第三十二話 実感の無き別れ
シンさんが僕の部屋に侵入し素敵なプレゼントを置いていってから数日、僕の朝夕の練習にゴンさんが付き合ってくれる様になった。
「だいぶ慣れてきたんじゃないか?」
「そうですね、感覚が掴めてきました。」
力は確かに強さを増し、何の気無しに操れる様になってきた。コンさんは体力の都合であまり力を使えなかったと言っていたけど、今の僕の実力は、コンさんの実力に追いつくか追いつかないかという感じ。つまり僕が手にした力というのは、僕が目指す力の何倍もの強さを秘めているという解釈であっているのだろうか。
「そういえば兄貴が時間を戻したって言ってたけど、それってまだ出来ないのか?」
ふとゴンさんがそう言う。確かに、時間を戻すって言われてもどうすれば良いのかさっぱり分からない。地面を掘r…じゃなくて、地面を動かsでもなくて…、地面を…?取り敢えず感覚に任せて色々試してみた。地面に手を付けるんじゃ無くて木に手を付けてみたり、あの時のコンさんのように腕を伸ばし掌を地面に向けてみたり。
けれど特に何も起きる事は無かった。
「全然駄目です。何かヒントってありませんか?」
と言ってゴンさんを見ようと振り返るも、其処にゴンさんはいなかった。まさかこのタイミングで帰ってしまったのかなと思い急いで変形した地面を戻して家に帰ってみると、家にはゴンさんもいなければ皆もいない。ケンさんも、リーさんも、カンさんも、他の人達の部屋に行ってみても、誰一人として姿が見えない。
気付かぬまに時間を戻してしまっていたとか?もしそうだったとしても、八人も同時に家を空ける事なんてあったかな。そもそも、僕の部屋が今朝僕が出た時と変わってない時点で、時間がずれている訳では無い筈だ。皆が僕にドッキリを仕掛けているのかと疑いもしたが、実は隠れてましただなんて、そんな幼稚な事をする様な人達だとも思えない。
僕は迷いに迷って、僕が知る限りの皆の家を廻った。コンさんの小屋にも行ったし、カンさんの家にも行った。リーさんの小屋にも、ソンさんの家にも行ってみたけど、いずれにせよ彼等のの気配は無かった。
ところがソンさんの家の少し先、誰かが歩いている感覚が突然伝わってきた。歩いているのは複数人で、何やらゆっくりと歩を進めている。どうやら此方に向かってきている様だった。これが八卦の人達なら何の問題もないのだけれど、何だか違う気がする。雰囲気もそうだし、歩き方が違う。足音や振動具合が、彼等とは全く違う、別人の様なのだ。
僕の方からも少し近付いてみる。するとどうしたことか、バンッという音がしたと思ったら銃弾が僕の顔スレスレを横切る。僕が慌てて体勢を整えている最中も、ずっと銃声の余韻が森中に響き渡っていた。
「ありゃ、違ったかいな。」
急に足音が近くなったと思い急いで木に隠れるも、其処に現れたのは三人の銃を構えたお爺さん達。彼等は三人とも、漁師の様だ。
「此処だけ草が動いとった気がしてんけどなぁ。」
「気の所為とちゃうか?ほれ、なんもおらんわな。」
一人が周りを見回ってそう言う。その視界の中に僕も写ってた筈なんだけど、彼は僕に対して何の反応もせず、また何処かへ行ってしまった。
静かになった森を見守りながら、状況を整理してみる。さっきの三人は、僕が元々いた世界の、人間達。ということは、僕は元の世界に戻れたということなんだろうか。ともかく森を抜け町へ行ってみよう。そしたら何か分かるかも知れない。さっきの三人を追いかけても良いけど、また銃を向けられ撃たれるのは勘弁して欲しい。
森を抜けるまでにはそんなに時間は掛からなかった。そもそも、観光の場であるこの土地に、人口物が無い訳が無い。幾ら自然を守ろうとて、橋は掛けられてたり出店があったり、キャンプをしていたりという些細な環境破壊は良く見られる。僕は観光客に混じって周辺を歩き回った。やっぱり僕は元の世界に戻って来たんだ。ちゃんと人間の姿が見えるし、声も聞こえる。触れ合えは…しないけど。彼らは僕が見えていないらしかった。僕が幾ら手を振って見ても、通せんぼしても中々動じない。力で地面を隆起させて初めて、人が反応するくらいだ。僕の存在を誰も認知できないまま、僕は好き勝手動く事が出来た。人が大勢いるという感覚が久々過ぎて、楽しさどころか新天地に来たという興奮の方が抑えるのに苦労した。こんなあっさりと八卦の人達と別れる事になるとは思わなかったけど、その寂しさは今日の夜にでも噛み締めよう。誰も僕を見えていないのを良い事に力を使って暴れる事も出来た。しかし僕らの役目は彼等を守る事だ。そのプライドは、生涯忘れぬまいと心に誓っている。その誓いを、こんなちっぽけな興奮なんかで破るわけにはいかないのだ。
僕が人間界に戻ったら、やる事は決めていた。それは、自分の家に帰る事。そして兄に会う事だ。結構な長旅になるのは覚悟の上だけど、お腹も空かないし眠くもならないこの身体なら、長距離移動も苦では無かった。一つ欲を言うなら、ケンさんの様に空を飛べたら楽なのにという事。幾ら無料で交通機関を使い放題であったとしても、浮いて移動するという快感を知った者からすれば、駅までの歩行すらこの旅の唯一の欠点となり得た。
「明日で最後か〜。帰りたく無いなぁ。」
「寂しくなるよね。まだ此処にいてたい。あと半年は此処にいてたい。」
「半年は言い過ぎでしょ、しかもマユが言ってんのは皆も巻き添いでって事でしょ?」
「そうそう。駄目?」
「駄目だよ〜。」
ふと、修学旅行生の会話が聞こえてきた。一瞬私服だから学生という事に気付かなかったけど、彼女達が手に持っている重たそうな鞄には、確かに『〇〇高校二学年、桐野真弓』と書かれた名札が掛かっていた。僕も本来なら彼女達の様に平和な時間を過ごせたはずなのに。まぁ事故のおかげで八卦という特別な存在に出会えたし、貴重な時間を過ごせたのだから悔いはなかったとして、あの時僕の前に座ってハンドルを握っていたあの運転手を、心の底から許せているかと言われればそれは嘘になる。兄にお土産を買ってやりたかったし、早く大人になって兄に頼るだけで無く頼られる存在になりたかった。いつかは僕が兄を追い越す時もあるだろうし、追い越される時もあるだろう。そんな思い出を、僕も作ってみたかった。今から会いに行くって言ったって、兄が僕を見えないんじゃそれは意味がない。兄に会った後の行動なんか、僕は何も考えていなかった。懐かしの高校にでも行ってみようかな。それとも親戚の家を優先すべきなのだろうか。まぁ細かい事は行ってから考えよう。なんせ時間はいくらでもあるのだ。気のみ気のままに地元を歩き回ってみよう。
京都へ向かう電車の中、目の前に座るサラリーマンのスマホの画面が目に入る。それは、某テレビ局のニュース番組だった。僕が八卦の皆さん達がいた世界、つまり向こうの世界で過ごした時間は確か二年程だけど、コンさんが時間を戻した関係で、僅か一週間しか経っていなかった。その証拠に、丁度そのサラリーマンが見ていたニュースは、僕らが乗っていたバスの転落事故についての記事が、あたかも最近の事の様に載っている。その記事の内容として、
『京都府〇〇高校の修学旅行生を乗せたバスの内一台が崖から転倒、バスに乗っていた四十人中二十八人が軽傷、六人が死亡、一人が重傷、一人が重体の状況です。(名前省略)…。尚、重体とされる草薙照葉くさなぎてるは君(15)は、高等学校近くの病院で昏睡状態に見舞われています。この旅行会社の田中会長は、近日この高等学校に通う生徒の保護者向けに謝罪会見を開くと見られ、其処には当バスを運転していた橋本康平はしもとこうへい(42)も出席するとの事です。続きまして…』
とあった。僕の名前と顔写真とが表示された時は心底驚いた。しかもその写真というのはきっと兄が選んだのだろうと直ぐに予想がつく。仮修学旅行として兄と出掛けた神戸の港で、僕が全力で変顔をしている様な写真を、兄以外の誰が選ぶんだろうか。きっとマスコミなんかに提出するんだろうけど、この写真を渡せれた記者の人の気持ちも考えてあげて欲しい。
そんな事はどうでも良くて、高校近くの病院って何処だろう?てっきり僕の身体ごと向こうの世界に来てしまったとばかり思っていたけど、どうやら身体は此方に存在するらしい。となれば今僕が操っている僕の身体はどうなっているんだという疑問がよぎるが、幽体離脱という結論にする他答えを導き出す事が出来なかった。
兎も角家に帰るとしよう。僕は、電車の窓から見える見知らぬ街の景色を、唯茫然と眺めていた。
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