第三十七話 酔いの一時

 取り敢えず、流れに流れきって、僕は今カンさんの部屋にいる。


「急にドアが開いたから誰かと思ったら照葉君じゃ無いですか。どうかしたんですか?」


カンさんは自分が育てている植物に水をしている所だった。きっとあの三日間のお土産として持ってきたのかもしれないけど、僕が見る限りそれ観葉植物。


「この子ね、育たないんですよ。」


「…きっとこれが完成形なんでしょう。また今度、新しいやつを取りに行それから植物を少し触って、ちょっと土の様子とか確認しちゃって、部屋を意味なく一周しちゃったりして。カンさんの部屋はやっぱりきちんと整理整頓が成っている。潔癖では無いんだろうけど、きと几帳面な性格が部屋にも出ている。そんな事を考えながら、少しずつ緊張を解いていく。


きましょう。」


「そうですね。」


「アハハ、何してるんですか?さっきから様子が可笑しいですよ。」


その緊張に気付いたのか、カンさんは苦笑いをしながら僕に言った。


「その…カンさんの事を知りたくて、聞きたくて。」


「僕の事ですか?」


「はい…いずれまた神の目覚めはやってくるでしょう?それに時間を戻して逃げ続けるのも良いんですけど、何とか僕達の力で乗り越えられないかと思って。でも、皆が何かしら不満を抱えていては意味がないと思うんです。何て言えば良いのか良く分からないけど、凄い自分勝手なのは分かっているんだけど、何の経験の無い僕だけが、取り残されている様で。」


「成る程。その不満というのはつまり僕が言った帰りたく無いという言葉を、君は僕の不満の現れによる現実逃避だと思った訳ですね?」


カンさんは今怒っているのかな。カンさんの心は中々読めない。川みたいに、見た目はゆっくりだから。言い方をもう少し変えれば良かったのかな、どうしよう。カンさんの解釈は当たっているけど頷きにくい。


「君は何か勘違いをしています。僕は向こうにいたいと言いましたが、ずっといたい訳じゃありません。そりゃあ人間の事は好きですし、ずっといたいというのが当たり前なんでしょうけど、僕は向こうに行ってしまった事さえ後悔し始めています。」


「え、何でですか?」


あれだけ溌剌としていたのに、楽しく無かったとか?でも好きって言ってるし、定期的に行く事になった時も誰よりも喜んでいた筈だ。


「僕は以前、貴方に"決めつけ"はいけないと言ったでしょう?」


確かに言われた。雨に打たれていたあの夜を、僕は思い浮かべる。


「僕は、自分の見てきたもの全ての中に、自分が守れ無いものは無いと思っていたんです。僕は、自分で言うのは如何かとは思いますが、意外とがめつく大胆な性格でして。僕のその考え方は、裏を返せば物理的な守備以外で人が死ぬ事は無いだろうと、“決めつけ”をしていたんです。こんな力を手にしていますし、その時の僕は人間の存在をなめていましたし、守れない筈が無いと思っていました。だから先輩があんな行動を取るなんて思ってもいませんでしたし、僕は誰かと関わるのが怖くなりました。守れと言われる事に自信を失くして、それならいっそ守る対象なんて考え無い方が良いとも思いました。人間について知ろうとしていた僕は、自分が怖いもの知らずのつもりでいたんです。その過ちを、今の今まですっかり忘れていました。」


カンさんはそこまで言うと一度大きく息を吸い、ゆっくり吐いた。まるで昔の自分を目の前にしているようなカンさんの睨んだ目を、僕は今まで見たことが無かった。


「先輩は、僕の目の前で自ら喉を掻っ切ったんです。理由は正確には分かりません。でも、彼等はそんな死へ追い込まれるほどの物理的なダメージはありませんでした。そしてその中にケンさんもいました。ケンさんは傷が浅かったから、まだ助かるとは知っていたんです。でも、何故彼等がその様な行動を取ったのかを考える事に頭を取られて、僕は助けるタイミングを逃しました。後からリーさんとコン君が来たから良かったものの、僕は何もする事が出来なかった。全てを守れるという自信が心の中で砕け散ったんです。僕にとってはかなりの衝撃でした。そしてこの前、遂に僕の夢であった人間の世界に踏み入れて、僕は再確認しました。僕は、物理的な事でしか人を守れないんです。向こうにいた人達は、僕等みたいな力も持っていないし人一人守れるか守れないかぐらいの体力しか持ち合わせてません。しかし彼等には精神的な守備というものが備わっている。それは僕には無かった考え方です。僕が一緒にいた釣り堀の親子さんがいたでしょう?僕は彼等に、何故こんな森に人が集まるのかを聞いてみた所、皆癒しを求めているんだと返ってきました。何も動かないこんな森でさえ、癒しを与える事で常に人間を守っているんです。僕は素直に感心しました。」


「確かに、精神病というのはこちらの世界ではあまり気にする事は無いですからね。こうして無意識に僕らも癒されてますし。」


「あぁ、確かにそうですね。」


と僕らは窓の外を見た。そこには一羽の雀が、此方を向いて頭を傾げている。カンさんがその仕草を真似すると、雀は首をブルブルさせ、羽を広げて飛んでいってしまった。


 途端に後ろの扉が開き、僕らは肩を跳ねさせながら視線をぐるりと後ろに向けると、其処にはケンさんが立っていた。


「すまん。邪魔したか?」


「いえ、大丈夫です。」


「昼飯出来けど、そういやお前らがいない事に気付いてな。具合が悪いのかと心配したが大丈夫そうだな。」


「おかげさまで。すぐ向かいます。」


カンさんがそう答えると、ケンさんは身体の向きを変えて隣の階段を降りていく。


「ケンさんって不思議な人ですよね。」


ふとカンさんが隣で呟く。あの人は何を考えているのか分からない瞬間がある。優しいふりして、少し冷酷な所があるし、人好きという訳でも無さそう。コンさんに対して父親の様な一面を見せたとしても、最後の別れで皆が感極まった後は、何も無かったかのように生活し始める。まるでこれが運命だったんだと認めるかの様に、一早く状況を整理して、さっさと何処かへ飛んでいってしまうのだ。


「さ、ご飯を食べましょう。」


「そうですね。」


僕らは話を切り上げ一階に降りた。


 すると其処には皆が揃っていて、たった今席についた僕らを暖かな目で迎え入れる。


「今日は何かの祝日でしたっけ?」


僕がそう言うと、ケンさんが笑いながら首を振る。


「覚えてないか?今日は海に行った日だ。特に記念日という訳じゃないが、折角三日振に全員揃ったんだし、集まっても良い気がした。会議もあれから開いてないしな。」


「あぁほんまや。会議の存在忘れてたわ。」


「ほんまやねぇ。」


「じゃあ照葉。此処はお前が乾杯の挨拶をしてくれ。」


「え、僕がですか⁉︎」


「お前以外誰がいるんだよ。」


「というかこんな昼間からお酒って、」


「最近まともに乾杯してなかっただろ?良いじゃねぇかちょっとぐらい。」


あぁこの人酔ってるんだわ。そう気付いたのは、ケンさんが僕に歩み寄り肩を組んできた時だった。


「駄目だこりゃ。」


隣に座っていたリーさんが呆れた顔でケンさんを蹴り上げる。


「おぉいしっかりせぇケン、お前何杯目だ。」


「ゴォ…。」


と答えたきり、ケンさんは蹴り上げられ倒れた状態でそっと瞼を閉じてしまう。


「ごめんね、照葉君。」


「私達も酔った勢いで此処に集められたんだわ。どうして良いのかわからんけど、取り敢えず私らも飲もうやない?」


「せやな。よっしゃ、挨拶してくれ照葉。」


「え、あ、はい!それじゃあ何かの記念を祈って、乾杯‼︎」


と僕が適当に挨拶を済ませると、手元にあるビールジョッキを天井に掲げた。その掲げた手を見て、僕は気付く事になる。僕、そういえばお酒飲めたっけ?味はどうこう、年齢的に駄目な気がする。取り敢えず盛り上がるムードにはなったから、僕はそっとジョッキを置き、その場に座った。


「あれ、照葉飲まないのか?」


驚く事に、隣にシンさんがやって来る。この人の距離感はどうも難しい。


「僕はちょっと苦手なんです。」


そう伝えると、「そうかぁ」と言いながら僕と肩を組んできた。今はリーさんも酔っているから、彼を止める人はいない。彼は僕が知りもしないずっと昔の話を僕に言い聞かせるも、酔っている所為か呂律が回りきらず何を言っているのかは伝わってこない。終い泣き出したシンさんは、何時ものクールな印象とのギャップで僕の思考をいちいち止めてくる。僕は楽しそうな皆を見ながら、隣にいるシンさんを灘しながら、この一時を楽しんだ。


 そして安心し切った僕は何をしたのか。僕はー僕は、半年も時間を進めてしまった。

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