Episode 40 ジュリアの心配

 この病院内の食堂は一階にあり、大きく設けられた窓から見える景観が殊の外大層素晴らしかった。中庭に植えられた樹木の間から、木漏れ日が優しくささやきかけている。それは窓ガラスを通して幾筋も射し込こんできては、どこか眠そうにたゆたっているように見えた。


 ちょうど昼下がりの時間帯だった為か、病院内食堂は閑散としており、ゆっくりと話をするには申し分なかった。空調が程よく効いており、気持ちが良い。流れてくるヒーリング・ミュージックが、静かで穏やかな時を刻んでおり、ここが病院であることを忘れてしまいそうになる。


 タカトの前にはアイスコーヒー、ジュリアの前にはオレンジジュースのグラスが置いてあった。

 

「すみません。初めてお会いしたばかりなのに、急にお願いなんかしちゃって……」

「俺は構わないぜ。こ〜んな可愛〜いお嬢ちゃんと一緒なら、一人でいるより充実した時間を過ごせるしな!」


 タカトは白い歯を出し、太陽のようなにこやかな笑顔を見せた。彼の笑顔は、見る人を安心させるような、不思議な魅力がある。ジュリアはストローでグラスの中身を吸い上げ、こくんと飲み込んだ。すっかり汗をかいているグラスを紙製のコースターに置くと、艶のある桃色の唇を動かし始めた。


「妹の私がこういうのもなんですが、兄の相手、大変でしょ?」 

「いやいや、そうでもねぇよ」

「……やっぱり。全くもーお兄ちゃんたらー。仏頂面しないで、もっと笑顔を出すようにと言ってるんですけどねぇ……」


 彼女の勘は鋭いようで、しっかり見抜かれていた。やれやれとため息をつく様は、まるで彼の母親のようで、微笑ましい光景だ。急に両親を亡くし、これまで二人きりで頑張ってきたのだ。きっと、肉親ならではの苦労が色々あるのだろう。

 

「兄は、あんな感じですけど……本当は、とっても優しいんです」

「それは何となく分かるぜ。あの雰囲気だとちぃっと分かりにくいけどな」

「職場の皆さんからもお話を伺いましたが、特に、兄と良く一緒にいるのはレッドフォードさんだと伺いまして……」


 確かに、彼女の言うことは間違っていない。バディを組んでいる以上、他の同僚に比べ、彼との接触率は一番高い。しかし、妙にそれ以上の付き合いに聞こえるのは気のせいだろうか。


「兄は、最近どうですか? 私、普段学校に併設されている寮にいるので、兄とはたまに連絡をとってはいるのですけど……直に会うのは本当に久し振りで……」


 彼女は緊張しているのだろう。声が少し震えている。唯一の肉親と久し振りに会うのが病院というのも、何とも言えない状況である。それも、意識不明の重体だった入院患者の面会だ。彼女なりに不安もあって、色々疑問に思っているだろう。

  

 (久し振りに兄貴に会うのが面会謝絶解除後だなんて、驚くよな。普通)


 一般市民である彼女は、兄の職務内容については何一つ知らされていないはずである。

 まさか、勤務中に狙撃されたとは言えない。

 それも、狙われた自分を守って代わりに撃たれただなんて、口が避けても言えない。

 彼女に聞かれたらどう上手に答えようかと、タカトは頭の中で色々思案していた。変に聞かれる前に、こちらから先手を打っておくのも良いだろう。


「兄貴は特にいつもと変わらず、元気にしているぜ。入院しちまう前まではな。今回は本社に戻る途中で運悪く巻き込まれたと聞いたが、犯人は既に捕まっている。その点は心配しなくて大丈夫だ」

「そうですか」


 とっさに作った出任せで上手に逃げ切ろうとしてみたところ、ジュリアは特にそれ以上聞いてくることはなかった。表情の硬さが若干取れているところを見ると、少し安心したようである。作戦はまあまあ成功したと言えよう。


「兄は、私の為にずっと頑張ってくれているんです。それが何か心苦しくて……」


 どうやら、彼女が一番気にしているのは、タカトが想像したこととは違うようである。それが分かった途端、肩の緊張が少し取れた気がした。そのままストローでグラスの中身を吸い上げると、泡一つない氷がカランと音を立てる。ここのコーヒーは口当たりはまろやかだが、フルーティーで少し酸味がある。ガムシロップとコーヒーフレッシュは未開封のまま、傍に置いてある白い小皿の上で転がっていた。


「兄貴が妹の面倒を見るのは、年長者として当たり前だし、あんたが気にしなくても良いんじゃねぇのか?」

「今はともかく、兄は、私にユニバーシティに行くようにとも言うんです。兄はハイスクールを卒業してから即社会人になったというのに……」


 どうやら、進学についての悩みもあるようだ。早くして兄妹二人きりになったため、進学せずに就職を選択した兄の背中を見て、彼女なりに色々気にしているに違いない。そんな彼女を見て、タカトは諭すように語りかけた。


「こう言っちゃあなんだが、この都市では学歴を持っておいた方が就職する際に優位になるぜ。その分、出会いも多いしな。俺も理由あってハイスクール止まりだが、就職先に制限がかかってくるからよ、職探しに苦労したぞ。知り合いのつてで、今の職場にいるようなもんだしな」

「そう……なんですか……」


 目の前に座る美少女が、不思議そうな顔をしてタカトの顔をまじまじと眺めて来る。しかし、ダークブラウンの瞳は若干曇りがちだ。


「後先のジュリアちゃんの為を思って、あいつなりに頑張っているんだと思うぜ。早く亡くしちまった親御さんの代わりだな。良い兄貴じゃねぇか」

「私、本当は早く自立して、兄の負担を下げたいんです。それに……」


 再び伏し目がちになった二重まぶたの瞳に、再び影がさしてきた。大雨警報がなり始めたもようである。

 

「いつも忙しい思いをしている兄には、幸せになってもらいたいんです。それなのに、あのことがあって、益々取り憑かれたように仕事の鬼になってしまって……」


 そこで、ジュリアは口をつぐんだ。身体が小さく震えたかと思ったら、瞳が潤んで来ている。ああ、恐らく三年前の事件のことだろうと、大いに予想がつく。


「今の兄は何だか……いつも痛々しくて……それが不安で……仕方がないんです……」


 やがて、彼女はぽろぽろと大粒の涙をこぼし始めた。桃色の頬を伝っては糸が切れて離れた真珠の玉のように、散らばっていった。


 

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