第三十五話 修学旅行の夜

 朝早く、僕の隣にはゴンさんが、ゴンさんの隣にはカンさんが、皆正座して座っている。僕らの前にはケンさんがいて、頭がポーっとしながらもそれを我慢していた。


「だから帰って来いと言っただろう。あんなに雨に打たれてみろ、俺だって風邪引くぞ?」


「「すいません。」」「悪かったから、俺が悪かったって。」


それでもケンさんの説教は続く。勘弁してと言わんばかりに謝っても、ケンさんの圧には勝てない。ケンさんが怒ると、物理的な恐さは無いものの、静かに怒る分精神的に殺られるのだ。因みに、静かになればなる程怒り度というものは上がっていくらしく、まだ直接見たことはないけれどいつかコンさんが僕に話してくれた。全く話さなくなる上機嫌が直った瞬間凄い笑顔で話しかけてくるから、脳が混乱してくるらしい。


「分かったか?分かったなら寝てろ。」


「「「分かりました…。」」」


長い説教が終え、ケンさんが出ていったかと思えば、再び開いた扉の奥には騒ぎを聞き付けたリーさんとソンさんとシンさんが顔を覗かせていた。


「どないしたんや?」


「三人とも顔赤いで。熱出てるんちゃうか?」


「出てますよ。」


「風邪引いとるんとちゃう?」


「引いてます。」


「ケンさんに怒られるぞ。」


「怒られてたぞ?」


三人は笑って部屋に戻るのに対して、此方三人は笑いすらも出来なかった。カンさんが戻りましょうかと言うまで、三人で顔を見合わせることも無かった。唯、怒られたという余韻に動けずにいただけの事ではあるが、精神的ダメージを回復していく時間でもあった。


 皆がそれぞれの部屋に戻って寝込んでいると、リーさんがノックもせずに扉を開けた。


「今から皆でちょっと見回りしてくるけど、じっとしときや。」


「見回り?」


「せや。カンとゴンはいるし、何かあったら部屋に行けば良いと思うわ。じゃ。」


と言ってパタンと扉が閉まる。僕はベットから起きて窓の外を見た。すると庭には皆がいて、今出発した所だった。


「なぁ照葉!」


急に後ろから声が掛かり、僕は驚きの声をあげた。何故皆ノックをしない?昨日までは皆問題なかった筈じゃん?


「折角皆出てったんだし、俺ら三人で寝ないか?」


「一人ずつは寂しいでしょうし。」


「良いですね、部屋は何処にするんですか?」


本当に良いのかは分からないけど、此方の方が賑やかで楽しいのには間違いない。


「此処。」


「え、ゴンさんの部屋は?」


「俺んとこ汚いし。」


「カンさんは?」


「僕の部屋今ちょっと水浸しで無理です。」


「何でですか…。」


まぁ別に良いか。僕は自分のベットを少しずらして、三人がしっかり入れる様にした。二人が敷布団のセッティングをすると、僕だけがベットな事に申し訳無く感じ、結局二人用の敷布団を三人で使うことにした。


「このまま寝るか?」


「まさか。」


あんなに真面目のカンさんがノリの良いことを言うと、何だか可笑しく感じる事がある。


「修学旅行みたいで楽しいです。」


「そうだろ?因みに皆で一緒に寝ようって言い出したんはカンだよ。」


「ちょっと、何で言うんですか。言わないって約束でしょう?」


「照れ隠しは良いんだって。」


「照れ隠しとかじゃなくて、」


「はいはい。ところでさ、照葉の兄貴ってどんな人なんだ?」


「僕の兄ですか…学歴はどうだか知らないけれど、面白くて頼もしい人です。僕が修学旅行に行けなくなる度、代わりに何処かへ連れて行ってくれました。海だったり山だったり川だったり。時には二人で東京まで行ってみたり。親が早くに亡くなってしまったので、僕にとっては兄が親代わりな存在なんです。」


「良いなぁ。お手本みたいな兄貴だ。」


「そうでもありませんよ。学歴に関しては毎度毎度叔母に怒られてたんで。でも、僕はどちらかがあれば良いと思うんです。人間力としてのHQか、学力としてのIQか。」


「成る程…コンさんはどんなお兄さんだったんですか?」


「俺達は双子だから、兄っていう感じは其処まで強く感じなかったけど、今思えば、あいつは兄らしくいようとしていた気がする。此方は同い年なんだから気を使うなって言っても、あいつは兄だからって何でも俺が得する様に回してくれた。学力こそ分けてくれなかったけど、家族以外に向ける性格も悪かった気がするけど、何だかんだ言って俺は楽しかったな。」


「家族以外に向ける性格は悪かったんですね。」


「そうそう。悪いって言っても人見知りと人間不信ってだけだけどな。あいつ裏でモテてたらしいし。人間付き合いは良い方だったんじゃないか?」


「そうだと思います。僕も此処へ来た時、どれだけコンさんに癒されたか。」


「良いですね、兄弟ってものは。羨ましいです。」


ふとカンさんがそう呟いた。


「あ、でも良い事だらけじゃないぞ?兄だからって何でも優先されるし、何時も優越感を得てる。色々我慢してくれてる一面もありゃ豪快に生きてる一面もある。」


「年の差が離れていればもっとです。お小遣いも兄の方が多いですし、喧嘩が起きても勝てる気がしません。」


「兄弟って大変ですね。」


「でも賑やか。」「でも賑やかです。」


「…。」


 そんな会話をしている内に、皆が帰ってくる音がする。僕らは元の部屋に戻ろうかと思ったけど、いっそこのままでも良いかとも思う。すると中央の階段、つまり今僕らがいる部屋の隣から、三人程の見慣れた男の声が登ってくる。


「こんな所あったかいな。」


「えらい綺麗やなぁ。」


「何処の林業が作ったんや?設計がちゃんとなっとるわ。」


僕らは息を呑んだ。


「皆、じゃねぇよな。」


「きっと知らない方です。」


そっか、二人は知らないんだ。僕は知っている。あの時僕に銃を向けてきたお爺さん達だ。あの時と一緒なら、僕らの姿は見えない筈。


「まさか引き継ぎ…。」


「よせ。罰当たりになるぞ。」


「あの人達は違います。此処の森にいる猟師さんです。」


「前に照葉が撃たれたって言ってた?」


「って事は僕達向こう側に来れたって事ですか?」


「!、そういう事か。」


「ええ、きっと。」


カンさんは嬉しそうに顔を輝かせると、そーっと部屋の扉を開ける。周りに誰もいない事を確認すると、部屋を出て階段を降りていった。僕らもそれに続こうと、少し場を整えてから部屋を出ると、さっきのお爺さん達が、戻ってくる音がした。慌てて部屋に隠れると、三人の内の誰かが此方の扉の音に反応した。


「何か変な音がせんかったか?」


「変な音?」


「誰かいるんじゃねか?」


「確かこの辺り…。」


僕は何故か嫌な予感がした。三人の足音が此方に近づいてくるのが分かる。僕は、ゴンさんが扉を開けようとするのを止めた。


「相手からは見えねぇんじゃないのか?」


ゴンさんが不思議そうに止められた自分の手を放すように言う。確かに見えない筈なんだ。筈なんだけど、あの時とは何だか少し感覚が違う。これは、バレる。戻らなきゃ。


 そう思った途端に扉が開いた。


「…お前ら何やってんの?」


扉の前に立っていたのは、お爺さんの誰でもない、ケンさんだった。僕はケンさんとゴンさんを交互に目を合わせ、状況を確かめようとした。さっき迄僕らは、確かに向こう側にいた筈。


「そういやカンは何処行ったんだ?」


「さっきすれ違いませんでした?」


「いや。会わなかったぞ。部屋にもいなかった。」


「本当に?」


「何を疑う必要があるんだよ。」


しまった。僕はとんでも無い事をしてしまったのかも知れない。カンさんを置いて帰ってきてしまった。


「どうしよう。」


カンさん大丈夫かな。真面目な事は確かだから大丈夫な筈なんだけど。


「…?」


「カンさんを向こうに置いてきちゃった…。」

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