Episode 28 思い出の味

 漂ってきたバターの良い香りが鼻をくすぐり、タカトは目を覚ました。傍にあるスタンドライトからは、柔らかい光が優しく注がれており、改めて周囲が薄暗いことに気付く。いつの間にかソファの上で寝ていたようだ。まだ明るいと思っていたが、時間が過ぎるのはあっという間である。


(……暗……?)


 目をこすりながらよく見ると、腹の上にダークブルーのブランケットが丁寧にかけてあった。時計を見ると、針がちょうど二十三時を回ったところだ。部屋に戻って来た後で眠気を覚えた彼は、仮眠のつもりでいたが、すっかり本気で眠ってしまっていたらしい。


「あれ? 俺……いつの間に?」

「漸く起きたか」


 相方がタオルで手を拭きながらキッチンから出てきた。キッチンとテーブルと行ったり来たりしている。その動きはいつもと異なり、ゆったりとしていてどこか穏やかだ。


「やっべぇ。また眠っちまった! すまねぇ。ほんっと俺って駄目だなぁオイ」

「構わない。いつでもどこでも、寝られる時に寝ておいた方が良い。今回は一体いつ呼び出されるか分からないからな」


 相方は相変わらず平板な声だった。どこか優しい気がするのは、耳が詰まっているせいなのだろうか?


「僕も調べ物をしていたものだから、ついうっかり時間を忘れていた」


 そんな中、己の腹のなる音が大きく部屋内に響きわたり、タカトは目を大きく広げた。静寂な中なだけに、余計に目立つ。そう言えば昼の十二時の昼食以降何も口にしていないことを、今更のように思い出した。


「買ってきたもので少しだが、簡単なものを拵えた。夜遅いから店は閉まっているし、作った方が早いと思ってな。今ちょうど出来たところだが、良かったら食べるか?」

「え? ……良いのか?」

「一人分も二人分も、作る手間は同じだ」


(え? え? え? やけに気が利くというか、一体どうした!? )


 タカトは急いで洗面所に行って顔を洗ってきた後、テーブルの上を見た。

 スライスしたバケットが大皿に乗せてあり、傍にはバターとバターナイフが添えてあった。マグカップにはコーヒーが入っており、芳醇な香りが部屋中に漂っている。

 真っ白な皿の上に、卵をラグビー型に焼いたものが白い湯気を立てていた。程よくソテーした赤と黄のパプリカと一緒に、ミックスリーフとグリーンリーフがバランス良く添えられている。よく見ると、パプリカは全て均等にカットしてあった。

 オムレツは表面に凸凹も焼き色も一切なく、美しいフォルムだ。

 その上から赤いソースがかかっている。

 ナイフで中心を割ると、とろりとした半熟の中身がこぼれ落ちてくる。

 火の通り加減が絶妙で、ひと口食べると、濃厚な卵の味わいとバターの風味が口いっぱいに広がってきた。思わず唸り声をあげたくなる。


「……旨ぇな! こんなに旨いオムレツ、店でも食ったことないぜ! このソースも、ええっと、どう言えば良いんだ? コクのある甘酸っぱが絶妙にこのオムレツとマッチしてるしよ……ひょっとしてあんた、料理得意?」


 驚きと興奮で饒舌さに拍車のかかるタカトに対し、相方は一口サイズにカットしたオムレツをフォークに乗せ、エレガントな手付きで静かに口へと運んでいた。


「別に。得意でも不得意でもない。必要にかられてしているだけだ」

「あんたが料理出来るだなんてこれっぽっちも思ってなかったぜ。一つ一つが丁寧だし、あんた、すんげぇ器用なんだな。驚いたぜ!!」

「そうでもない」

「下手に謙遜するなって。シンプルなものほど奥が深くて難しいというもんだ。俺なんか、卵を割ろうとしても破壊しちゃうんだよなぁ」


 一体どういう割り方をすればそうなるのか、却って不思議である。


(器用……か……)


 相方に言われたことで、ディーンはふと昔のことを思い出していた。


 ◇◆◇◆◇◆


 四年位前、まだディーンがスカーレットと付き合っていた頃、互いの家を行き来して食事を一緒にすることが度々あった。


 そんなある日のこと。互いに帰宅時間が遅くなり、店はしまっている為、簡単なもので夕食を済まそうかと言うことになった。


 その日はディーンがキッチンに立ち、いつもの手際良さであっという間に作り上げた。内容は、スカーレットのリクエストのものだった。


 テーブルの上に、ミックスリーフとトマトで彩られた、焼き立てのプレーン・オムレツが湯気を立てている。芳醇な香りが漂うコンソメスープと、バケットを乗せた器が傍に添えられていた。


 ナイフで端の方を切り、それを一口食べたスカーレットは、翡翠色の目を大きく広げた。


 ――ディーン。あなたって、とっても器用な人なのね――

 ――そうか? 僕はそうは思わないが――

 ――ジュリアちゃんが大好物って言っていたこのオムレツ、一度食べてみたいなぁと思っていたんだけど、本当に美味しいんだもの……!! ――

 ――ありがとう。でもそうでもないさ。買い被りだよ――

 ――いいえ。美味しいだけじゃなく、とっても美しいんだもの。どうやったらこんな風に綺麗に作れるのか知りたい位よ! 火の通り加減が絶妙で、ひと口食べると、ついうっとりしちゃうわ。ねぇ、ところでこのソースって赤ワインも使ってる? ――

 ――ああ。その通りだ。煮詰めたものを使ったのだが、良く分かったな――

 ――流石ね。ただのケチャップだけじゃないから、味わいにコクが出て、卵をしっかり引き立てている。さり気ないポイントがあなたらしくて素晴らしいわ――


 恋人の口からとめどなく溢れてくる称賛の声に、ディーンはくすぐられたような顔をした。


 ――そんな、大袈裟だ――

 ――お料理はあなたに勝てないわ。だって私、不器用だし大雑把なんだもの。オムレツだってこんなにきれいな形にならないし、卵に火が入りすぎて、うまくまとまらないし。あなたみたいに繊細な腕はないわ――

 ――そんなことはない。僕は、君の作る料理が世界一美味しいと思っている――

 ――うふふ。お世辞でもそう言ってくれて嬉しい。ダーリン。ありがとう――


 そう言ってスカーレットは、はにかむように微笑んだディーンに駆け寄りその首に両腕を巻き付け、その左頬に優しくキスを落とした。仕事の疲れで身体は重たかったが、短いながらも恋人と過ごす時間が、彼にとって何よりも増して至福の時であり、日々の癒やしだった。


 こんな日がずっと続くと、この時の彼は思っていた。

 あの日が来るまでは……


 ◇◆◇◆◇◆


 (レティ……)


 遠い過去をつい遡っていたディーンは、賑やかな声で一気に現実へと引き戻された。


「ところでずっと気になっていたんだが、あんたさ、何故こういう“稼業”をしているんだ? それだけ器用なら他の場所でも引く手あまただろうが」

「……」


 相方から尋ねられたディーンは、貝のように口をつぐんだ。ただの好奇心からであり、相手に悪気がないのは分かっている。だが、口が重くて開こうとしなかった。


「一応、俺達〝バディ〟なんだからよ。いざという時には助け合わなきゃならねぇことあんだから、お互いのことをちったぁ知ってて良いと思うのだが」

「……いずれ分かる」

「……?」

「今はその時期ではない……そういうことだ」

「良く分からねぇヤツ。無理強いする気はさらさらねぇからよ。さっきのは忘れてくれ」


 すっかり熱気が覚め、いつもと変わらないパターンに戻ってしまった。

 タカトがこうやって、ディーンのことを理解しようと手を伸ばそうとしても、突き放されてしまう。

 肝心なところで頑なに拒んで、彼はそれ以上相手を受け入れようとしないのだ。


(何故、こんなにも他人を拒むんだろう……?)


 これでは、今までと何も変わらないではないか。

 やるせない想いと苛立ちが綯い交ぜになって、タカトの胸中を渦巻いた。


 それからしばらく無言の時間が過ぎ去った。三十分位した後、タカトは自分の使った食器を流しに運び、水に漬け込んだ。「後はしておくから、そのままにしておけ」と相方にあらかじめ言われていたので、それ以上はしなかった。――恐らく、家事不能と思われるタカトに、万が一皿でも割られたら余計な仕事が増えると、予防線をはられたに違いない。


 タカトは相方の推測を知ってか知らずか「さあて、シャワーでも浴びてくっか!」と、部屋の奥へと姿を消していった。


 ◇◆◇◆◇◆ 


 居間に一人残されたディーンは、片付けをしながら、再び過去の記憶を探り始めていた。

 あれから三年経って、何故急に思い出すようになったのかがイマイチ腑に落ちない。


(今になって、一体何故だ? それまで何一つ思い出すことさえなかったのに――)


 生々しい夢で夜中に起こされる頻度も増えている。原因が分からず、無意識下での苛立ちが降り積もってゆく。


 茶髪。

 二つの翡翠色の瞳――それは能力を発揮すると金色へと変化する。

 赤い服。


 今度の相方は、あまりにも彼女との共通点があり過ぎる。何より、あの深緑の半透明な美しい瞳。彼が言うには、三年前の眼球移植で今の色へと変化したらしいが……。


 タカトと出会い、接触する機会が増えたことが、時の彼方に封印していたつらい記憶を少しずつ呼び覚ましているのだろうか。 ディーンの心は、どうしても今の自分をとらえて離さない〝あの時〟へと静かに戻っていった――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る