Episode 29 蘇る夢
スカーレット・ハサウェイ――彼女は元々セーラス事務部所属の職員だった。茶色のエアリーなウェーブヘア。ぱっちりとした翡翠色の瞳。いつもふんわりと優しく微笑みを絶やすことのない、上品かつスレンダーな美人で、本部内でも彼女は花のような存在だった。
彼女がディーンと出会ったのは、書類ごとで彼が事務部のルームに立ち寄ったのがきっかけだった。それは些細なことだったが、それから本部の建物内で何度も出会うことが幾度か重なり、いつの間にか互いに好意を持つようになっていた。彼女の持つ他人を癒し、包み込むような優しさが、彼の心を捉えて離さなかったのだ。
――君を〝レティ〟と呼んでも?――
――ええ。嬉しいわ。あなたにそう呼んでもらえるのが一番嬉しい!――
その時の、頬を薄っすらと桃のように朱く染めた彼女は、思わず抱き締めてしまいたくなるほど愛おしかった。そのことを、今でもはっきりと覚えている。
◇◆◇◆◇◆
当時、ディーンはセーラスに就職してまだ二・三年ほどしか経っていなかった。変動だらけで常に生命を天秤にかけっぱなしの状態であるこの仕事に慣れるのと、自分と妹の生活を支える現実に頭の中がいっぱいで、心の余裕が全くなかったのだ。そんな中、彼が彼女と出会ったのは正に僥倖だったのかもしれない。
そんなある日のこと、突然〝執行部〟にスカーレットが来たのだ。それも事務手続きのついでではなく、新たに加わった「相棒」として。彼女のコードネームは〝
――私、本当は〝執行部〟に入りたかったの。たまたま枠が空いてなくて、前のところにいただけで……――
彼女がつい漏らした本音に最初は驚いたディーンだった。まさか転属願いまでして執行部に来るとは思っていなかった。書類が一度審査に通ってしまえば、覆されることはない。外見に似合わない行動力に、思わず舌を巻いた。
――何故ここに来たんだ? 君が思っている以上にここは過酷な部署なんだぞ!? ――
――私は本気よ! だって、あなたが心配しなくったって、ここの試験をパス出来る位の実力はあるわ。それに……――
スカーレットはディーンの瞳を射抜くように見つめてきた。
――私だって知りたいの。アンストロンを凶悪化させるのは一体誰なのか、何故そんなことをするのかを――
真っ直ぐな二つの翡翠色の瞳には、強固な意思が感じられた。この状態の彼女に何を言っても、止めることが出来ないと嫌でも分かっていた。だからこそ彼は、心中にやり場のない激しい怒りを覚えた。
――君の能力については僕も分かっているよ。誰もが持たない〝切り札〟を持っているって。確かに、執行部にとって大いに助けとなっている。だが、一度関わり合うと危険から逃げられなくなるんだぞ!! ――
――だって、誰よりもあなたの傍にいたいんだもの! 何かあった時、私はあなたの盾になりたいわ!! ――
――レティ!! ――
――でもそれはあくまでも〝最悪の場合〟を想定した時の話よ。私だって、そう簡単にやられるほどヤワじゃないわ!! ――
いつも優しい彼女が、今まで見せることのなかった苛烈な想いになす術もなく、その時ディーンは咄嗟に言い返せなかった。上層部が許可した決定事項を変えることは不可能だ。自分の思わぬ方向へと進んで行きそうな暗い未来を、何とかして回避したくて藻掻き続けていた。しかし、一体どうすれば良いのか、分からない。
(ならば、自分が彼女を何が何でも守らねば……)
常に神経を研ぎ澄ませながらの日々を過ごしながらも、次第にディーンは、彼女が与えてくれる安らぎの時間に身も心も溺れていった。厳しい現実から唯一逃れられる方法は、それしかなかったのだ。
そんな幸せな日々が粉々に打ち砕かれたのは、それから半年ほど経ったある日のことだった。
凶悪化したアンストロン鎮圧への指令がディーンとスカーレットに入り、たまたま外出中だった彼女が、彼よりも一足先に現地入りするとレティナ・コールで連絡してきた。
場所はアストゥロ市内。
標的は大通りのど真ん中で暴れているらしい。
嫌な胸さわぎがしたディーンは通知を受け取った途端、何もかも放りだして本部を飛び出した。
とてつもなく不吉な予感に心臓を掴み取られながらも、彼は現場へと急いだ。
――〝ホレフティス〟!! ――
ディーンが現場に辿り着いた時、現場は炎に包みこまれていた。アンストロンによって手や足が食い千切られた大量の死体が、周囲にあちこちと無惨に転がっている。そこへ、乾いた銃声が周囲へと鳴り響いた。
――レティ!?――
蒼白となった彼は彼女の名を叫び続けた。
レティナ・コールも使ったが、応答がない。
どうしようもなく襲いかかってくる不安を押しのけつつ、炎による火の粉が飛んで来るのにも関わらず、スカーレットの姿を必死に探し続けた。
(お願いだ。間に合ってくれ……!! )
すると、周囲を取り巻いていた白い煙がゆっくりと消え、視界が一気に広がった。
しかし、残酷なまでに現実そのものの光景が彼を待っていた。
崩れ落ちたかのように動きを止めている真っ黒なアンストロンの傍で、スカーレットは横向きに倒れていたのだ。
彼女の左腹から流れ出した血は、傍で大きな血溜まりを作っていた。その右手には〝コア〟がしっかりと握られていて――
ディーンは急いで駆け寄り、その身体を抱き起こした。
――レティ……!! レティ……!! しっかりしろレティ……!! ――
――……その声は……私の……ディーンなの……? ――
彼の腕の中で薄っすらと目を開いたスカーレットは、力なく微笑んだ。循環剤と己の流した血にまみれ、全身が真っ黒になっている。
その焦点はあっていない。
ディーンの顔を健気に探そうとしているその頬を、彼は愛おしげに左手で包み込んだ。
冷静になろうと己を奮い立たせるが、思い通りにならない。
――誰だ? 君をこんなひどい目にあわせたのは……?――
――……ごめん……なさい……――
声が震えている。
ディーンは顎からしたたり落ちてゆく、冷たく湿り気のある嫌な感触を覚えた。懸命にこらえていた涙が、あふれて頬を伝っていたのだ。彼女は痙攣のために震える手を必死にのばし、銀色の目から溢れ落ちる涙をそっとぬぐい取った。
――レティ……? ――
彼は黒く胸をゆっくりと蚕食してゆく絶望に抗うかのように、震える声を押し出しつつ彼女に呼びかけた。
――ねぇお願い……笑って……ダーリン……あなたは笑顔が一番似合うから……――
彼女は、それを彼に伝えたきり動かなくなった。
全身の筋肉から、溶けるように力が消えてゆく。
微笑みを浮かべて事切れた彼女の死に顔を、呆然と見つめたまま、ディーンはそのまま動けなかった。
――レティ……? ……嘘だろ……? ――
今朝、己の腕の中で安らかな寝息をたてていた彼女が、もう二度と目を覚まさない。
自分の傍にいたいと言っていた優しい声は、もう聞こえない。
ずっと眺めていたかった翡翠色の瞳は、もう二度と開かない。
あれだけ守りたかった生命が、腕からこぼれ落ちてゆく……。
うわあああああああああああああああああっっっ!!!!
――レティ―――――ッッッッッッ!!!! ――
ディーンの凄まじい絶叫は、炎で深紅に染まった世界を引き裂くように響き渡った。
(何故……何故……こんなことに……!!)
やがて、冷たい雨が振り始めた。
そして、それは豪雨へと姿を変えてゆく。
服や肌の上を弾く感触は、まるで刃物が突き刺さるかのように痛かったが、それでも彼はその場を動かなかった。スカーレットの身体を抱きしめながら――
(こんなことになるくらいなら、あの時、何故止めなかった! 止めてさえいれば……)
――レティ……!!!! ――
雨は、彼の悲しみの業火を鎮めるかのように、延々と降り続けた。
◇◆◇◆◇
「!!」
突然目を覚ましたディーンは、ベッドの上で身を起こした。
息が荒い。心拍数が跳ね上がり、すぐには落ちついてくれなさそうだ。頬が涙で濡れている。
「……夢?」
周囲はまだ暗い。
時計の針はまだ朝四時を回ったばかりだった。
最近、やけに夢を見るようになったが、今回のように、感触まで生々しく蘇るようなものは初めてだ。
途端に、身体中を炎で炙られるような心の痛みが、彼に襲いかかる。あまりにもリアル過ぎて、身体中が冷や汗でぐっしょりと濡れている。吐き気を催しそうになるのを、ぐっとこらえた。
(今まで、ここまで詳細な夢を見ることなどなかったのに……何故今になって?)
三年前に起きた事件。
かたくなに思い出すまいと努めてきた血と涙の記憶。
今の今まで忘れていたのは、悲しみごと記憶を理性で抑え込んでいたせいだったのだろう。
最期の最期まで浮かんでいた優しい笑顔が、更に輪をかけて彼を追い詰める。幾ら任務中だったとは言え、彼女に惨い思いをさせてしまったことが、彼の心の中でずっとしこりとなって残っていた。
(誰が何と言おうとも、絶対に突き止める。自分達兄妹を地獄に突き落とした者を。レティの生命を奪った者を。そして、何故犯人は、アンストロンを凶悪化させることをし続けるのかを――)
それが、今の彼にとって、生きる目的の全てだった。
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