Episode 35 Bloody sunset

 タカト達を乗せたPWCが桟橋までたどり着くと、それを貸し出してくれた現地スタッフ達が、はらはらしつつも、歓声と共に温かく出迎えてくれた。二人が戻って来るのを、今か今かと心待ちにしていたようである。


「本当に……本当に、アレはもう現れないのですか!?」

「俺達が存分にから、今は海の底でゆっくりとおねんねしてるぜぇ。遊び過ぎてくたびれてたようだから、起きてこれねぇ筈だ……もう二度とな!」

「あああどうもありがとうございます! どうもありがとうございます!! お二人には感謝してもしつくせません……!」


 巨大鮫モドキに二度と脅かされることがないと思うと、すっかり緊張の糸が緩んでしまったのだろう。オイオイと泣き出すスタッフも続出する始末だ。強面の男性スタッフまで涙と鼻水の洪水で正視出来ない状態だから、余程だったのだろう。


「仕事ですから。あと一台の白のPWCに乗った二人がもう少ししたら帰って来ます。彼らのお陰なので、礼なら彼らに言ってあげて下さい」


 感謝感激雨あられ状態になっている現地スタッフ達にすっかり揉みくちゃにされ、二人はしばらく身動きがとれなかった。


 ◇◆◇◆◇◆


 それから十分位して二人は手続きを終えた後、そのまま宿泊施設にある部屋へと戻ろうとしていた。

 全身ずぶ濡れ状態だし、身体全体が疲労で鉛のように重かった。

 両目共にまぶたが重い。

 部屋に戻ったら温かいシャワーをひと浴びし、早めに休んだ方が良さそうだ。


 そんな二人がビーチを離れ、芝生の上を歩いていたところ


 ――カチャリ


 という金属音がした。

 研ぎ澄まされたディーンの耳がその音をとらえた。   


 ――何か、嫌な予感がする。


(誰かがこちらを狙っている……? )


 音がした方向に銀色の視線だけを向けると、砂浜と草地の境目の物陰に黒い影が見える。

 黒いスーツを着た男のようだ。

 良く見ると、銃口がこちらを向いているではないか! 

 それも、射程圏内に入っているのはタカトである。


(……!!)


 その時、ディーンの脳内で忌まわしい過去が一瞬過った。それが当時の感情をなぞり、彼の心を大きく波立たせる――もうわけにはいかない!


「危ない!! 伏せろ!!」

「!?」


 タカトが顔を上げて振り向くのと、相手が引き金を引くのが同時だった。


「!!」


 突然タカトは後ろに向かって突き飛ばされ、地面に身体が叩きつけられた。

 反射的に受け身の体制をとって、身体に受ける衝撃を減弱させたものの、身体中を走る激痛に彼は思わず顔をしかめる。

 それと同時に乾いた銃声が周囲に響き渡った。


「痛!! ……てめ……! いきなり何を……?」


 瞬時に起き上がったタカトの目の前で、信じられない光景が写っていた。

 彼は眼をいっぱいに見開いた。


 黒のウェットスーツを着た青年が、タカトを守るように立ちはだかっていた。

 その手には彼の愛銃が握られており、銃口から真っ白な硝煙がゆらりと立ち上ってゆくのが見える。

 亜空間収納から出して使ったのだろう。

 その先で、一人の男が真っ黒な液体を盛大に拭き上げながら地面に倒れてゆく様が、スローモーション掛かって見える。


「ガハァ……ッ!!」


 男の身体が足元にある砂浜へとどしゃりと叩きつけられた途端、ディーンの左の腹のあたりから鮮血が火柱のように吹き上がった。

 炎よりも鮮やかな鮮血。


「くっ……!!」

「〝リーコス〟ッッッ!!!!」


 ディーンの足元に赤い雫が流れ落ち、真っ白な砂浜に大小の染みを作っている。

 彼の愛銃が手から滑り落ち、かしゃりと音を立てた。

 

……一体何をやって……!!」

「う……っ……」


 苦悶の表情を浮かべつつ両膝をつき、力なく前方へと倒れ込んだ相方の身体を、タカトは慌てて前から両腕でしっかりと抱き止めた。


(撃たれた……? コイツが……? 何故……?)


 痙攣を起こし、まともに動きをとれないアンストロンが視界の端にうつったが、そんなことはどうでも良かった。

 カクカクと音を立て痙攣を起こした状態を見るに、ディーンの銃弾は、恐らく〝コア〟に命中しているだろう。

 放っておいても自分達に害をなさないのは、火を見るよりも明らかだった。

 その傍には、真っ黒な凶器が一丁落ちている。


(まさか……俺を庇って……!?)


 脳を過った最悪のシナリオに襲われ、やかましく鳴り響く心臓を押さえ付けつつ、タカトは倒れた相方の上体を何とか起こそうとした。


 左腹を押さえている、色白の指の間からあふれた血が、砂の上にぼたぼたと音をたてて落ちてゆくのが目に飛び込んでくる。


(そんな……嘘だろ……!?)


 己の腕の中にいるディーンはぐったりとして、動こうとしない。

 押し返してくる力すら感じられなかった。

 

「おい!! しっかりしろ!! 〝リーコス〟!!」


 混乱する気持ちを強引に押さえ込みつつ、必死に呼びかけるが、どうしても身体と声の震えが止まらない。

 咄嗟に彼の首筋に手をやると、ただでさえ低い体温が冷たさを更に増しているように感じ、背筋が一気に凍り付く。

 タカトの肩越しに、消え入りそうなディーンの声が聞こえた。

 彼は何かを口走っているようだ。


「……もう……見たくない……」

「……え……?」

「……これ以上……見たくない……」

「おい!! 一体何を見たくねぇんだ!? の声、全然聞こえねぇよ……!!」

「……」

「〝リーコス〟!!」


 どんなに頑張って耳を澄ませても、タカトは全てを聴き取ることは出来なかった。

 こういう状況でも、ディーンは意地でも本音を言おうとしないようだ。

 何て強情なヤツなんだ!

 苛立ちを覚え、余計に手が震えてくる。


 いつも口数の少ない相方が、何かを訴えている。

 だが、声が届きそうで届かない。

 どうしてなんだよ!!

 俺はこんなにもと思っているのに……!!


 ああ、確かに、最初俺は勘違いしていた。

 お前が俺を無視するような言動ばかりとるから、お前に嫌われているとばかり思っていた。

 でも、本当に嫌いならここまでして俺を守ろうとはしない筈。

 理由は良く分からねぇが、すっかり誤解していたようで、悪かった。


 本当はもっと知りたい、お前のこと。

 中々スムーズにはいかねぇけど、お前だって少しずつ歩み寄ってきてくれているのが感じられる。

 きっと、俺達はもっと知り合える筈だ。

 そう思っていた。

 

 それなのに……!

 

 お前が一体、何を考えているのか、分からない。

 お前は一体、何を抱えている?

 お前は一体、何を望んでいる?


 知らないことが多過ぎて、手を伸ばしたくても、どう伸ばせば良いのかが良く分からねぇ……。

 

 今までだってそうだった。

 相手を受け入れてそうでいて、そのクセ肝心なところで頑なに拒んでいる。

 相手をそれ以上受け入れようとしないのは、一体何故なんだ?

 誰も信用出来ないとでも言うのか?


(取り敢えず止血しねぇと……!! )


 タカトは砂浜の上に相方の身体を横たわらせると、タッパーにあるジッパーを上から下へと一気に下ろした。

 すると、ずぶ濡れの真っ白なインナーTシャツで覆われた胸や腹が、流れ出る血でみるみるうちに、真っ赤に染まっていくのが視界に入り込んできた。

 貼り付くシャツを上にまくり上げると、彫刻のように割れた腹筋が見え、左の下腹部あたりに、醜く抉れた銃創が現れた。

 色白の肌の上に、大きな赤い牡丹の花が咲いたようになっている。

 それを目にしたタカトの中で、大切な何かが壊されるように感じた。

 腹の底から苛立ちがみるみる間に溢れてくる。


(死なせてたまるか……!!)


 タカトは己のタッパーを急いで脱いだ後、ディーンの腹部を覆うようにかけた。

 その上から銃創のある部分を震える両手で押さえ込み、体重をかけて圧迫止血を試みた。

 色白の顔や形の良い唇が、出血のために増々青白くなってゆく。

 目は眠そうに虚ろで、ぼんやりしている。

 呼吸が速く浅くなり、 身体が小刻みに震え始めている。

 タカトは何者かによって急き立てられるかのように、何度も何度も相棒に呼びかけた。


「〝リーコス〟!! 〝リーコス〟!!」

「……レティ……」


 タカトにそう言い残した後、やがてディーンの意識は、闇の中へと静かに飲み込まれていった。


「ディーンッッ……!!!!」


 銃声を聞き付けたのか、血相を変えたナタリーとロバートが、遠くから駆け付けて来るのが見える。

 アンビュランスによるけたたましいサイレンの音が近付いて来る中、タカトの叫び声が空気を切り裂くように、周囲へと響き渡った。


 海の上には勇壮で、悲劇の色あいをたたえた、見事な夕映えが広がっている。そんな中、金色と鮮血の色の布地が引き裂かれたような夕陽が、静かに沈んでいこうとしていた。


 

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