第四話 聳え立つビル
潮風がやや鼻につく程になってくると、ミラは一旦その場に立ち止まる。そしてサタの鞄を勝手に開き、中に突っ込んでいたらしいきゅうりを、ボリボリと食べ始める。
「それ…美味しいんです?」
「うん。美味しいよ。」
ミラは一本のきゅうりを一気に食べ終わり、さぁ行こうと再びランタンを構えた。
「そういえばミラさんが持っている鍵、お母さんに聞いてみた方が早いのでは?」
ふと当たり前の事を言ってくるアシ。それは確かに、とサタは頷くが、ミラは逆の反応を示した。
「…いや、それはしない。」
「何故です?」
「多分鍵を時計の部品に紛れ込ませたのはお母さん。直接聞くのが許されるなら、直接言ってくるはず。」
時計とは、生まれたと同時に一人に一つ渡される、お母さんからの誕生日プレゼントだ。つまり時計を作ったのはお母さん。となればやっぱり鍵を仕込んだのもお母さんなのだろう。
「成る程…因みにですがどちらの時計に?」
「サタの方。」
「…はぁ…?」
「あ、でも元はというとミラの方だよ。ほら、あの時時計を交換したでしょ?」
「そうだった。私の時計だった。」
「…ほぉ…。」
と理解しているのかいないのか分からないアシの返事につられ、二人も段々不安になってくる。「え、そうだよね。」と互いに確認し合う中で、少し昔の思い出が蘇ってきた。
サタが述べたあの時というのは、ミラが家出をした時の事。ミラは全てを監視しようとする母に呆れて家を出た時に、追跡機能のある時計を手にしていては意味がないと、サタの時計と交換したのだ。追跡機能は他所では一家に一人の時計だけ。サタの場合はサタの父親の時計に付いている為、ミラにとっては何の問題もない。そしてそのまま山奥まで逃げ、さっきのあの小屋に住み着いた訳だ。だから鍵が出てきた時計は間違いなくミラの物だし、ミラが壊した時計は間違いなくサタの物だ。
「じゃあ、結局はあの鍵はミラさんが持っている筈の物なんですよね?」
「だから、そうだっていってるでしょ繰り返すのやめて不安になるから。」
そう言ってミラが関係の無いサタの肩を小突くと、「痛っ、」と言って肩を抑えると共に、ランタンから手を離してしまった。
「いやそのですね…。それって…。」
ランタンを拾おうとするサタの手首をミラが掴み、縮んでいく炎のおかげで辺りは更に暗さを増していく。サタがミラを見上げると、彼女の視線は此方を見ていなかった。
「…お母さんに会いに行けって言いたいの?」
「…。」
手首を掴むミラの力が僅かに強まり、ミラの拒絶の意が伝わってくる。正直な話、ミラがそんなにお母さんを嫌っているとは思ってなかった。サタが知っているのは、お母さんの強い監視下に呆れて出てきたという事だけ。そんな事で、とは思ってはいたけど、その様子を直接見た事もないし聞いた事もない。サタは何も言えなかった。
「…決めたんでしょう?」
「アシ、よそうよ。もう行こう?」
サタが止めてもアシはまだ言葉を続ける。その言葉の圧に、サタは黙る事しかできなかった。
「僕、お母さんに派遣されたって言いましたよね。何の為だと思います?それは貴女を探す為ですよ。じゃあなんで貴女を探してるんだと思います?」
「…。」
暗闇の中で重なる視線。何もできなくなったサタは、あわあわと二人のオーラを肌に感じる。早くにこの空間を抜け出したかったが、掴まれた手首が離される筈も無かった。機械とはいえ胃がキリキリと痛む。アシ、もういいから。本当に、もういいから。ミラがお母さんの事をどう思っていようが良いじゃない。お母さんの心配を受けてミラはここに来たのかもしれないけど、そんな事どうだって良いじゃない。そう頭の中で唱えるサタ。気付けばランタンがミラの足元まで転がっていた。
「貴女は何を考えているんですか?…私はこれからも貴女とご一緒するつもりです。なのでご安心を。」
何の安心だとサタはツッコミたかった。けれど何の火も灯っていないランタンの存在に、あぁ、と頷く。
「…。」
相変わらず何も言わないミラは、スッと掴んだ手を離す代わりに無言でランタンを取り、アシの方へ持っていく。それにアシが何時の間にか手にしていたマッチで火をつけ、辺りは再び明るくなった。
やっと見えた二人の顔は、サタが思っていた以上に晴々としていて、ずんずんと前進する二人の足も軽い様に思えた。その様子にサタは混乱しつつも、置いて行かれては堪らないと後を追った。
「次、何処行くか決まってるの?」
迷いも無く進んでいく、さっきまでとまるで雰囲気が違う二人に、サタは返って不安を覚える。
「決まってないけど?」
「じゃあ何でそんなに真っ直ぐなのさ。」
「だって何処向いても真っ暗でしょ?じゃあもう行き当たりばったりで良いじゃない。」
あぁ確かにと納得してしまうサタ。ちょっと考えれば自分でも気付けたのにと悔しがるサタ。もう何も考えたくないと思考を放棄するサタ。それらの全てのサタが合わさって、彼は無の表情を作り出した。
そうして歩き続ける事数十分。勿論正確な時間は分からないけど、感覚として数十分ならきっと本来はもっとするのだろう。
そんなことはいいとして、今彼等の前に建っているのは大きなビル。この街にこんなものがあったのかと驚く一方、氷の様な冷たい空気に触れた頬がゾクッと反応する。
「入って良いの?」
入り口まで続くスロープの手すりはボサッと纏まった埃を頭に被せ、たまに吹く風に乗って近くの花壇まで飛んでいく。その様子をランタンで追っていると、ふとビルの上の方に何かの気配を感じた。
「さぁ。」
「でも着いちゃったしね。」
「入るしかないね。」
と言う二人に誘導され、あっさり中へ連れて行かれるサタ。
中に誰かいる事を二人に伝えてようとした筈が、口を開いた途端スッと頭から消えていく。あれ?何を言おうとしてたんだっけ、と思っている内に、二人はズカズカと階段を上がって行った。
「ここ、何階まであるんだろう…。」
階段の隙間から何とか上を覗き込もうとしたけど、見えるのは唯の暗闇だった。
「何してんの、行くよ。」
と背中を叩かれ二階に上がると、側にいたアシが新しいマッチに火を灯し、それを地面にポタッと落とす。
「何してんのさ⁉︎何考えてんの⁈」
「良いから。よしっ逃げた逃げた!」
それを合図に、急いで階段を駆け降りる三人。いざビルを出てみると、彼等の目的が何となく分かった。
「…えぇ…。」
徐々に燃え盛るビルは大きな発光源となり、ランタン以上の範囲を照らす。その輪郭はビルが高ければ高い程広がっていき、いつか本で見た太陽の様に思えた。
「これでちょっとは節約できるね。」
ビルを見上げるミラの顔が赤く照らされ、綺麗な瞳の中に炎が写った。アシは満足そうに頷くと、軽そうな身体を手すりの上に乗せて周りを確認した。
「でも良いの?このビル必要ないの?」
「大丈夫。此処はかつて新聞局で、とっくに倒産してる。もう誰も住んでない。」
その言葉に、ハッと何かを思い出すサタ。
「…‼︎ちょっと待って‼︎まだ人がいるよ‼︎」
急いでビルの中に駆け込もうとすると、その両腕をミラとアシに掴まれた。
「何言ってんのさ。いる訳ないでしょ?」
「いたよ‼︎何か見たんだもん‼︎」
「落ち着いて下さい!本当にいたんですか?」
「だからそう言ってるでしょ‼︎」
二人の手を払ってまでビルに入っていくサタだったが、あまりにも広がりすぎてしまった火への恐怖に、階段を登るまでの勇気は無かった。
「僕行きます。」
とサタの代わりに飛び出していくアシ。その後ろ姿に申し訳無さを感じたサタだが、だからといって後を追えるわけでもなく、情けない姿でミラに引き下げられていった。
「大丈夫。アシが何とかしてくれるよ。」
肩に置かれるミラの手に連れられてビルの外に出るサタ。その横にあるのは、ビルをじっと見つめる、ミラの姿だった。
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