第126話 兄妹の休日

 ひんやりした空気を感じる。


 チュンチュンと霧雀フォグスパロウの鳴き声?


 昨日窓を閉め忘れたか? いや、そんな筈は……。


 ほのかに……。


 ほのかに良い香りが……花?


 いや、この香りは……。



「レナ?」


「ゲオルグ兄さん……ごめんなさい、起こしてしまいましたね」


「いや、いいんだ。 今、何時だ?」


「うふふ。 もうお昼前ですわ。 ぐっすりお眠りになっていましたので、昨晩のお仕事の疲れが取れていないのかと思いまして、起こさなかったの。 ご飯はお食べになりますか?」


「いや……悪いが、濃いめの珈琲を淹れてくれるか?」


「かしこまりました♪ あ、それから……こちらにファンレター置いときますわね? 相変わらず凄い人気ですこと」



 よく言う。 レナの方がずっと沢山貰っているだろうに。 しかしまあ、嫌な気はしない。

 ヘレンが窓際のチェストに異常に分厚く束ねられた、手紙の束をポンと叩いて言う。


 ヘレンと俺・ベノムは、二人の時に限り、本名のへーレナーとゲオルギウスから、ヘレンは俺のことをゲオルグ兄さん、俺はヘレンをレナと呼び合っている。



 レナはもう花街に住んではいない。 かと言って俺と一緒に住んでいるわけではない。

 レナは俺と一緒に住むことを望んでいたのだが、俺はいつも帰りが遅いし、レナはもう子供ではないのだ。 男が出来ても不思議な歳ではない。 俺なんかが一緒に住んでいては、せっかく自由を手に入れたレナを拘束してしまいかねない。

 と、俺からの提案で、マダムが運営するリリーズタワーマンションに、それぞれ部屋を借りた。


 レナは俺への恩義を感じているせいか、俺の身の回りの世話だけでもさせて欲しいと、懇願してきた。 俺も帰りが遅く、家の用事も出来ていないので、お願いすることにした。 なのでレナには俺の部屋の合鍵を渡している。


 ……そのせいか。 毎日の様に俺の部屋に来て身の回りの世話をしてくれるのだが……この様に、朝から俺の部屋に入り浸っている。


 俺はベッドから起き上がると、自分が下着だけで寝ていることに気付いた。

 昨夜は帰りが遅く、ベッドの周りに適当に脱ぎ散らかして、下着のまま寝たらしい。

 掛け布団はきっとレナがかけてくれたのだろうが……この格好をレナに見られたのか……。 情けねえ。


 俺は昨日の汗を流すべく風呂場に向かった。


 熱いシャワーで眠気ともども身体の汚れを洗い流した。


─コンコン⌒☆



「ゲオルグ……兄さん?」


「ん?」


「お着替え、ここに置いておきますね」


「ああ、ありがとう」



 俺は濡れた身体をバスタオルで拭き、レナが用意してくれた服に袖を通した。

 

 ………………。


 ムジカレーベルの契約とカレーの契約で、俺達は何の不自由もなく暮らせている。 むしろ贅沢し過ぎているくらいだ。 ノワールさんとマダムには感謝しかない。


 レナも自分で使えるお金が出来たので、欲しい物を買えば良いと言うのに……。


 何かと俺の服を買ってくる。 俺の服はそんなにダサいのだろうか?


 普段、俺は仕事の時以外はラフな服装をしている。 仕事の時はわりとタイトな服が多いので、着心地の良い柔らかい材質の服を好んで着ていた。(こちらの世界で言うところのジャージの事を言っている)


 そして、ここに用意された衣服はと言うと……パリッと折り目がくっきり立っているピッタリのシャツとスラックス。 朝からベルトを着けるハメになる。

 しかし、俺が用意しておいた服(ジャージ)が見当たらないので、コレを着る他ない。


 俺は用意された服を着て、髪の毛をバスタオルで乾かしながら、リビングへと向かった。

 道すがら珈琲の香ばしい香りが漂って来る。 以前は節約のためにインスタントコーヒーを飲んでいたが、今は香りが良いドリップコーヒーを飲むようになった。


 朝の何気ない時間をとても優雅に演出してくれる。 この香りとパンが焼き上がる香りとが合わさると、得も言われぬ幸せを感じる。


 そして、そこにレナがいる。


 もういつだって会えるのだ。



「ゲオルグ…兄さん、かっ……!? いえ、珈琲をこちらに淹れてあります。 良ければ焼き立てのパンを召し上がってください」



 何故かレナが目を丸くして俺を見た後、今度は目を薄くして微笑んだ。



「……ありがとう」



 俺はレナに礼を言うと、寝室のファンレターを一束持って来て、ダイニングテーブルの椅子に腰掛けた。


 バスタオルを背もたれにかけて、珈琲の香りを思い切り胸に飲み込んだ。



「ん。 良い香りだ」


「うふ、良かった♪」



 レナの笑顔が以前よりずっと増えた気がする。 俺はそれだけで満足だ。

 珈琲を一口くちに含み、くっと流し込む。 そして、ふぅと息を吐く。


 とぽとぽと、レナがティーポットにお湯を注いでいる。 自分は紅茶を飲むようだ。

 ティーポットにカバーを被せて蒸らしている間に、焼き上がったパンをカゴに入れて机に置き、トングを使って俺にサーブしてくれる。

 こんがりと焼けたパンを二つに割ると、もわっと湯気が立ち上り、中の生地が少し伸びては千切れていく。

 ノワールさんに教わったらしいが、外はこんがり、中はもっちりしているのだとか。

 僕は用意されたバターを軽く塗って一口食んだ。


 かりりっと小気味よい音で前歯を受け止めて、ぐいっと引き千切るとむいっと伸びて切れる。

 噛むほどに甘く鼻に抜ける香りは抜群に香ばしい。



「旨いな」


「まあ、嬉しいわ。 ノワールさんに教わったパンの作り方で、ようやく上手く焼けるようになってきたの」


「そうか、お前も食べろ、冷める前にな」


「はい。 いただきます」



 そう言うと、彼女はパンにバターではなく、お手製のジャムをつけた。 何でもいちごジャムバターとか言うらしい。

 とても美味しそうに、頬を赤らめて頬張っている。 両手に持って食べているとリスでも見ている気分になるな。



「まあ、お兄様ったら、私の顔を見てニヤニヤと、何か可笑しいのかしら!?」


「いやまあ、美味そうに食うなと、思っただけだ。 気を悪くするなよ」


「私を動物か何かだと思っていませんこと!?」


「バレたか」


「もうっ!! ゲオルグ!!」


「わははははは!」


「うふふふふふ!」


「それにしても」


「はい?」


「このモーヴとか言う娘は、毎日のように手紙をくれるのだが」


「熱烈なファンの方がいらっしゃるのですね!?」


「返事とか書いた方が良いのだろうか?」


「いいえ、ゲオルグお兄様。 一人のファンを贔屓にいたしますと、不平等が生じて他のファンの方に失礼ですわ? 流石に全員に返事なんて書けないでしょう?」


「それは……たしかにそうだな?」


「それに、ゲオルグお兄様の一番のファンは眼の前におりますのよ?」


「レナ……口にジャムがベッタリと付いてるぞ?」


「もうっ!!」



 何故か、レナが怒って洗面台の方へ行った。 モーヴさん、彼女が来てくれる様になってから、倶楽部パンゲアはとても盛況だ。 彼女が求心力となって一つのムーブメントが起きている。

 彼女は魔救隊の事務方をしているらしく、仕事が終わると夜な夜な服を着替えて来てくれるのだとか。


 話では普段スーツ姿でパッとしないモブ子さんなんだとか言うが? 何だそれ? しかし、着替えてメタモルフォーゼした彼女は倶楽部パンゲアにひとつの奇跡をもたらした!!

 モーヴさんが立ち上げたクラウドファンディングは、順調にその数値を伸ばし、戦争孤児の基金に使われ、更にチャリティーコンサートなどを主催し、ベノムにつづく倶楽部パンゲアの若手の育成にも一役買った。



「やはり、モーヴさんだけにはお礼を書いておきたいな……本当に感謝しかない」



 レナは戻ってくると、今度は鼻歌交じりで言う。



「ゲオルグ、兄さん? この一週間、どう過ごされますの?」


「どうもこうもいつもと変わらないが?」


「え……マダムは休めと仰ってましたわよ?」


「ああ、ムジカの仕事は休むが、パンゲアは関係ないだろう?」



 グライアイの護衛の仕事は、俺の芸能活動が忙しくなり、収入が安定してきたので辞めることになった。

 現在、グライアイのには数人の護衛と執事、メイドがいるのだとか。 もちろんガンツさんも現役で働いている。

 よって、今はパンゲアとムジカの二足のわらじで生計を立てている。



「では、お昼は空いてますのね?」


「まあ、そう言うことになるな?」


「うふふ。 ではゲオルグ兄さん? お昼は一緒に街へ行きましょう」


「えっ!? ……まあ、良いだろう。 どこか行きたいところでもあるのか?」


「はい♪ 私、街で噂のケーキ屋さん、『ケットシー洋菓子店』へ行ってみたいのです」


「ケーキ屋……それは俺と一緒じゃなきゃ駄目なのか?」


「ええ、ええ、そりゃあもう! 他に買い物がございますので、ゲオルグ、兄さんには荷物持ちになってもらいますわ♪」


「……そうか、わかった」



 とにかくレナは上機嫌なので、断るのも悪いと思い付き合う約束をしてしまったが……。

 しかしまあ、こんなにも良い笑顔が見られるようになったのだ。 わざわざ機嫌を損ねさせる必要もないだろう、と、俺は自分の行動に理由付けをしたのだ。

 そうでもなければ、俺は日がな一日家に籠もっているだろうからな。



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