。今から追いかけるのも格好がつかない。

 もう見えなくなった藍美さんに、一人静かに頭を下げる。

 そうだ、この世界を壊したのは、俺だ。一介の刑事なんかに、そんなものの責任なんて取れやしない。世の中には確かに、どうしようもない事もある。

 だが、今思えば彼女だってそうだったじゃないか。どうしようもなかったはずの事に挑んで、そして今、あんな風に笑っている。

 出来るかどうかじゃなく、やるかどうかだった。いつの間にか俺は、そんな事も忘れていたのか。

 自分の顔を両手で張ると、バチン、と乾いた音が鳴る。


「よし。しっかりしろよ、辰巳将嗣」


 やるぞ。スワンプマンの捕食を止める方法を見つけ出して、いつか馬久留に会った時には、またあの時と同じように、あんまりマムシなめんじゃねえぞと笑ってやろう。それが、友人としてあいつにしてやれる事だ。

 どこまで出来るかは分からんが、やれることがないわけじゃない。ひとまず、内藤にでも聞いてみるとしよう。いけ好かない男だが、こういう方面に関しては詳しいだろう。解決策が分からないにしても、何か情報があるかも知れん。あの手の奴は経験上、一回鼻っ柱を折ってやったら吠えこそすれど噛みついては来ない。


 さあ、また忙しくなるな。しっかり冬眠た分、しっかり働くとするか――――

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