第20話 デスゲームのおもしろさ



 デスゲーム系って周期的に流行りますよね。去年流行ったイカゲームなんかもそうなんだけど、そのせいか、今年はカクヨムでもいつもの年より『〇〇たちのデスゲーム』とかのタイトルを多めに見かけたなぁと。


 なんでですかね? 流行るってことは一定数のデスゲーム好きがこの世には存在し、さらにはそれに巻き込まれる、にわか好きさんも相当数いるってことなんですね。人と人が殺しあうゲームなんだけど、じつは意外と一般ウケするジャンル。


 てことは、ウケる理由がそこにはあるはず。

 まあ、世相も関係してるのかなぁって思う。たとえば、イカゲーム流行ったのはコロナ禍がようやく終わりに近づいてきたか? いや、まだか? まだなのか! みたいなころだったと思う。三年間、いろいろ我慢させられて、戦争は始まるし、物価は高くなるしで、社会全体でストレスがたまってた。そこで、パーッと人が死ぬゲーム。憂さ晴らし——ですな。最近はコンプラコンプラで何かと規制が厳しいけど、そんなこと言っても人間の本質は変わらないんですよ。じつはみんなダークで残酷な話は好き。ストレス発散できるから。何も自分が人を殺そうっていうんじゃないんですよ。刺激が欲しいから、フィクションの世界で代用して「ああ、スッキリした」ってなるわけで。それを認めようとしないから、最近のテレビはつまんないんです。地上波では人間の光の部分だけ放映し、闇の部分はネット配信。お金払った人にだけ見せますって、あなた。

 まあ、そこはいいですよ。デスゲームの構造には関係ないんで。ただ、世間的にそういうの求める風潮はなくならないだろうなって考察です。数年に一度はやつてくる。

 昔はオカルトやホラーが周期的に流行る年があると言われてたんだけど、ここ数年、それがないですよね。そろそろ来ると言われつつ下火になってしまった感。ホラーの立ち位置がデスゲームにとってかわられたのかなぁと思わないでもない。ホラーやオカルトは「怖いの苦手。見れない」という人も多いからですね。女の人にそういうの多いのかと思ったら、じつはホラーは男のほうが苦手なんだそうです。

 なので、ストレス発散したい世の中になったとき、純粋なホラーより、強い刺激にはなるけど、かと言ってオバケ出てくるわけではないっていう、そこが重要なのかと。ホラーは霊の出現やグロテスクさでドキドキさせてたけど、デスゲームは殺しあいの緊張感でドキドキさせる。そのほうがより大勢の共感を得やすい。


 で、そういう下地がありつつ、デスゲームの構造的な楽しさ。


 まず、やっぱり刺激物なんですね。「うひゃー!」となる場面が多いので、読者はゾクゾク、ワクワク、ドキドキ、ハラハラできる。ストレス発散的読み物。

 これが大前提。ということは、逆に言えば、ドキドキもハラハラもできなければ、その作品はデスゲーム物としては失敗作。


 そして、このところ、わけあってデスゲーム作品を立て続けに書き書きしてて、ちょっと気づいた。

 前にフリーレンについて、二層構造の面白さがあると書いたけど、デスゲーム系もその性質上、基本的に二層構造なんですよね。うまく作れば、ですが。なので一層構造の作品より内容がつまっていて、しかもそれが自然でぎゅう詰めに見えない。


 どういうことかと言うと、デスゲームって、ゲームなわけですから、その作品のなかには必ずゲームルールにのっとった勝敗がある。スポ根の面白さにも似てますね。スポ根も試合の勝敗が必ず関係してきますから。デスゲームでも、主役が勝つのか負けるのか、それ以外には誰か勝つのか? 全滅なのか? そういう、勝負の行方としてのストーリーがメインストーリーになってる。


 人間って勝ち負けのあるものには、なんか燃えるんです。ギャンブル好きなんかも、けっきょくはそこですよね。博打にはお金の利害もからむから、よけいハラハラドキドキするんだろうけど。

 誰が勝つか負けるか。そこには明確なオチがある。ストーリーの起承転結なんか関係なく、とりあえず勝敗が決まるだけで、あるていどの達成感は得られる。これがデスゲームの面白さ。


 で、ゲームの勝敗が一層だとすると、そこにストーリーがからむわけです。またまたスポーツでたとえると「この選手は、昨年、大怪我して最近復帰したばっかり。対戦相手はあの選手をつきとばして怪我させた張本人だ。因縁の対決!」という背景を知ってれば、ただの勝敗以上に注目するし、なおさら勝負が熱くなるじゃないですか。

 デスゲームも同じなんですね。何人か集まって、ただ殺しあうだけじゃ、つまんない。殺しかたがどんどん派手になって、死ぬ人数が増えていっても、なんか紙の人形みたいな。人間関係がからみあっていき、そこに葛藤が生まれることで、ドラマやストーリーが展開する。

 この人間ドラマの部分が二層構造ですね。ヒューマンドラマとしてのストーリーと、ゲームの勝敗がうまくからむと、その作品の面白さは二倍、三倍と増していく。相乗効果。


 そして、デスゲーム=テンプレ説。デスゲームというジャンルが確立されて、二十年たった。最初のデスゲームは『バトル・ロワイヤル』だと言われている。ネットで調べると発行年が1999年となってるので、かれこれ25年近くたってるわけですよ。そのあいだにいろんなデスゲーム作品が世に出た。特別にデスゲーム好きじゃなくても、とりあえずデスゲームといえば「ああ、殺しあうゲームね」くらいはみんなわかる。孤島のクローズドサークル。集められた人々。殺しあい……。


 そういうテンプレができてるので、書くほうも、読むほうもシチュエーションを想像しやすい。世界に没入しやすいというか。今のなろう系の流行もそうなんだけど、テンプレの読みやすさは、ある種のボルテージとなってジャンル全体を盛りあげてくれる。共通の前菜みたいな。

 その上で新鮮味を出すためには、あれこれオリジナリティが必要になってくるわけだけど、なろう系でオリジナリティは難しいですよね。なぜなら、いろんなパターンが出つくしちゃってるから。さらには、一作が当たると「それがあったか!」と、ワッと人が押し寄せて、あらゆる書き手がそれに群がる。「そこはその作品のオリジナルだと思うんだけど……」ってとこを思うぞんぶん食いちらかす。よって、どっかで見たような作品がそこらじゅうにあふれかえる。


 デスゲームはまだそこまでには達してないと言いたいんですけどね。イカゲームも裏では日本の先出の作品のパクりだと言われてるので、完全にオリジナルってどのジャンルでも難しいんですね。


 でも、読者はどっかで見たようなやつじゃなく、オリジナルの新鮮さを求めてる。デスゲームの場合は、ゲームルールじたいを作れるので、そこで新鮮味は出しやすい。


 さらにはデスゲーム+ホラーとか、デスゲーム+ミステリーとか、デスゲーム+ファンタジーとか、いろんな要素を足せるのもいいとこですね。

 僕の屍喰鬼ゲームはデスゲームにグールの要素を足したことでホラーな仕上がりに。


 こんな感じで面白さの秘密を分析すれば、逆に面白いデスゲームを書こうとしたとき、失敗しない構築ができる。


 1、刺激物なので、刺激は多めに。

 2、ゲームの勝敗は大事。読者が勝敗を気になるような斬新なルールを考えられたら、成功が約束されたようなもの。

 3、人間ドラマがあるからこそ、殺しあいが緊迫する。魅力的なキャラ必須。

 4、テンプレとしてのよさがある。(テンプレがあるので、逆に個性が出しやすい)

 5、デスゲームと言っても、頭脳戦もあればアクションもあるよね。ファンタジーだって、青春ミステリーだって足せる。誰も書いてないプラスアルファを見つけよう。なろう系よりもまだまだ開拓の余地がある。

 6、世相はそのジャンルの流行りに関係するので、公開のタイミングはあるかも。


 こんなとこですかねぇ?

 これ今、デスゲームで考察したけど、ほかにもジャンルとして一括できるものってあるのかも? BLなんかも分析しやすいのかな? オメガバース物とか、スパダリ物とか。

 この系統の話を書きたいなぁと思ったとき、ただなんとなく書くよりは、その前にジャンル全体の必勝法見つけとくと、いい作品書けるかもですね。


 ※ 以前、『カクヨムロイヤルティでお小遣いをかせごう』のなかの『デスゲームのコツ』で似たようなこと書いてましたが、まあ、あっちは来年には非公開予定ですので、これはこれで公開しときます。同じものについて考察すると同じ答えが出るってことがわかりましたw

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