序章

プロローグ

「ねえ、私、あなたの事、好きになっちゃったかも?」



 生まれて初めての女性からの告白だった。



 僕、黒鉄優人くろがねゆうとは現在独身で引きニート中である。

 と言うのも、僕は極度の人間不信で、誰とも関わり合いたくないからだ。

 否、誰とも関わり合いたくないわけではない。 誰も信用出来ないので、なるべく深く付き合うことを避けている。

 つまり、信用出来るなら友達だって欲しいし、彼女だって欲しい。

 むしろ欲しいのだ。 

 渇望さえしていると言って良いだろう。


 人間不信、人間なんて信じられたモノではない。 【信じる】なんて言葉は人間なんて信じられないから生まれた言葉だと思っている。


 でも、僕は昔から人間不信だった訳では無い。 小学校低学年の頃は普通に友達も居て、好きな子だって普通に居たんだ。



 僕が人間不信になったのは、小学三年生の頃だった。



 その頃、クラスにA君と言ういじめられっ子がいた。


 ある日、僕は小さな正義感でA君をいじめっ子からかばった。クラスに好きな女の子が居て、良い格好をしたかったからだ。



「A君が可哀相だろ! いじめとかやめろよ!」


「うっせ! お前には関係ないだろ! 引っ込んでろ!」


「おい、こいつもヤッちまおうぜ?」


「それもそうだな! 覚悟しろよ!」



 そんな流れで、僕は傍観者からいじめられる側の人間に仲間入りした。

 加害者いじめっこ達にボコボコに殴られる僕の情けない姿を、好きだった女の子は他の女子とクスクスと笑いながら観ていた。


 放課後、僕はA君と隠された上履きを探しながら話をした。



黒鉄くろがね君、僕のことなんか放っておいてくれたら良かったのに……」


「うん、そうかもね……でも、今だから言えるけど、僕は加害者あいつらなんか絶対に許せないし、傍観者みていたやつらだって許せない! 僕は向こう側の人間にはなりたくないよ」


「うん、ボクもそう思うけど、こっち側はとても辛いから……ね」


「うん……そうだね……」



 そんな会話をしながら、僕たちはトイレの便器から拾い上げた上履きを水道で洗っていた。



 その日からいじめは毎日の様に続いた。

 それまで遊んでいた友達は離れて行き、中には加害者いじめっこと一緒になっていじめに加わっていた者も居た。他の者は傍観者になるか無視していた。

 親には相談出来なかったし、先生は分かっていても手を差し伸べてくれる事は無かった。



 小学校六年のある日、僕が加害者いじめっこよりもテストの点数が高かった事を言いがかりにして奴らが絡んで来た。

 この時、僕は言わなくても良い事を言ってしまったんだ。



「頭悪いから、弱い者をいじめる事でしか自分を強く見せる事が出来ないなんて、君たちって、ちっさいよね!」


「んだと、てめーーっ!」


「おい、いちまおうぜ!」


「ここじゃ先生に見つかるから、プール裏に行こうよ!」


「よし、お前らはこいつ連れて来い! 他の奴らは先生にチクんなよ? チクったらぶっ殺すからな!」



 僕はそのままプール裏に連れて行かれて、丸裸にされてボコボコにされた。アソコが大丈夫なのか心配なくらい痛かった。


 でも、僕は言いたかった事を言えた事で、少し戦った気分の自分に満足していたんだ。



 しかし



ーーA君は違ったーー



黒鉄くろがね君!? キサマら、黒鉄くろがね君からその汚い手を離せーー!」


「え、なに?お前、やる気?っぜーな!」


「……るさない」


「あ!? 何か言ったか?」


「ゼッタイユルサナイ!」


「ーーっ!?」



 次の瞬間、僕の眼の前は『クリムゾンレッドの世界』に染まっていた。



「カハッ!!」



 A君は後手に隠していたカッターナイフでいじめっ子Aの喉元を斬り裂いていた。

 いじめっ子Aの喉から吹き出した血がビシャビシャと僕の顔にも降り注いだ。


 人の血はとても温かくて……


 少し苦い様な変な味がした。


 加害者いじめっこB・CはA君を恐れて後退っている。

 今にも逃げそうだと思ったら、やっぱり逃げた。

 加害者いじめっこAは既に動かなくなっている。


ーーザマアミローー



黒鉄くろがねくん、大丈夫?」


「うん、大丈夫……」


「なら良かった」


「A君?」


「僕ね……

 あの時……

 君に助けられたあの時……

 本当に嬉しかったんだ、本当に。」


「うん……?」


「あの時からね、ほんと僕の勝手なんだけど、君は僕の大切な友達だったんだ……。

 ……ふふ、なんか変な事言ってるけど、ちゃんと最後まで聞いてね?」


「うん、僕だってそう思ってるから大丈夫」


「ありがとう。

僕はもう生きる事に疲れたから、死ぬ事に決めたんだ。

 でね?

 せめて死ぬ前に大切な友達の黒鉄くろがね君に何かお礼をしたかったんだよ」


「それが、コレ……なの?」


「うん!

僕は不器用だから、こんな事でしかお礼なんて出来ないから!

こんな……事でしか……」



 A君は自分の首にカッターナイフを押し当てた。



「A君!?」


黒鉄くろがね君?

今度、生まれ変わったらさ……

また、友達になってくれるかな?」


「A君、何言ってんだよ……死ぬとか、生まれ変わるとか、そんな悲しい事言うなよ!

だって僕たちはもう、友達だろ?」


「僕はその言葉が聞けただけで、もう満足だよ……

今まで我慢して生きて来て

良かった!」


「ーーっ!?」



 こうして、僕の世界は更に深いクリムゾンレッドに染まって行った。

 


 二人の死後、僕はいじめの対象ではなくなっていた。 否、存在そのものが無かったかの様にクラス中から無視されたのだ。



 中学に進学しても何も変わらず、僕は空気の様な存在でしばらく通学していたが、登校する事に身体が拒否し始めた為に不登校になり、在宅型フリースクールを利用して卒業した。

 家族以外の人間関係がほぼ皆無であった為、僕はコミュ障になり加速度的に悪化して行った。



 中学卒業後は家事を手伝いながら通信教育を受けて、両親の必死の説得に応じて、アルバイトを転々としながら就活をした。

 元来僕は器用貧乏で大抵の仕事は出来たが、人間関係でこじれて続く事はなかった。


 最終的に両親の紹介で親戚のフレンチレストランに就職した。

 叔父オーナーシェフは接客の中で顧客ニーズを捉えて料理に反映するタイプで、僕にも強要されたが上手く行かなかった。

 その為に接客はさせられる事は無くなったが、幸い調理のセンスは良く、何でも人より仕事が出来たので、厨房に籠もって調理補助や下ごしらえ、雑用全般を任されていた。

 僕が辞めさせられることもなく仕事が続いていた事に安心したせいか、両親は涙まで流して喜んでくれた。



 そして三年前の冬。


 家族旅行で温泉地へ向かう山道を走る車の中。 両親は予約した温泉旅館の料理をとても楽しみにしていて、二人の会話は盛り上がっていた。 後部座席の僕は相槌を打ちつつ、窓の外を流れる景色を眺めていた。



「それにしても優人、仕事は上手く行っているのか?」


「うん。叔父さんには迷惑かけながらだけど、なんとかね」


「そうか。 なんとかでも上手く行ってるなら良いんだ。 続ける事が大事だからな」


「そうよ、優君! 母さん、優君が社会に出る事が出来て、本当に嬉しいのよ?」


「うん、ありがとね」


「そう言えば優人、お前……」


「ーーっ!? 父さん、前っ!」



 ーーまただ。


 【クリムゾンレッドの世界】ってどこにでもあるんだな。


 前から来たトラックを見て、咄嗟に声を出したのは覚えている。


 薄れる意識の中、僕は額の切り傷から流れる血の色で染まった、儚くも残酷なクリムゾンレッドの世界を……ただ眺めていた。




 数日後、気がついた僕は病院のベッドに居た。

 聴取に来た警察官の話では、飲酒運転のトラックが狭い山道を蛇行していて、それを避けようとしたうちの車が道から逸れて、そのまま崖を転げ落ちたのだとか。


 両親は死んだ。


 トラックの運転手は弁護士を立てて、必死に慰謝料の軽減に努めているのだとか。



 両親の後ろ盾が無くなった僕は、叔父さんのレストランをリストラされた。 辞令の名目としては不景気のあおりだそうだが、「慰謝料や遺産で生活には困らないだろう?」とか言う捨て台詞はいただけない。



ーー僕は完全に引きニートになったーー


 この世界にはパソコンとインターネットと言う素晴らしい文明の利器があり、資金が続く限り家を出なくても良いし、人と会う必要もない。


 僕はアニメやゲーム、読書、そして幼い頃からたしなんでいたキーボードやギターの音楽配信に明け暮れると言う、充実した毎日を過ごすようになった。



 『人間なんてクソ喰らえ』



 それが僕の理念であり信念だ。

 

 世の中の真理だとさえ思える。



 それがどうだ?

 僕の理念や信念、世の中の心理は!

 こんなに簡単に揺らぐのか!?




「ねえ、私、あなたの事好きになっちゃったかも?」




「……え?」




 彼女のたった一言が僕の中のことわりを崩壊させた。


 彼女はゲームの中のギルドメンバーで、最近ギルドの掲示板ではなく個別チャットで頻繁にやりとりするようになった、セフィと言う女性だ。

 彼女が言うには、僕の優しい人柄に惚れたのだとか。 


ーーそんな事は誰にも言われた事無かったーー


 僕は浮かれて彼女にのめり込んで行った。


 彼女と会話をして、日を重ねる毎に愛しさが募り、彼女に会いたいと言う想いが、日増しに強くなって行った。



「ねえ、ペケ?」


「なに?セフィ」



 僕のゲームのアカウント名は【Xeno】と書いてゼノ。 頭文字を取ってギルドの皆からはペケと呼ばれている。



「私、あなたに会いたいわ?」


「うん、僕も……会いたい」


「うふふ♪

 今度、ギルドのオフ会があるでしょう?」


「ああ……オフ会、あるねぇ」


「そこで会いたいな、優人君に」


「僕みたいなミジンコ人間に本当に会いたいの?」


「うん、会いたい……ダメ……

かな?」


「分かった。

 次のオフ会は参加してみるよ」


「やったぁ!

 きっとギルドのメンバーも喜ぶわね!?

 三年間何度も誘ったのに、全然来てくれなかったものねぇ?」


「あはははは……僕、人見知りだから……ごめんね?」


「ううん、嬉しいから許す!」



 こうして、僕はオフ会とやらに参加することになった。


 ギルドの掲示板は僕の参加の件でスレがいくつも立ち、レスがあっという間に伸びていた。

 ギルメンと距離をとって、鳴りを潜めていた僕に、皆がこんなに関心を示すだなんて驚きである。


 オフ会の日時が決まり、参加者が決まったが、誰一人として会場を教えてくれない。当日サプライズがあるのだとか言うのだが、当日で間に合うのだろうか?




【オフ会当日】


 ゲームのヘッドセットを着けて、オンラインで待機していて欲しいとだけ指示されていた。


ーーコレってオフ会?ーー

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