小さな反抗 / シリカの記憶1

 竜の巫女は一人、森の中を歩いていた。

 霧が冷ややかに視界を奪い、その肌を撫でる。

 右も左もわからない中を、たった一人で巫女は進んでいかなければならない。

 ただ真っ直ぐに歩いていけばいいと教えられたが、この中をただ真っ直ぐに歩いていける人間は普通はいない。これから何をされるかもわからず、人里に戻ることも許されない。そんな絶望的な状況で、歩みを進められるとすればそれは気が狂っているか諦めているかだ。


そして、その絶望はいともたやすく彼女の足を取る。

「──きゃっ!」

 ぼんやりとしていたのか、地上に露出していた木の根に躓いて転んでしまったのだ。強かに身体を打ち付けてしまい、思わず身体を丸める。理不尽が実感となって襲い掛かってくる。

 竜の巫女として送り出される時に着せられた白を基調としたドレスは土に汚れ、そのところどころにあしらわれた群青が更にみすぼらしさを増長する。だが、今となってはそんなことどうでもいい。それほどに彼女は打ちひしがれていた。

 抱えきれない苦しみは涙となって溢れだす。

 熱いものが頬を伝うが、それさえもすぐに熱を失ってしまう。

 誰も拭う者はいない。少女を救うものは何処にもいない。

 所詮、彼らにとって大切なのは『生贄を差し出した事実』と『責任を押し付けられる誰か』だったのだ。でなければ、巫女を送り届ける人物がいても良いはずだ。


 ──何故、自分なのだろう。

 それは彼女が巫女に選ばれたその日から続けてきた問い。

 決して答えの出ることのない、否、答えを出すことが憚られる問い。


 ──逃げてしまおうか。

 それが良いと思う一方で、どこに逃げるのかという問いが生まれる。

 胸元に刻まれた烙印が見えるような服を着させられている以上、近くの人里に逃げ込んだとしても追い出されるか袋叩きにされるだけ。さらに遠くの街へ逃げようにも、道がわからない上に遠すぎる。

 そして何より、そうしてしまうことで共に育った友達に不幸が訪れてしまうのではないかと怖くなった。竜の巫女として選ばれた上で、何も教えてもらえなかったが、それでも可能性がないわけじゃない。

 巫女に選ばれたからとて、それまでの15年は偽りではなかったはずだ。


 ──なら。

 彼女の中に選択肢はなかった。死ぬことは逃げることと同義だから。

 

 シリカは竜の巫女が敬意をもって捧げられるものではないのだと、自らに言い聞かせて立ち上がる。たとえそのすべてが嘘だったとしても、都合のいい存在として捨てられたのだとしても。

 だからこそ、その終わりをどう選ぶのかが肝心なのだと歩き出す。たとえ死ぬとしても、それまでの過程は自分で選んだものなのだから。

 それは自暴自棄では決してなく、僅か齢16にしてその人生を他者に決められてしまった少女の小さな小さな反抗だった。



 それからは、先の見えぬ霧の中、自らが正しいと思う道を歩いた。

 喉がカラカラに乾いて、胸が苦しい。呼気にも甲高い音が混じる。だが、歩みを止める理由にはならない。何度転んだとしても、この先にあるのだと、根拠はなくとも信じて進む。いつしか痛みは気にならなくなり、傷が増える度にそれを乗り越えて進むのだと心は奮い立つ。

 そうしてどれほどの時間歩いていただろう。どこか開けた場所に出た。


 傷だらけになりながら、肩で息をしながら、直感的に、あるいは本能的に理解する。そこが竜のいる場所なのだと。

 

 ──辿り着くことが出来た。

 そう実感した瞬間に思わず力が抜けてへたり込んでしまう。

 だが、まだ竜にまみえてはいない。

 忘れていた痛みを思い出す身体にあと少しだと鞭を打ち、水際まで向かう。

 ふらふらとしたおぼつかない足取りで、その身許へと。

 そして、倒れ込むようにして跪くと、頭に声が響く。


「──人の子が何用だ」

 その声を聞いたとき、得も言われぬ安堵が少女を満たした。

 それは、厳かで、どこまでも優しい声だった。

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