第三十八話 裏切りの理想像
「…んぁ?あぁ、朝か。‥⁉︎」
急に、僕の肩が思いっきり叩かれる。
「おい!起きろ照葉‼︎お前、何したんだ?」
その声にびっくりして僕以外の皆も身を起こした。ケンさんに言われ、窓の外を見上げると、何とさっきまで真っ赤だった景色がピンク色に染まり、ひらひらと花弁を舞わせている。
「え!なんでや⁉︎」
突然の事態に皆が一斉に窓に押しかけるから、窓は苦しそうにキシキシと音を立てた。
「うわー、酒で冬眠してたんかいな。」
「いや、絶対ちゃうやろ。」
「何処までリフォームしたんだ?」
「これってリフォームなん?」
「あれかっイメチェン?」
「景色のイメチェンなんて聞いたことないぞ。」
「誰だ、俺らが寝ている間に脱色作業をしていたのは。」
「脱色⁉︎上手いことボケんじゃねぇ‼︎」
「ぐぉっ。」
何故かケンさんには蹴りが入る中、シンさんが隣で「脱色だけじゃ無くて着色もしていますよ。」と呟いているのが聞こえた。
「ほんっとにすいません。」
いつの間に時間をいじってしまうなんて。しかも過去に戻るんじゃなくて進めてしまった。
「これでタイムリミットまで、後半年になってしまいましたね。」
今からまた時間を戻せたら良いんだけどな、なんて考えながら、僕はどうして良いのか分からず窓の外を見続ける。
「まぁ、別にこのままで良いんじゃ無いか?」
とケンさんがそう言うと、皆は一斉に首を回してケンさんの方を見た。
「来るもんは来るんだから。なぁ照葉。」
「…えっと、」
なぁと言われてもちゃんとした返答が出来るものか。ケンさん以外のこの場にいる誰もが、僕が無駄にタイムリミットを狭めてしまったが為に危機感を感じている。僕もその内の一人なのに、ケンさんといったら何を言い出すのか。僕がああやこうや考えながら困っていると、「まぁえっか。」と後ろでリーさんが口を開く。
「紅葉見た後の桜は綺麗やな。うちは火と同じ赤が嫌いやから、こっちの方がええわ。」
「そうですね、日暮れも遅くなりますし、風も気持ち良いです。」
次々と追ってくる皆のフォローに、僕は凄く心を打たれた。
海へ行こうかというゴンさんの提案には勿全員が賛成し、僕らはケンさんの力を借りながらも海へ向かった。朝の海はキラキラと水面を輝かせ、無限に広がっていきそうな掛け橋を描く。出来る筈も無いけど、この水面の上を歩いて行けたら気持ちいのになと妄想すら膨らませるその景色は、僕らの腕白心を揺さぶらせた。その中で一人、大人がいる。あの時もそうだった。以前僕らが八卦の一部のメンバーで海へ行った際にも、彼は大人であり続けた。それはコンさんが不在の為だとばかり思っていたけど、今回に関しては不在どころかもうこの世界に存在すらしない。何を悩むことがあるのか、顔はこちらに向いているものの口角が上がっている様には見えない。
「如何かしたんですか?」
「ん?」
僕は皆と離れて海を見渡すケンさんに話しかけた。
「ケンさんは海へは入らないんですか?」
「あぁ。俺は海は好きじゃない。」
珍しい。ケンさんが海嫌いなんて今初めて知った。
「怖いとか?」
「捉え方によってはそうなるな。端的に言って、海には色んなものが沈んでるからだ。奴らは俺を引きずり込む。水ってのは、俺の天敵。幾ら塗り替えても、循環して戻ってきやがる。」
「戻ってくる?」
「…話過ぎは良くない。こんな楽しい海日和なんだぞ?ほら、照葉も遊んでこいよ。」
確実にケンさんは何かを隠している。全てを知らないと気が済まない僕の性格も悪質だとは思うけれど、何故か僕は此処で引き下がらない方がいいと思った。薄々勘づいてはいたんだ。八卦の他の皆は、自分の事や身の回りに起こった事を事細かに話してくれる。皆それぞれの考え方も知ったし、逆に僕の体験だって伝えてきた筈だ。所謂情報交換という項目において、殆どの人はデータを共有してくれる。しかしケンさんだけは、そのデータが全くないのだ。あったとしても、それは間接的に誰かのデータの中にあるケンさんもしくは事実上の出来事の中にいるケンさんってだけ。これだけ付き合いが長いのに、ケンさんだけ情報が真っ新な事なんて、本人が意識していない限り有り得ない事なのである。
「僕、ちょっとお腹を冷やしてしまって。もう少しだけ、隣にいさせて下さい。」
「大丈夫か?まぁ好きにしろ。」
案外あっさりと隣に座らせてくれたケンさん。僕が何から話題を振ろうかと迷っていると、次に口を開いたのはケンさんの方からだった。
「そういえば、お前は自然の中じゃ何が一番好きだ?」
「何が好きかって…海派山派みたいなことですか?」
「いや、ジャンルは何でも良い。個人的に此処が好きだみたいな場所はないのか?」
「あー、僕は空が好きです。理由は子供みたいですけど、綺麗だから。」
僕がケンさんの方を見ると、ケンさんは海を見つめたまま動かなかった。
「綺麗だからってだけで好きになれるのか?」
まるで僕の事を理解出来ないというようなその台詞は、僕の好奇心を少し抑制した。
「逆にケンさんは何が好きなんですか?」
少し怒り混じりに出した声は、僕が思っている以上低く感じた。
「…何も無いな。好きな所なんて、何も無い。」
この人は本気でこれ言っているのだろうか。こんな大自然に恵まれておいて、好きな所が見つからないなんて僕には到底理解出来ない考えだった。さっきまで怒の方に寄っていた気持ちも、逆に心配へと変わっていくように思える。
「色々あるじゃないいですか。海や空が嫌いだったとしても、山や川とか、滝とかでも良いんですよ。」
「俺はそんなのに一切心を動かされない。」
「どうしてですか。感動した事とか無いんですか?コンさんだって、僕に色々好きな場所を教えてくれましたよ?」
ついコンさんの名前をあげてしまった。極力ケンさんとの会話の中で、この名前を出す事は避けていた筈なのに、勢いに任せて口に出してしまった。出した後に、またケンさんの方を見ると、いつの間にか海を見ていた視線も今は僕に向いている。
「…、」
「だからだよ。」
「え?」
「あいつが良く言ってたんだ。自然は皆綺麗だって。そんな訳無いのにな。あいつは馬鹿なんだ。あいつだけじゃないがな。その中でもあいつは特に、馬鹿だ。」
僕は、今何を聞かされたんだろう。僕の思考回路が行く手を失っている。自分が描くケンさんという理想像が、たった今本人の手によって裏切られた気がした。
そんな時に、海辺では火柱が上がる。と同時に水も舞い、ひと悶着が行われているのがこんなに遠くからでも良く見えた。
「近くに寄ってはみませんか?」
一旦、楽しもう。取り敢えず今は楽しもう。彼の裏切りのおかげで僕の好奇心は一気に冷め、これ以上踏み込んではいけないと異例信号を出していた。せめて皆で楽しもう。それ以外に僕の脳内が落ち着く術を思い付かない。
「…寄るだけだぞ。」
ケンさんは意外にも了解してくれた。きっと彼も頭が整理しきれていないんだろう。こんな会話さっさと忘れて仕舞えば良い。思い出したとしても、それはきっと布団の中での話だ。今は関係ない。僕は自分にそう言い聞かせ、冷静になろうとした。
やがて海辺近くまで歩いていき、皆の様子を間近で見る。悶着の内容はビーチバレーの勝敗によるリーさんの不正であると言うが、然程怒っているわけでも無さそうなので安心した。一番張り切っていないのはケンさんな事は間違いないが、一番張り切っているのは正直決められない程、皆が皆この状況を楽しんでいた。
そんな中、ふとゴンさんがカンさんにたいして水しぶきをあげ始める。何回か水の掛け合いが繰り返された後、その流れ弾でケンさんに多量の水が掛かってしまうのを、僕はどんな気持ちで見ていた事か。そして凄い冷静な様子で黙り込む彼を見て、皆がどれだけ焦った事か。
「すいません!水が苦手でしたよね。」
「…。」
「本当にすいません!!直ぐに乾かしますから!」
明らかにパニックを起こしているカンさんの手を、ケンさんは優しく、冷たく包み込んだ。
「大丈夫だ。何の問題も無い。」
それは僕が見る何時ものケンさんの姿だった。さっきの緊張感が少し緩み、僕はほっと顔の力をほどいた。
しかしその緊張はまた帰ってくる。僕は、そ・れ・に気付いた瞬間、彼から目が離せなかった。
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