第八話 吹き替える命

「ミラ…ミラ、?」


サタがまだ寝そべっていたミラの身体を揺するも、ミラはうんともすんとも言わない。息だけはあるみたいで、心臓に乗せたサタの手は一定のリズムで上下に揺れた。


「起きそうに無いですね。」


「…おぶってこう。アシは道案内を宜しく。」


「了解です。」


そう言ってサタは鞄から紐と上着を取り出し、それをミラに巻きつける。


「何をしているんです?」


アシが不思議そうな目で見る中、サタはその上着を羽織る様にしてミラをおぶった。


「こうすれば、手を離しても落ちずに済むんだよ。」


ミラは小柄だから、長時間おぶっていてもそう辛くはなさそう。


「大丈夫?」


「うん、全然平気。」


心配するアシを他所に、サタは暗い辺りをランタンで照らした。


 しばらく歩いていく内にあのデボ旗は見つかり、そこにランタンを取り付けると、新しいランタンを取り出してまた火を付けた。こうする事で遠くからでもこのデボ旗が見え、道を間違えたとしても戻ってこられる。ランタンの火が消えて仕舞えばきっと台無しになるだろうから、一応海からは離れた所に設置する。


「じゃあ行こうか。」


ミラが拾ってきたもう一つのデボ旗をアシに持ってもらって、早速彼等は出発する。




 歩いていく途中、何度か休憩スポットを作った。ランタンとミラを降ろし、二人で伸びをする。空は生憎の曇りで、何時もなら見えていた筈の星空も、淡い色で隠されていた。相手の体調を伺うばかりであれから全く会話が進まない中、一匹の野良猫が、座るサタの足元に近付いてきた。


「…お腹空いてるの?」


「何を探してるんです?其処に食料は入ってませんが…。」


猫が向かったのは、サタではなく鞄。中を漁るように口を動かす猫の様子を、アシも寄って見に来た。


「何を探してるんです?其処に食料は入ってませんが…。」


すると猫はニャ〜と低い声で鳴き、鞄の中に入っていたガラクタを幾つか加えて持ち出そうとした。


「あ、ちょっと!」


それは、ミラが大切そうに持っていたガラクタに加えて、旅の途中で取れかけたアシの一部でもある。どのガラクタを持って行かれても困る物ばかりで、アシが必死になるのは当然だった。


 走って追いかけるアシと、軽々と逃げていく猫。サタは追いかける事も無く、逃げる事もなく、すんと顔色を消して見つめていた。あの猫がガラクタを持って何がしたかったのだろうという好奇心と、何故かは分からないけれど、今ミラの側を離れてしまったら二度と会えなくなる気がしたからだ。


「アシ、遠くには行かないでよ。」


サタはそう言って少し待ったが、アシの返事は帰ってこない。姿は見えているから、と思っていたけど、その背中は小刻みに震えて動かない。


「…アシ?何してんのさ。」


ひょいと身体を逸らせて屈むアシを見てみたら、アシは両手に猫を抱えて黙って地を見ていた。


「何があったの?言ってよアシ。ねぇ…ねぇってば!」


「…猫が…、死んだ…殺しちゃいました…。」


振り返りもせずアシはそう言うと、猫を抱え込む腕の力が増す。サタは一歩だけアシの方に近寄ると、腕から猫の頭がぐでんとはみ出し、ピクピクと痙攣した身体がアシに伝わって腕から落ちようとしているのだ。


「え、猫死んじゃったの?」


「心臓は動いているんですけど…痙攣が止まらなくて…、」


「っじゃあまだ生きてるよ!早くかして!」


きっとアシはパニックなのだろう。急いでサタはアシの腕から奪い取ると、鞄の中から布を取り出して地面に敷き、猫を上に乗せて様態を見る。しかし、猫は特に痙攣する程の異状は無く、というか痙攣すらしていない。年齢の所為で動きがものすごく鈍いだけで、しっかり呼吸もしているし、驚いた表情ではあるものの焦点も合わせていた。ではさっきのは何だったんだろう。サタは振り返った。


 するとそこには、アシが身体を地面に這わせてガチャガチャと金属音を発している。痙攣していたのは猫ではなく、アシの方だった。


「アシ‼︎」


猫を追いかけるあまり心臓を驚かせてしまったのだろう。アシははぁはぁと息を切らせ、小声で猫の心配ばかりする。猫は大丈夫だったと伝えて素早くアシのナカを確認してやると、心臓の脈が不規則に動き、バクバクと大きく波打っていた。本の分しか医学の知識がないサタでも、これは特に危険な状態だという事は分かる。


「ダメダメダメ…目を瞑らないで、アシ。今何とかするから。助けるから…、」


今度はサタが必死になって周りを見渡すも、そこに頼れるものなど何も無い。さっきの猫はいつの間にか何処かへ消えてしまったし、唯一いるとすれば倒れきっているミラ。…ん?ミラ…?


 あぁいけないいけないっ。サタは今自分の脳内によぎった考えに、自分自身でもゾッとした。いくら何でもこれは、流石に、だ。しかしずっと目を覚さないミラが視界に入る度、そのおかしな発想は再びサタの脳内に舞い降りる。


「駄目だから、それは駄目だから…。」


かといって他を探そうと周りを見ても、暗くて何もいないしいる気配も感じない。いつまでも目を覚さないミラと、身体を痙攣させて命の危機が迫るアシ。このままでは一人っきりになってしまうという思いが、サタを襲った。今からなのに、これからだっていうのに、旅はまだ終わっていないっていうのに…。




 ついにサタは、ミラの方に手を伸ばした。その震えた手はゆっくりと上着を掴むと、それごとミラの身体を引き寄せる。あぁ、さっきの猫を捕まえていれば良かったのに。あぁ、目を瞑っていたのが自分だったら良かったのに。浅はかな考えしか浮かばない自分を、サタは自ら卑下した。こういう時、皆ならどうしていただろう。ミラなら、一人で生きる道を選ぶかな。アシなら、自分の心臓を捧げるかな。唯、その場合サタの機械心臓は行き場が無くなるけど。


「ミラ、ごめんなさい、本当に、ごめん、」


多量の水分を纏い出す自身の目を何度も拭い、余りのランタンの取手部分を取り外してミラの胸の上に立てた。覚悟を決めて上に持ち上げ、その勢いよく振り下ろせば、僅かな返り血がサタの方に飛んでくる。




 それからの事は、あまりにも早くに済んでしまった。


 サタが複雑な感情に疲れ切った様子で項垂れていると、後ろからポンポンと肩を叩かれる。相手は何も言わなかった。それを良い事に、サタは相手に抱きついた。これまでの孤独を誤魔化す様に、静かに、そして盛大に涙を流して、


血だらけの両手をアシのゴツゴツとした冷たい背中に回した。


「…。」


アシはそっとサタの身体を抱き返してやっと、サタの背後にあったボロボロのミラと対面する。


 アシは正直、何も思わなかった。血淫らに肉が開示しているミラと、血のついたサタの手、そして正常に動く自分の心臓に。けれどそれは一時の衝撃による感情の麻痺作用が働いていただけであって、後にアシはミラの前で泣き叫ぶ事になる。


 そんな二人の側を、さっきの猫がふと通り過ぎた。もしあの時に自分がこの場に留まっていたのなら…まさかそんなことを考えている訳もなく、猫はそっとガラクタを吐き出した。


 それは、ミラが大切にビル内から持ってきたもの。そう、機械の心臓であった。

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