第二十九話 空の居場所
意識がじわじわ戻ってくのが分かる。最初は指先、それから足、腕、胴体…僕は最後に目を開けた。
「…コンさん?」
呼んでみたけど返事は無い。そりゃそうか。落ちたのは僕だけだし、コンさんは確かあの揺れの中でも余裕で直立していた気がする。身体の何処も痛くないから良かったけど、わがままを言うと助けて欲しかった。
目の前に広がっているのは、夕方を示す赤色。カラスの鳴き声や、水の音が聞こえる。その音を聴き癒されながら、数十分程の間心を休める。
これ迄の、忙しない出来事の移り変わりによる疲労の所為で直ぐに起こす事の出来なかった身体も、とうとう起きなければと思うようになる。
「…コンさん?」
上半身を起こした後、もう一度呼んでみる。此方も返事は無かった。その代わり、僕はある事に気付く。さっきコンさんと此処へ来た時には、バスの周りは草花が育ち、バスと自然とが一体化している様に見えていた。しかし今は違う。草花どころではなくバスから飛び散った部品が描いた、地面の傷さえ残っている。起きたてで頭が回っていない所為か、何が起きているのか良く分からない。取り敢えずこういう時は空を見るんだ。誰かが、何かしら合図を送ってくれているかもしれない。
すると案の定、遠くの空で水柱と火柱が上がっていた。其処に行けば、ケンさんかカンさんのどちらかと、リーさんがいる筈。僕は其処を目指して走り始めた。
かなり時間は掛かったものの、何とか辿り着くことは出来た。結局いたのはカンさんとリーさんとケンさん、後から遅れてゴンさんの四人だった。
「何が起きたんだ?」
「今のところ分かりません。でも、僕はさっきまで照葉君に言われた通り川の上流で水量調節をしていたんです。そしたら揺れが来まして、いざ本番だと思い気を張り巡らした瞬間、気を失ってしまったんです。気付けば其処で釣りをしていました。」
「俺は、コンを探してたんだが急に目眩がしてな。何とか地面に足は付けたんだが、そのまま意識が遠くなって、気付けば海にいた。」
皆が皆気を失ってる。ある一定空間において、偶然広がった周波数の関係で集団の体調に被害が及ぶなんて事は聞いたことがあるけれど、何せこの自然の中に壁なんて無い。ちょっと不思議で、ちょっと奇妙。
「あのさ、ちょっとええか。」
「どうぞ?」
「うちは、家が綺麗に戻ってて、その中でくつろいでたんや。しかもな、びっくりしたわ、カンの家も元に戻ってやんねん。絶対可笑しいわ。異世界のまた異世界来てもうたんちゃう?」
「ちょっと待てよ。」
ゴンさんが急に走り出す。向かったのは、ゴンさんらの家。
「嘘だろ。」
なんと目の前にあらわれたのは、四人暮らし用に建てた程よい大きさの一軒家ではなく、唯の小さな小屋だった。
「どういう事ですか?まるで時間が戻っているかの様です。」
「いや、戻ってるんだよ。」
「ありえへん。」
「…僕、さっきまでコンさんと一緒だったんです。」
「コンと⁉︎何で言わなかったんだ。」
「すいません、バスの所にいたんです。正確にはバスの中でしたけど。それで、コンさんの色んな思い出話をして、坂を登りました。元々バスが走ってた公道まで登って、二人でずっと景色を眺めながら、また思い出話をしていたんです。」
思い出話の内容までは言わなかったが、大体の流れを皆に伝えた。
「人が必死で探してたってのに、随分とロマンチックな雰囲気を味わってたんやな。」
「本当にすいません。」
「まぁいいだろ、誰も探し当てれ無かった場所を、唯一突き止めてくれたんだから。」
「で、兄貴は今崖の上にいるんだな?」
「きっとそうです。あそこから動いてなければの話ですが。」
「じゃあ行こうか。」
早速ケンさんが僕らを連れて公道まで行った。けれどその場所に行ってもコンさんはいない。
「コーン‼︎」 「兄貴ー‼︎」 「コンさーん‼︎」
皆が叫んでも返事は無い。
「コン君何処にいるんですかー⁉︎」
澄んだ空気のおかげでやまびこのように帰ってくる自らの声を受け止めながら、コンさんの名前を呼び合う。
「おかしいですね、こんなに呼んでも出て来ないなんて。」
「せやな。あいつとうとう頭がおかしくなったんや無いか?」
「さっきまで此処にいたのは確かか?」
「はい、そうですけど。」
「…極力この手はつかいたく無かったんだが。」
ケンさんが一人で空へ浮上する。
「おいケン、何処行くんや!」
リーさんが追いかけるも、空を飛ばれては敵わない。そのままケンさんは僕らが見えぬ所へ行ってしまった。
残された僕らはどうする事も出来ず、またコンさんを探し始める。ふとリーさんが何かを思い出したかの様に此方に近づいて来て、また前髪を引っ張り上げられる。ケンさんの時と違いちょっと痛い。
「ゴン、カン、ちょっと来てこれ見てみ。」
二人が僕のデコを覗く。すると彼等もまた驚いた顔をして、他の人達と顔を見合わせた。
「照葉、ちょっと地面に手を付けてみろ。」
「え?」
訳も分からないまま、兎も角言われた通りにやってみる。すると急に湧き出した不思議な感覚に驚いて思わず手に力を込めてしまう。
バキッッッッッ!
僕が手を付いていたのは間違いなくコンクリート。人の力では如何にも出来ない筈のコンクリートが、僕の手を中心に割れたのである。
「なんでっ⁉︎」
「「「…」」」
更に手を離そうとすると地面が隆起し、手を戻さずとも地面に「戻れ」と念を送れば今度は元通りになる。まるで僕が地面を操っているかの様に、思うがままに動いていく地面を、皆は黙って見続ける。
「これって、コンさんの力ですよね⁉︎」
「そんな…。」
皆が呆然とする中、ケンさんが帰ってきた。相当急いだのか、息を切らし着物もはだけている。
「コンは、もういないそうだ。」
「「「「…‼︎」」」」
「何があったかまでは教えてくれなかったが、神の奴笑ってやがった。」
そこまで言い終わった後、やっと顔を上げ一度再生された、色の変わった地面を見つけた。そして迷わず僕の方を見て、そこから視線を動かさない。
「僕は何もして無いですよ、」
もうあの時みたく誤解されるのはごめんだ。誤解と言っても、今回ばかりは何が起こったのかさえ分からない。
「いや、すまない。疑っている訳じゃ無い。唯、そう言う事か、と思っただけだ。」
「そう言う事って?」
「やっぱり、人間が唯で此方に来る事は無かったんだ。お前が此方に来れたのは、コンが自分の死を覚悟したからだ。」
「え⁉︎そんな、」
「いや、それしか無い。」
「つまり照葉が兄貴の引き継ぎ?でも兄貴はそんなに生きてないぞ?もし死んだにしても、寿命じゃねえだろ。」
確かに寿命にしては短い。六つ上のカンさんも生きてるし、リーさんだってまだまだ元気そうだ。ケンさんは不死身だから比べる事は出来ないけど、そうでなくてもリーさんと同い年何だからまだ寿命が来ることなんて無いだろう。
となると寿命以外の死に方、つまり自害に限る。でも何故?
「ちょっと、思い当たる節があるんだが。」
ボソッとケンさんが呟く。
「言ってください。」
カンさんの返事にケンさんが頷くと、ケンさんが話し始めた。
「実はな、この世界の自害の感覚は、向こう、つまり照葉がいた人間の世界の“自殺”とはまた違うんだ。人間の方では、例えば電車の線路に子供がいて、それを大人が助けたとする。その後は人間の法律上、“事故死”とされる筈だ。しかしこの世界に法律なんて無いだろう?となれば神が判断基準を決める。もし同じ状況で一人の大人が死んだとしても、それは“自害”に値する。だってその大人は自分が死ぬかも知れないという覚悟を持って線路へ飛び込んだ訳だろう?」
「確かにそうですね。死ぬと分かってての行動なら、自害の他ありません。」
「つまりどういう事やねん。コンが死ぬのと関係無いやろ、」
「お前ら今の状況において何か忘れてないか?」
そうだった。僕はあの生身でこの崖を落ちた後に見た光景のおかげで直ぐに思い出すことが出来た。
この世界は、確実に時間が戻っている。これはきっと、コンさんの仕業だ。確証は無いけど、僕はそう感じた。コンさんの力は、地面では無い。あくまで“地”だ。『地は、時間を示す』という一節を僕は昔本で読んだ事があるが、それは確かな事で、地面は一時一時を重ねる事で成立する一つの自然なのだ。此処でやっと初めて、ゴンさんとコンさんの力の違いが浮かび上がってくる。コンさんが最後に僕に言った、「この力はやばいヨ」という言葉の意味が分かった気がした。
時の流れを示してくれる筈の空は、こればっかりは示してはくれない。唯、憎めない程の綺麗なグラデーションを、僕らに見せつけてくるばかりだった。
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