Episode 41 縁のないこと

 (……やはり、あの一件が原因か……)


 タカトはその場に居合わせたわけではないので、想像することしか出来ない。三年前の事件による兄の変貌振りが余程凄かったのだろう。目の前で降り始めた雨は、中々止む気配が見られないようである。


「それに、兄は大事なことほど言ってくれないんです。この前もはぐらかされちゃって、その話題から逃げちゃって。それがずっと歯がゆくて歯がゆくて……」

「男っつーのはそういうもんだぜ。俺も言わねぇこと割と多いしよ。まぁ、あいつの場合は言葉が少な過ぎだと思うけどな」

「それでも心配します。頭では分かっていても。でも本当は言って欲しい……」


 兄のために一生懸命になっているジュリアを見ていると、いじらしさを感じつつ、何とも朗らかな気分になった。家族の温もりって、そういうものなのだろうかと頭の中で思い描いてみるが、何か、ぽっかりと抜け落ちた感じがする。そういえば自分には元々「家族」はいなかったっけと改めて思い直し、知らないのだから、想像出来ないのも無理はないかと割り切った。


「あーなぁんか、羨ましい!」

「?」

「俺よ、施設育ちなもんだから、親の顔はどちらも知らねぇ。兄弟姉妹もいねぇから、正直言って、あんたがちょっと羨ましい」

「え?」

「そんな風によ、自分を心配してくれる肉親が俺には最初からいねぇ。反対に心配する肉親もいねぇ。縛りはねぇが、ちったあ寂しいかな」

「レッドフォードさん……」


 ジュリアは驚いたように目をぱちくりさせている。先程まで止まなかった大雨は、小雨となりかけていた。


「つまりよ、俺が言いたいのはな、甘えられる時、兄貴にしっかり甘えとけってこと。あんたが親御さんに甘えられなかった分、あいつはあいつなりに、あんたを精一杯甘えさせてやりたいんだと思う。守るだけじゃなくってよ」

「……そう……なんですか……?」


 真っ白なハンカチで口元を抑えつつ、やや声が震えている少女を見守りつつ、タカトは胸の奥がチクリと傷んだ。


 自分がもっと気を付けてさえいれば、ディーンが撃たれることなどなかったのかもしれない。今回は急所を外れていた為、九死に一生を得たようだが、場所が悪ければ命を落としていた可能性も充分ある。彼女はさぞ怖い思いをしたに違いないと思うと、己の頭をぶん殴りたくなった。


 正直、彼女に対して申し訳ないと思った。その罪滅ぼしとでも言いたげに、少女の頭をそっとなでてやる。


「おうよ。少なくとも、あんたはあいつの生き甲斐だぜ。この俺が保証する」

「……」

「今の内に、存分にカッコつけさせてやってあげな。男って、単純なことで喜ぶ生き物だからよ」

「レッドフォードさん……」


 そこで、ふと壁にある時計が視界に入った。チッチッチと時を刻む針は、十五時四十五分を指している。時が過ぎるのはあっという間だ。

 

「それはそうと、もうこんな時間だ。あんた、寮の門限は大丈夫か?」

 

 タカトの指摘で、頭の中を現実に戻したジュリアは、時計を見てその場で飛び上がりそうになった。


「あ! ……私ったらつい……ごめんなさい!! もう少ししたらここを出るつもりです。面会時間も、もう終わりますし」

「そっか。そんじゃあ、俺が寮まで送っていくぜ」


 タカトから突然提案されたことに、ディーンの妹は両目を大きく見開いた。信じられないとでも言いたげで、口が軽く開けっ放しになっている。


「ええ!? そんな……良いのですか!? せっかくのお休みなのに……」

「ほうら気にすんなって。俺、今日は本当に何にもねぇ日だったから」

「え……えっと……」


 ジュリアは目を泳がせながらもじもじしている。どう反応して良いのか迷っているのだろう。その様子も、大変愛らしい。

 

「いつもなら、兄貴が寮まできちんと送ってくれているんだろ?」

「ええ……でも……」

「なぁジュリアちゃん。他人の好意は素直に受け取っても、バチはあたらないぜ」

「……ありがとうございます。レッドフォードさんって、本当にとっても良い方ですね。兄の仕事相手の人がレッドフォードさんで、本当に良かった」


 ジュリアは花がほころぶような笑顔を浮かべた。タカトはどこかくすぐられたような表情をしながら、人差し指で鼻の下をこすった。


「タカトで良いぜ。苗字で呼ばれると、何か余所余所しくていけねぇな」

「え!? ……タ……タカトさん……何か……何か、とっても……恥ずかしいです……!!」


 頬をうっすらりんごのように赤く染め、声が消え入りそうになっている美少女を見て、思わず血圧が一気に爆上がりしそうになる。彼女の初心な反応は、身悶えしたくなるほど可愛かった。


 (うっひょー!! 何か身体中がこそばゆいぜ!! あああ我慢我慢!!)


 タカトは照れ隠しに後頭部をぼりぼりとかき始めた。


「何か、分かる気がします。兄の相手がタカトさんで大丈夫だなって。今日初めてお会いしただけでも、凄く分かります」

「よせよせ。未成年が大人をからかうんじゃねぇよ。くすぐってぇじゃねぇか」

「いえ、どう言えば良いのか良く分からないんですけど、タカトさんとお話すると、どういうわけか〝自分を分かって欲しい〟という気になっちゃうんですよね。無意識に心を開きたくなると言うか……」


 これは褒められてるととっても良いのだろうか? 

ジュリアはただ純粋に言っているだけというのは分かる。だが、別の意味にも聞こえるような気がするのは、一体何故だろう?


「はぁ……そいつはどーも」

「結婚相手以外で、仕事相手も凄く大切だと言うことが良く分かりました。これからも兄を……兄を、どうぞ宜しくお願い致します」


 何度も頭を下げて一生懸命に懇願する美少女をなだめつつ、タカトは始終鼻の下を伸ばしっぱなしだった。


(細かいことは抜きにして、こんなカワイコちゃんに頭下げられちゃうと参っちゃうぜ……マジで)


 両親亡き後、ディーンは彼女をそれまで以上に大切に守り、育ててきたのだ。親を亡くしたのは恐らく彼女が十歳位――親の愛情を必要とする年齢だっただろうと思われる。今の彼女を見ていると、彼がどれだけ慈しみ、大事に育ててきたのかが良く分かる。 


(あいつ、まだ二十四なのに、随分と苦労してきているんだな。俺が自由奔放好き放題していた時に、地獄を見ていた訳か……)


 大切な妹を守り、自分達の生活を守るために、ディーンは自分の時間の全てを忙殺してきた。それをずっと傍で見てきただけに、彼女は兄のことを心配しているのだ。


(麗しき兄妹愛ってやつかぁ……まぁ、俺には縁のないことだ)


 幼い頃世話になった施設長は、多少悪さをしても「何事も経験」と、大きな目で見てくれるような人だった。同じ施設にいた同級生達も、それなりに仲良くしていたから、当時はさほど淋しいと思わなかった。しかし、この兄妹を見ていると、自分は「肉親」に対する憧れが全くない訳ではなかったのだなと、己に対する認識を改めた。




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