Episode 64 Dual blazes

 タカトは身体にマイナスGがかからないことを不思議に思った。それと同時に骨の軋むような激痛が左手首に走り反射的に顔を上げると、己の相方の右手が自分の左手首をがっちりと掴んでいるのが見えた。自分より少し大きくて、血管が浮いている、ゴツゴツした手だ。


 (……ディーン……!? )


 視線をずらすと、ディーンの瞳と目があった。小さな赤い切り傷を頬のあちこちに浮かべた彼は、必死で歯を食いしばっている。ギベオンカラーの瞳は充血していて、白目の部分が血のように赤く染まっていた。彼は這いつくばった姿勢となり、右腕一本で男一人の全体重を支えているのだ。万全とは言い難いその身体にかかる負担は、半端ないに違いない。額にふつふつと汗が浮き出しては、形の整った頬を流れ落ちてゆく。


「……くっ……!!」


 その腕にはバンデージが巻かれているが、箇所箇所で緩んだり、切れたりしているようだ。ここにたどり着くまで新たに傷を増やしたのだろうか。あちこち赤く滲んでいる。見るからに痛々しくて、目を背けたくなる位だ。

 

「お前……! 何故ここに? ジュリアちゃんは……?」

「心配ない。彼女は〝リュラ〟達に任せた。今頃はもう宇宙航空まで向かっているはずだ」


 口だけは普段と変わらぬ体で淡々と答えるその顔を、信じられないと言うような表情でタカトは二度見三度見した。驚くあまりに、瞳孔がすっかり小さくなってしまっている。


 (コイツ……自分に何かあったら、妹は頼れる身内さえいないってこの前言ってなかったか!? まぁ、コイツのことだから、何か手を打っているだろうけどよぉ……)


 そこでがくんと、今いる位置から下へとずり落ちる衝撃が二人の身体に襲いかかった。汗でタカトの手が滑り落ちそうになる。ギリギリのラインで持ち堪えたディーンの右手は、震えながらも再びぐっと力を込めた。


「……う……っ!」

「あ……っ!」


 きっとキツイのだろう。ディーンは歯を食いしばって何とか耐えているが、息が切れそうになっている。


「手を離せ……このままでは……お前まで落ちてしまう……!!」

「離さない」

「俺の瞳は……スカーレットさんの瞳だ。そして、俺の身体の中には、お前から大切な者を奪い続けた人間の血が半分流れている」

「……だから、何だと言うんだ?」

「そんな俺が生きていたら、お前の近くに居続けたら、お前を永遠に苦しませてしまう……」


 タカトは続けて何かを言おうとしたが、それを全て覆い尽くしてしまうかのように、ディーンは語りかけた。それはいつもと変わらず平板な声だったが、まるで、怯えて警戒する猫を優しく諭すかのようだった。


「レティの瞳を持っていても、憎い人間の息子でも、君は君だ。それ以外の何だと言うんだ?」

「……」

。自分の大切な相棒パートナーを見殺しに出来る人間が、この世で一体どこにいる?」


 (今、何て言った……? )


 タカトは自分の耳を疑った。あまりにも驚き過ぎて、どう反応して良いのか分からないでいる。相方の整った唇は、自分のことを〝相棒〟と言った。それは聴き間違いようのない事実だった。彼は相方にその続きを催促するかのように、ゆっくりと首を傾げてみせた。翡翠色の瞳が、困惑するように揺れている。それに対し、メテオライトのように鋭く輝く瞳はそれを受け止めるかのように、静かに見つめたままだった。


「……ディーン……」

。君を必ず助ける。こんな所に一人で残しはしない」

「……」

「今から引き上げるから、僕にしっかりつかまれ!」

「……分かった……」


 (聞き間違いじゃなかった。本当にファースト・ネームで……俺を呼んだ……コイツには今まで、コード・ネームでしか呼ばれたことがなかったのに……一体どうしたんだ?)


 タカトは驚くあまり一気に急上昇した心拍数をひた隠しにしつつ、力が入らず震える右手を必死に上へと伸ばした。ディーンはそれを待っていたとばかりに左手で捕まえ、上へと一気に引き上げる。それと同時に、タカトは相方の肩へと右腕を回した。ディーンは自分の右腕を相方の背中へと回し、その身体を抱き寄せるかのようにして引き上げ、その勢いのまま二人は地上の地面へと同時に倒れ込んだ。崩れ落ちた天井の境目から見える大空は既に漆黒で、小さな星々がきらきらと輝いている。


「はあ……はあ……はあ……はあ……」


 荒い呼吸が中々落ち着いてくれない。タカトは身を起こそうとした時、相方の手によって急に胸ぐらを掴まれた。あまりにも力を込め過ぎているせいか、その手は小刻みに震えている。上から覗き込むような姿勢で、星々の輝きを集めたような瞳は翡翠色の瞳を見据えていた。互いの鼻先は一センチメートル位しか離れていない。ディーンの瞳は鉄隕石の輝きを放っていたが、それは荒々しい炎のような怒りの色を帯びていた。


「……?」

「君はあの時言わなかったか?〝絶対に死なない〟と」

「……ワリぃ……別に嘘をつきたかった訳じゃ……」

「これだから、目が離せないんだ……君を一人にすると、本当に、何をしでかすか分からない……!」

 

 そう言い終わるや否や、ディーンは覆いかぶさるように、タカトの身体を強く抱き締めた。それは、もう離さないと言わんばかりの力強さだった。互いの汗と血の匂いに包まれながら、黒のアンダーシャツ越しに彼の体温が直に伝わって来て、タカトは思わず目を剥いた。


「タカト、君はセーラスになくてはならない人間だ。もう一人ではないんだから、自己判断で勝手に死なれては困る!」

「すまねぇディーン……」

「お願いだ……もうこれ以上、心配をかけさせないでくれ……心臓がいくらあっても保たない……!!」


 ディーンの声は震えており、何だかかすれ気味だ。震える身体を通して、心地良い温もりと安堵感が自分の心をゆっくりと満たしていくのをタカトは感じていた。思わず鼻の奥がずきりとしてくる。


 (ああ、俺ってばやっぱり馬鹿! 一瞬でもコイツを疑っちまうなんて。一見氷のように冷たそうに見えるけど、その実こんなにも情に厚く、情に深いヤツなのに……ここまで熱いヤツだとは思わなかったけど! )


 タカトは相棒の背中へ腕をゆっくりと回し、その逞しい身体を抱き締め返した。


 目的を見失わないように。

 歩むべき道を間違えないように。

 互いを互いで繋ぎ止めるように。


 生命を刻み続ける二つの鼓動が力強く、少し早く響いて来るのを感じる。その時タカトは、自分の肩のあたりに濡れる感触を感じた。


 熱く濡れる感触。


 自分を抱き締めている相手は息が苦しいのか、服越しに胸が激しく起伏しているのが伝わってくる。


(そんなに……泣くなよディーン……俺なんかのために……もったいねぇよ……)


 タカトは思うように力の入らない手で、ディーンの背中をゆっくりとさすってやった。これまでずっと自分を気にかけてくれていた彼の真摯な想いに応え、その傷を労うかのように。


 彼のことだ。あの時別れた後、自分の後を追いかけて来て、これまでのことを陰ながらずっと見ていてくれたに違いない……恐らく。


(すまねぇな……危うくコイツをひどく傷付けるところだった……〝死に逃げるな〟とかあの男に言っちまったけど、ひとのこと言えねぇよな……あ〜あ、つくづく自分に愛想つきたくなる……)


 今まで生きてきて、こんなにも得難いと思える人間に出会えるとは思っていなかった。彼になら、自分の背中を預けてみても良いのかもしれない――そう思った時、ディーンの声が耳元から注がれるように聞こえてきた。


「最後まで絶対に諦めるな。そして……ルラキスまで一緒に帰ろう。みんな、君の帰りを待っている」

「……分かった……」


 その時、ディーンは腕の中にいるタカトの顔色が悪いことに気が付いた。額に手をあててみると、ひどい熱だった。彼の少し低めの体温が心地良く感じられるのか、翡翠色の瞳を持つ青年は、気持ち良さそうに目を少し細めている。声に覇気が感じられない。背筋に氷を差し込まれたような緊張感が走った。


「……すまない。僕としたことが……!」

「気にすんなって……こちとらお前のそういう表情かおってヤツ? 普段滅多にお目にかかれないもんを見させてもらってんだ。良い眺めってヤツ?」

「気分は?」

「ん……少しふわふわしている位。どちらかというと気持ち良いぜ……」


 亜空間収納から冷却用シートを取り出し、タカトの額に貼ってやる。それからざっと確認したが、銃創は思っていたより軽く、出血は既に止まっているようだ。細かいことは後で病院で診てもらうことにし、安全とは言い難いこの場からいち早く脱出するのが先決だ。


「何か俺、カッコ悪ぃ……」

「気にするな。君も言っていただろう。万能な人間なんていやしないと……寒くないか?」

「……少し……でも、大丈夫……」


 ディーンは黒のサマージャケットを急いで脱ぐと、朦朧としながら口を動かし続ける相方の背中からかけ、腕を通させた。自分の両腕に巻かれている、血だらけのバンデージが一部ほどけかけたり、ゆるんでぶら下がったりしているが、構っていられない。


「俺ってさ……お前に助けて貰ってばかりだな……面目ねぇ」

「僕だって君には充分助けられている」

「そっか……そんならいっか……」


 彼らの周囲で再び爆発音がした。これで二回目だ。建物の規模を想像すると、恐らくあともう一回はあるだろう。ディーンはタカトを背負うと、両腕で太ももあたりを抱えて膝の裏に通し、その手で肩の上から下げたタカトの手首を掴んだ。


「痛くないか?」

「……大丈夫だ……」

「今から移動する。その間、君は少し眠っていろ」

「……さんきゅー……」

「安心しろ。万が一何かあった場合、僕は君と一緒だ」


 意識が半分以下の状態でも、相方の言葉を一字一句聴き逃すまいと耳を澄ませていたタカトは苦笑した。聞きようによっては心中寸前の人間が吐く台詞ととれなくもない。頬と胸と腹にディーンの温もりを感じながら、誘われるように彼はまぶたを閉じた。

 

(いきなり縁起でもねぇこと言いやがって……しかしコイツの背中、温けぇなぁ……)


 その場から急いで駆け出してゆく彼らの背後で三回目の大爆発が起きた。

 半壊した建物を包み込むように、燃え盛る炎。

 容赦なく降り注いで来る火の雨。

 鈍い音と共にガラスの破片が、闇の中へと降り注がれていった……。

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