Episode 24 ディーンの変化

 セーラス本部の建物内には、職員専用の食堂がある。

 そこは吹き抜けがある構造で、やや開放的な作りとなっている。

 常に建物内で時間を過ごす職員の気持ちを、リフレッシュさせる目的もあるのだろう。


 ◇◆◇◆◇◆


 タカトが目の定期検診に行ってから数日経ったある日のこと。

 セーラス本部内にある職員専用の食堂にて、二人の男女が向き合うような席で昼食をとっていた。片や針のように逆立てた茶髪の男、片やブルージュのハンサムショートヘアの女だった。会話の内容的に、二人は恋人同士ではなく、同じ部署の同僚のようである。


「今日の昼飯、姐さんの奢りだなんて、本当に良いのか?」

「君にはこの前世話になったからさ。今日は特別!」

「ラッキー! 姐さんサンキュ~!」


 タカトは嬉々として目の前にどんと置かれた大盛りのフライド・ライスをスプーンでかき込んでは、無邪気に満面の笑みを浮かべていた。他人の金で食べる飯は、己のそれよりも数倍旨く感じるのは何故だろうか。シアーシャは、スプーンでコンソメスープをくるくると混ぜつつ、小さなほくろのある赤い唇に弧を描いた。やや垂れた目は彼を暖かく見つめており、まるで姉のようである。

 

「本当に、君がうちに来て正解だったのかもしれないな。イーサンの慧眼には恐れ入ったよ」

「? ……そりゃどーも。お褒め頂き大変恐縮でゴザイマスお姐様……て、突然何だよ。気色悪ぃな」

「いえね、うちの〝リーコス〟に最近変化が現れたからさ」


 リスのように頬を膨らませていたタカトは、口の中で咀嚼していたものをごくりと飲み下した後、首を傾げた。


「変化? そーなのか? アイツ、いつもと変わらねぇ仏頂面だぞ」

「君は分からないか……まず雰囲気そのものが違う。彼は明らかに変わってきている。あたしが今まで知っていた彼と今の彼は、随分違うよ」

「? ……悪ぃ。俺そー言うの結構鈍いから、あんまり良く分かんねぇんだよなぁ」

「ねぇ、ひょっとして、彼と何かあった?」

「いや? 別に……て、何でそこで俺なんだよ」


 透明なグラスの中でキューブタイプの氷が滑り落ち、琥珀色の液体の中でカラリと音を立てた。その振動で、ミントがゆらゆらと揺れている。ストローを口に含んだシアーシャは、ゆっくりとアイス・ハーブティーを堪能しながら、さも当然と言った顔で答えた。


「だって、任務上とは言え、彼と密接にやり取りしているのは君だからだよ」

「うーん……別に、特にこれということはねぇよ。プライベートで何かあったんじゃねぇのか? 例えば……女が出来たとか?」


 タカトの適当な返答に対し、シアーシャは怪訝な顔をし、唇をへの文字に曲げた。ブラウン・ブレッドにスモークサーモンとチーズ、グリーンカールとオニオンを挟んだサンドウィッチを、咀嚼してごくりと飲み込んだ。ケッパーのビネガーがやや効き過ぎのようである。


「うーん……その線はちょっと薄いかな」

「?」

「ディーンはかなり一途なタイプだからね。そう簡単に心変わりするような男ではないからさ」

「じゃあ、既に誰かいるのか? 誰だ誰だ? 俺すんげぇ知りてぇんだけど!」


 目を大きく広げ、やや興奮気味なタカトの反応に対し、真向かいの美女は言葉を飲み込み、やや伏し目がちになった。急にものが詰まったような物言いになる。

 

「実をいうと、それはもう過去の話さ。悪いが、そのことに関してこれ以上はあたしの口からは言えない。いずれ分かることだが、今はまだ時期が早い」

 

 言外に〝そっとしてやんな〟と言われたような気がして、タカトは即無言になった。


 他人を寄せ付けない雰囲気を持つ、機械のような男。ストイックで色事に興味なさそうな男。

 そんな彼が嘗て想いを寄せていた相手とは、一体どんな女性だったのか、非常に気になった。シアーシャの言い振りから察するに、どうやら今は本当に一人のようだ。しかし、彼にも嘗てそんな時間があったとしても、別に変ではない。何しろあの見かけだ。


 百九十センチメートルに少し足りない高身長。

 足が長く、中肉中背で、バランスの整ったスタイル。

 色白で人形のように整った、どこか冷たさをたたえた貴族的な美貌。

 〝執行部〟の部屋内を出入りしたもので、二度見三度見して黄色い声を上げない女性職員は皆無である。

 セーラス内で一位二位を争うクールな美青年を、まず周囲の女性達が放っておかないだろう。


(そう言えば、最近この本部内でアイツの姿を良く見かけることが増えたような気がするな……)


 ほとんど外にいることが多く、建物内で姿を見せることのないディーンが〝執行部〟のルーム内にいる頻度がいつの間にか増えているのだ。――ただ、誰とも口を利かず、ほとんどPCの前に黙々と座っている状態であるが。


 長いまつ毛が覆う切れ長の銀色の目だけが、目の前にあるPC画面の文字の羅列を懸命に追っており、誰かが声を掛けても気付かないほどだ。


 彼は白くて長い指をボードの上を滑らせるように動かしては、どこか物憂げな表情を瞳に浮かべている時もある。


(まぁ、何か個人的な調べ物でもしているんじゃねぇかな? ここは、そういう私的な目的で、公共物の使用を認めているのだから、自由で良いよなぁ)


 まぁ、「他人の事より自分のこと!」 と、タカトは話題をさっさとすり替えた。


「恋かぁ。俺も彼女欲しい!! ああ、でもしばらくは無理か……」

「ふふ。夏は恋の季節だもんねぇ。誰か出来たら応援するよ」

「なぁ~誰かいたら紹介してくれよぉ! 姐さん頼む!」


 タカトは手を合わせてシアーシャに必死に頭を下げ、それを見た彼女は思わず苦笑を浮かべた。

 

「うーん。今のところ、これと言った話はないからごめんよ。まぁ、うちに来てやっと四ヶ月目なんだし、そんなに急ぎなさんな」

「ちぇっ! タイミング悪!」


 タカトはディック・ブルーナが描いた絵本の主人公のように口をすぼめた。


 夏は恋愛の季節とは良く言ったものだ。

 いつもの景色が非日常となり、つい開放的な気分になってしまう。

 その結果として、いつもでは考えられない行動をしてしまうこともある。

 残念ながら、今のところタカトが〝非日常〟を楽しむ余裕はなさそうだ。

 

 そんな感じで穏やかな空気が流れていた食堂内だったが、突然、冷たい機械音が、タカトの耳元に飛び込んできた。それを耳にした途端、彼の意識は一気に現実へと引き戻された。


『――応答せよ。〝レオン〟』

「!!」


 すっかり習慣化したタカトは反射的に即返事をした。思わず背筋が伸びる。


「――はい。こちら〝レオン〟」

『目撃者による情報だ。凶悪化したアンストロンが現れた。〝リーコス〟と共に急ぎ現場へ出向せよ』

「――了解」

『場所は今から指示する――』


 シアーシャは、突然不動になったタカトをしげしげと眺めていた。

 

「ひょっとして〝指令〟が来たのか?」

「ああ。姐さん悪ぃ。俺はもう行くぜ。今日は馳走になったな!!」

「いってらっしゃい。〝レオン〟。Good Luck !! 何かあったらあたし達の誰かに連絡しなよ!!」


 不良青年はアンニュイな美女に右手を上げて合図した後、颯爽と食堂を飛び出して行った。

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