Episode 21 一億ドルの朝焼け
地上へと無事着陸し、ラミネ地区に到着した二人を出迎えたのは、タカトの心配をも吹き飛ばすような、陽気な声だった。
「二人でいちゃいちゃドライブだなんて良いねぇ。やだやだ! ひょっとしてランデブー? 流石は我らが期待の星〝レオン〟!!〝リーコス〟といつの間に仲良くなったんだい?」
「どーこーがいちゃいちゃドライブだ!! その目はガラス玉か〝スコルピオス〟!! ……てゆーか、俺達にSOS出したのあんただろーが!!」
タカトは首元に手をあて、顔を左右にゴキゴキ動かしていた。何とか血流を頭部に行き渡らせるようストレッチをしている彼は、不機嫌そうに額にシワを寄せている。
「お陰で散々な目にあったぜぇ。まぁ仕事だからしょーがねぇけど! これでも少しマシになった方だが、目が回るはめまいがするはでもー吐きそ……!!」
口調は普段と変わらないのだが、よく見ると青白い顔をしている。両足で真っ直ぐに立っているのがやっとの状態のようだ。彼女は垂れ目を少し細め、そんな彼を労うかのように背中をぽんぽんと軽く叩き、優しく撫でてやる。身長が百八十三センチメートルある彼に対して、彼女は百六十七センチメートルなので、自然と下から見上げるような姿勢になった。
「ごめんごめん! 君達のお陰で助かったよ。あたし達二人だけでは戦力不足で、潰されるところだった。これだけ多数の敵のお相手をさせられるとは思わないよ普通。一網打尽にしたくても身体が足りん!」
シアーシャによると、タカトとディーンで上空にいた〝マスター〟にあたるアンストロン集団を撃破した途端、地上で暴れていた〝スレイヴ〟状態だったアンストロン達は次々と動きを止めたらしい。それらの〝カルマ〟と〝コア〟の回収は全て済んでいるとのことだった。
しかし、こちらは何故停止のみで済んでいるのか、却って薄気味悪い。どこかに時間差爆弾が仕掛けられていたら……と不安が脳裏をよぎったが、それに関しては特に心配不要とのことだった。一足先に地上に戻っていたドウェインが既に全機隅々まで調べ上げていたようである。
タカトは不意に背後から肩を叩かれ、後ろを振り向こうとした途端、己の目の前に
《お疲れ。ほら、差し入れ。気付け薬の代わりだ》
「……サンキュー」
カチリとステイオンタブを開けると、コーヒーの芳香が漂ってきて、タカトの鼻を心地良くくすぐった。無糖なので、甘くない。中身をゆっくりと口に含むと、馥郁とした香りと確かな苦味が舌に余韻として残る――何故か、普段飲むものよりも一段と旨く感じた。頭の上から足の先まで溜まりに溜まった、もやもやしたものが、一気に全部洗い落とされるみたいで、頭の芯まですーっとなる。こういうスッキリしたい時こそ、ビターなものが一番だ。
「何か、あたし達が相手していた地上のものより、上空のものの方が重要度が高かった気がするねぇ……今更だけどさ」
「欲を言えば、地上も上空も問わず、全てのカルマとコアを回収出来れば良かったが……相手の方が上手だったのかもしれないな。ほら、コーヒー」
「……ありがとな」
実体を現したドウェインからコーヒー缶を手渡されたシアーシャは、缶を握りながら彼とフィスト・バンプした。互いに労いの意を評しているのだろう。
〝マスター〟にあたる飛行部隊型アンストロンの動きを止めた途端、爆発した――事前に仕込まれていた自爆装置が作動したのか、それとも仕掛け人が遠隔操作で操っていたのか――大破してしまった今の状態では、最早確認することすら出来ない。
「あれは不可抗力だったと思うぜ~俺は! 寧ろこちらに死傷者を出さなかっただけでも良し……と! ……まぁ、俺の個人的な意見だけどな!」
コーヒーのお陰で体調がすっかり良くなったのか、からからと陽気に笑うタカトの傍で、ディーンはドウェインから受け取ったコーヒー缶を持ったまま無言を貫いていた――いつの間にか、アイバイザーを解除しており、金属色の瞳を無表情に晒している。やがて、それまで固く閉じていた唇をこじ開けるかのように、静かに開き始めた。
「……それにしても、今回は妙だ」
「何が?」
「先方の目的だ」
それはディーンだけではなく、他の三人も思っていたことだった。
今回の件は、明らかに仕掛けられた罠としか思えない状態だった。恐らく、ラミネ地区にいる訪れた客達を狙うという「餌」で自分達をおびき寄せ、全滅させる目的だったに違いない。しかし、それはあくまでも「手段」であり「目的」にしてはあまりにも小さ過ぎる。一体何のために引き起こしたことだろうか?
「とりあえず、夜が明けたらイーサンに仔細を報告すれば良い。全ては未解決のことだらけな上、我々が対応出来ることにも限界がある」
「……」
ドウェインは労いの意を込めてディーンの左肩を軽く叩いた。そんな彼らの背後で、シアーシャが一オクターブ以上も高い音階で歓声を上げていた。雲の隙間から光が差し込んで来るのを焔色の瞳は逃すまいとしているかのようだ。彼女のもとに駆け寄ったタカトも、無意識にテンションが跳ね上がっていて、裏声を上げている。
「ねぇほらご覧よ! 朝日だ。とっても綺麗だねぇ!」
「うっひゃー!! こいつは綺麗だ! あーあ、こんなことならカメラ持ってくりゃあ良かったぜ……」
「まぁまぁ! こういうものは記憶に留めるのがベストさ! ほらほら! ドウェインもディーンもご覧よ! 仕事の話は後ですりゃあ良いんだから!!」
右の掌を下から上へと縦に動かして、おいでおいでの仕草をするシアーシャの声に従い、二人の青年は話を一時中断とした。
ラミネ地区の朝焼けは一億ドルの価値があるといわれている。アストゥロ市からはやや遠い為、旅行でもしない限り訪れることのない地域だ。ほぼ徹夜状態で仕事を終えた後、身体は疲れ切って正直鉛のように重かったが、せっかくの機会である。一瞬で消えてしまう「今」を逃す方が勿体ない。
夜の帳は、いつの間にか朝露へと変わりつつある。
空を覆っている雲は思わずほっとするような鳩羽色。
そのまわりから煌めくように差し込んでくるのは、今日いの一番の眩い光。
(中々見られねぇと言うだけあって、すっげぇ良い眺めだぜ! 今回は散々な目にあったが、俺って実はめっちゃツイてるじゃん! ラッキー!! )
今しかない一瞬の美しさ。儚い美しさ。そういうものは、共にあるものと一緒に共有したいし、感動を分かち合いたいものである。
シアーシャ達と一緒に美しい朝焼けを眺めているタカトの横顔を、彼の相棒はちらと覗いた。
茶色の髪。
翡翠色の瞳。
赤い色の服。
今まで封じていた記憶が、望まないのに無理矢理こじ開けられ、二度と戻らない過去を否が応でも呼び覚まそうとする。
「……」
深緑の半透明に輝く美しい瞳を無言で見つめていたディーンの瞳に、どこか痛みにも似た切ない感情が静かに宿った。
(……〝リーコス〟……?)
己に対する視線を感じたタカトがその方向に顔を向けたが、その時にはディーンは素知らぬ顔で視線を空に向けていた――まるで何もなかったかのように。
夜から朝へと、刻々と色を変える空。
黄金色に輝く地平線。
――新たな一日を迎えられる喜びほど、清々しいものはない。
一同、ゆっくりと朝日に染め抜かれてゆく空を静かに眺めていた。
ただ、暁の光が声を立てずに彼らの影をゆっくりと落としていた。
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