第九話 帰るべき道

 サタとアシは地面の砂で血を落とし、敷いていた上着でミラを包んだ。


「じゃあ、お母さんの家行こうか。」


サタのその気の抜いた声につられ、アシもふっと身体の力を抜いた。


「大丈夫です?」


「え?何が?、大丈夫だよ?」


サタの顔は暗闇で見えなかった。一方サタの方も、アシの顔は見えない。しかし互いに声は明るく、実は互いに悲しい顔をしていた。包まれたミラの遺体はそのままサタが背負う事にして、あふれでた細かな臓器なんかは燃やすことにした。二人で火を囲い、じっと前を見つめる。微かに炭の匂いと、そして緑の匂いがサタの鼻に触れた。


「あれ、この匂い…、」


そういえばビルの中でもこんな匂いを嗅いだかな。サタは鼻を火に近づけ、手で顔の方に仰ってみる。


「何か匂うんですか?」


「うん、緑の匂い。」


「緑?」


「自然みたいな、水辺の木葉の匂い、みたいな…。」


「へぇ…僕には嗅覚がないから分からないですけど、なんとなく想像はできました。」


木を燃やしているからかとサタは思ったけれど、果たしてそれがビル内で燃える布と同じ匂いを発するものなのだろうか。


 いや、きっと違う。これは肉体が燃える匂いだ。色々な事を試した結果、サタはそう判断した。つまりきっとあのビル内にも、人がいたのだろう。それが生きているか死んでいるかは分からない。どちらにせよ、あの火の海の中を生きる者なんていないだろうし。


「それじゃあ行きましょう。ミラさんの心臓を無駄に使う訳にもいきませんから。」


アシはそっと立ち上がると、サタに手を差し伸べた。サタはその手を握り、グッと立ち上がる。


「…さっき其処にね、足跡があったよ。だからこの道はあってる。」


サタの言う方向には確かに三つの足跡があり、以前自分達が此処を通っていた事を示す。所々に猫の足跡も混じりながら、計六つセットの足型が土に沈められていた。やはり目に入るのは一番小さな足跡。


「ほら、行きますよ!」


アシはぼーっとするサタを急かして歩き出す。ミラを背負い、ランタンを手に、サタはアシの背中を追いかけた。




 彼等が歩き始めてもう数時間。意外と迷いながら進む内に、大分長らく歩いてしまった。やっと“お母さん”の家に着いた時には、もうマッチの残りが僅かな数になり、さっさと家の中を調べる必要があった。


「前に言ってたメモってこれ?」


サタは机の上に丁寧に並べられた紙に手を伸ばし、紙面の文字を確認する。『もう誰も直せないから、身体を大切に』と書かれた方は、明らかにお母さんの文字。そしてもう一つの『これを最初に見つけた人は…』などと書かれてある方はミラの文字だ。お母さんの文字は独特で、平仮名の間隔がとてつもなく狭い。だからほとんどが漢字に見えるし、なんなら外国の言葉の様にも見える。逆にミラの字は漢字の幅が狭く、単純に字が汚い。


「もう直せないっていうのはどういう事なんだろ…?」


「さぁ…でもきっと出掛けて、一生帰ってこないかの様なニュアンスですよね。つまりお母さんも身体を壊したとかで助命ができなくなり、これを書いたと、僕は考えているのですが…。」


すると突然近くの柱がぎしっと軋み、少しは騒がしかった周囲の空気が一気に凍る。年期が入った家だから崩れる可能性も嘘とは思えなくて、二人とも血の気の引いた顔を見合わせ、しばらくしてから二人して口元を歪ます。


 その歪みが笑みに変わりかけた時、またも何かの衝撃音がぬるっと辺りに響いた。




ッドサッ




「「うわぁっ‼︎」」


何かが落ち床にぶつかった様なその音は、丁度アシの右側から聞こえてきた。普通なら自分達の会話の所為で書き消されるようなその音も、こんなにも静かな中では爆発音と化する。


「ちょっとやめて下さいよ‼︎この心臓は大切にしたいんです‼︎‼︎」


完全に取り乱しサタの肩にしがみつくアシを他所に、サタはその方向に明かりを注いでじっと目を凝らした。




(…あれは人間だ……。)




 そう気が付くのにいくらかかっただろうか。今度はサタがアシを抱える手に力を込め、その反応に異変を感じたアシが後ろを振り返る。


「…ぼ、僕が此処に来た時はあんなのありませんでしたよ、」


「今落ちてきたんだよ。きっと、ミラが隠したんだ。」


「み、ミラが?…ぁ、あれって…。」


そう。


 でもミラはお母さんを殺してなんかいない。だってメモがあるから。サタが知る限り、お母さんは素直な人だ。このメモを脅されて書いたとは思えないし、ミラがいくら母に恨みがあったからって殺しにかかるような人じゃないとサタは信じている。


 お母さんは死に、もう誰も救えなくなった。そしてそれを見たミラは…?その先が思い付かない。どうして自分ではなく他人に、材料を配れと指示しているのだろうか。自分は他にやろうとしている事があったのだろうか。だとしたらそれは何なのだろうか。


「サタ?」


いつの間にかこちらを向いていたアシ。ランタンの火を映し出すその瞳を見れば、自分が一人ではないと改めて感じる事ができた。


「…ミラは何をしようとして旅に出たんだろうか。」


サタとミラの旅が始まったのはかなり前。サタがミラの家に訪れ、屋根を“ぶち開けた”あの頃から始まったのだ。もしかすると、ミラは寝込んでいたのではなく泣いていたのかもしれない。それで混乱して、屋根を開けて…?


「ねぇアシ、屋根を開けて良い事って何だろう…?」


「屋根を開ける…天気の良い日には星空が見えますね。雨が降っていれば最悪ですが、あ、あと気持ち分だけ明るくなります。ランタンがない時は外に出るのが一番って言うでしょう?」


「明るくなる?確かに聞いた事があるけど、」


「ほら、丁度其処の天井穴空いてますよ。」


とアシの言う方に行ってみると、確かに気持ち分は明るく感じた。


「そういえば、ランタンの明かりと月の明かりって違うって知ってました?」


「いいや…そうなの?」


「はい。僕の父が言ってたんですけど、ランタンの明かりは煩いから、大きな物を照らせても小さな物は存在をかき消されてしまうんです。だけど月の明かりは静かだから、小さな物を照らせても大きな物が目立たな、」


「ちょっと待って!」


「…え?」


アシの言葉を勢いよく遮ったサタは、突然メモを持って月明かりの注ぐ方に帰ってきた。アシは訳も分からずサタの動きを眺めながら、最後には一緒にメモを見た。


「これ、最後に何か書いてあったんでしょ?」


そうしてサタは月明かりにメモを捧げる。するとそこに一度は書かれて消された、音もたてない小さな存在が、姿を露わにした。




『此処はもうじき、朝を迎える』




それは明らかに、ミラの字であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る