Episode 57 白い部屋

 タカトが落ちた所は、あっという間に普通の床へと戻り、何事もなかったかのようになった。あまりにも急激過ぎて、助けにさえいけなかった三人は騒然となる。後を追いかけようと、認証センサーに彼らはそれぞれ手をかざしてみたが、空間が足元に再び現れることはなかった。明らかに、タカトだけを狙った仕掛けとしか思えない。


「……!!」

「ちょっと! 一体何なの!? こんな所に落とし穴だなんて、悪い冗談もいい加減にして欲しいわ!」

「……起きてしまったことは仕方がない。彼をなるべく早く見付け出すしかないな」


 怒りのマグマを激しく噴火させているナタリーの傍で、ロバートが珍しく舌打ちしている。余程腹に据えかねているのだろう。タカトが姿を消した辺りに無言のまま佇んでいたディーンは、こめかみに指を静かにあてた。


『……〝ディアボロス〟聞こえるか?』

『聞こえているよ〝リーコス〟。どうした? 何かあったのか!?』

『〝レオン〟がトラップにやられた』

『ええっ!? 何だって!? トラップ!? アイツが寝惚けてたという訳じゃなく!?』


 疑問符の羅列が続いている。ドウェインも思いの外驚いているのだろう。


『ああ。突然過ぎて誰も救助に間に合わなかった……』

『それは大変だ!』

『一つ、君に急ぎ頼みたいことがある』

『良いよ。緊急だしな。こちらは今のところ、シアーシャに任せられる感じだから、気にしなくて良い』

『……そうか。ありがとう。レティナ ・コールの位置情報検知機能で、僕の場所を特定してくれ。僕が立っている場所にトラップが仕掛けられていたようだ。落とし穴のようなものだから、どこかに通じていると思う。一体どこの部屋へと繋がっているのか、場所を大至急サーチしてくれないか?』

『了解! 俺の得意分野だ。迅速に彼を見つけ出してやる。だから、そんなに心配しないでくれ〝リーコス〟』

『……頼む』


 〝レティナ・コール〟を使って連絡を取り合っていたディーンの唇には、終始緊張が走っていた。銀色の瞳は抜きたての真剣のように鋭く光っている。右の握り拳が、先程から小刻みに震えており、爪の先まで青白くなっていた。


 一見冷静であるように見えるが、内心で一番動揺しているのがディーンなのは、誰の目にも明らかだった。ディーン以外のエージェント内で、一番狙われているのはタカトだ。それなのに、まんまと敵の罠にはまるのを止められなかった。彼は自分への怒りでかなり苛立っているだろう。


 とにかく彼をいち早く見付け出し、囚われているジュリアを助け出さなければならない。先程のドウェインとのやり取りで、彼女を含めた拉致被害者達に関する情報が一切なかった。恐らく、まだ見つかっていないのだろう。


 (嫌な予感がする……急がなくては……! )


 鼓動が早鐘を打つのを止めようとしない。

 得も言われぬどす黒い感情が溢れてきて、胸がきつく締め付けられる。

 思考が氾濫した水で押し流され、渦を巻いているような感じだ。

 焦燥感の洪水で思考がいっぱいになり、激流が頭の中をぐるぐると搔き回している。

 焦っても仕方がないのは分かっているのだが、心が先走っている状態だ。


 (タカト……ジュリア……! お願いだ。無事でいてくれ……! )


 ディーンは強く目を閉じ、身体を焼き尽くすような苦痛を堪えようとしている。彼の悲痛な叫び声は、胸の奥底で激しく響き渡っていた。


 ◇◆◇◆◇◆ 


「ええっ!? タカトがトラップに!? それ本当かい!? ヤバいじゃないかそれ!? 一体何やってるんだアイツは!?」


 ディーンから来た緊急連絡の内容を聞いたシアーシャは、素っ頓狂な声を上げた。ドウェインに負けず劣らず、疑問符満載の返事だった。誰が聞いても似た反応をする時点で、やはり意外性の方が強いようである。


「まさかアイツがやられるとは思わなかったけどな。まぁ……ここは母星じゃないし、勝手が分からないからなぁ」

「ところで、ディーンは大丈夫そうかい?」

「何とか……と言ったところだな。かなり理性がとんでいそうだけど……」


 それを聞いたシアーシャは眉をひそめてうなだれつつ、盛大なため息をついた。


「……だろうね。身内を人質に取られているし、大切な相棒まで連れ去られたようなものだからな。ただでさえ、彼は見かけによらず激情家だから尚更……あああ、全く! どうしてこうなるんだろうねぇ……!」


 ついでに悪態のおまけもついておく。苛立ち紛れに前髪をくしゃくしゃとかき上げた。


「……というわけで、俺はタカトを探しに行く。ここは君に任せて良いか?」

「大丈夫だよ。あたしもあの二人のことが気掛かりだ。助けてやってくれ」

「分かった。あの通路の先に金属色の戸が見えると思うのだが、その部屋が気になるんだよな。先程一足先に視た・・時に気配を感じたから」

「そうかい。君のそういう勘は良く当たるから、ビンゴかもしれないな!」


 シアーシャはホクロのある唇の端を引き上げ、にやりと笑みを浮かべた。それに返事をするかのように、ドウェインも一瞬口角を引き上げる。


「因みにそれは間違いなく人間の・・・だから、その点は心配無用だ。戸を開けるようにしておくから、一足先に部屋の中の状態を調べて欲しい」

「OK」

「彼を見付けたら、ディーン達を誘導する。そうしたらすぐに戻って来るつもりだ。俺じゃなければ出来ないことがあるだろうしな。でも何かあったら、すぐに呼んでくれ。即駆け付けるから」

「了解! 気を付けてな」

「いつも頼りにしてるぜ〝スコルピオス〟」

「さっさと済ませて、道草食わず早く戻って来いよ〝ディアボロス〟」


 憎まれ口を叩く彼女に右手で合図をした後、彼の身体は周囲の壁に溶けるように消えていった。


 ◇◆◇◆◇◆ 


 ドウェインを見送った後、シアーシャは彼の言う部屋まで近付こうとし、ふと足を止めた。


「ええっと、確かこの戸はもう開くって言っていたよね……」


 あの時、ドウェインが急いで戻って来てくれたお陰で、自分は命拾いした。その結果、こちらが後回しになってしまったが……。もしこの部屋が、囚われているルラキス星の拉致被害者が閉じ込められているそれであったのなら、既に目的を達成出来ていたのかもしれない。自分のせいでタイムロスを発生させてしまい、彼女は申し訳ないと思った。


 (あたしも、まだまだ精進が必要だねぇ……まぁ、今後の課題にしておこう)


 彼女は雑念を払い、戸の傍にある認証センサーに手をかざすと、何の音もなく戸は静かに開いた。身体がつい反射的に強ばり、構えの姿勢をとったが、特に彼女を襲うような気配は見られない。


 (? 誰だろう? 人のいる気配はあるようだが……)


 奥の方から物音が聞こえてくる。中に入ってみると、部屋の中は幾つか個室が分かれていた。壁紙は真っ白だった。戸には窓が設けられ、その個室内を見ることが出来る。ドアノブがあったが、鍵がかけられていて開かない。見た感じ部屋というより、形の良い独房のような雰囲気だ。


「……誰!?」


 左の方から、か細い女の声が聞こえてきた。シアーシャがその方向へと顔を向けると、一つの部屋から女が一人、戸の窓に顔を押し付けるようにしてこちらを見ている。思ったほど顔色は悪くなさそうだ。視線があった瞬間、びくりと身体を痙攣させて後退りし、身体を奮わせていた。目が泳いでいて、焦点を合わせようとしてこない。部屋の中の彼女はかなり怯えてそうである。自分がこの研究所の関係者と誤解されては大いに面倒だ。シアーシャは両手を左右に振って、否定のジェスチャーをした。


「脅かしてしまったのならごめんよ。あたしはここの人間じゃないから安心して! 違ってたら悪いけど、あんた達、ひょっとしてルラキス星から連れてこられたアストゥロ市民じゃないのかい?」


 各小部屋に閉じ込められている人々の中で、驚きの声と、どよめきが広がっていくのが聞こえてきた。中の人々の表情がみるみる変わっていくのが、手に取るように分かる。それぞれ窓から顔を押し付けるようにして、こちらを覗いてきた。


「じゃあ、あなたは……」

「あたしかい? あたしはあんた達をここから出し、母星へ連れ戻すために組織から派遣された〝セーラス〟のものさ」

「……! それじゃあ私達……助かるのね!!」


 各個室内の人々が安堵のあまり顏を歪ませ、むせび泣きそうになっている。空気中に漂う緊張感が一瞬にして搔き消えた。


 彼らは一体、何を目的に捕らえられていたのだろう? そこまではまだ良く分からない。


 その様子を見ながら、シアーシャはハイスクールの女子生徒の姿を探した。しかし、部屋のどこを探しても見付からなかった。聞いていた拉致被害者数と照らし合わせているが、一人足りない。


「ところであんた達に聞きたいことがある。ここに連れて来られた者達で、十代の女の子を見なかったかい?」

「そんな子は……ここにはいないねぇ……」

「え? 一緒じゃなかったのかい?」

「少なくとも、この部屋では見てない。我々はこの部屋にただ押し込められただけだったから……」


 その場にいる誰もが首を横に振るばかりだった。その表情はどこか申し訳なさそうである。


 ――何故、ディーンの妹だけがいないんだ……!? 


 シアーシャはどうして良いのか分からなかった。

 

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