1180年09月30日 常伴襲来
長狭常伴についてはあんまりよくわかっていない。彼女の出身氏族である長狭氏についても同様だ。神話によれば『神八井耳命』という人物が長狭氏の祖であるらしいのだが、常伴までの間にどうつながっているのか一切不明である。そしてこの神八井耳命が先祖というのはただの一説であり、その他にも忌部氏や上総氏が候補にあげられている。
常伴についてわかっている事は妹が上総氏に嫁いでいる事と、千葉県の房総半島の鴨川市の大部分を支配していたという事位だ。親の名前すら伝わっていないどころか本人も知らないという有様。
常伴は、自分が何者なのか全くわかっていない状態で、気がついたら反平家の旗頭である源頼朝が千葉県南部に流れ着き、南部やその他地域の武士達が頼朝に続々と帰参していた。自分でもよくわからないが気が付いたら平家側に属しており周辺諸勢力から孤立していた。
なんとなくだが常伴は気付いていた。自分は歴史が産んだ単なる誤差に過ぎないと。きっと何も出来ずに消えていく。きっと何者にもなれず死んでいく。頼朝には大義名分がある。以仁王からの令旨を受け取っていたのである。自分には何も無いのに。
それどころか頼朝の親は平治の乱で敗れた源義朝であり、仇討ちという高い物語性も有していた。自分には何も無いのに。
自分はどうだ。よくわからないが体制側である平家の味方をしているのだから悠々自適の生活を送っていたのだろう。よくわからないが敵である三浦氏の杉本義宗を撃退した過去があるのだから武将として優秀だったのだろう。
それがどうした。そんな物は『本物』相手には無価値だ。自分には何も無い。このまま自分は何も無いまま何もわからないまま源頼朝の事績を飾るだけの脇役として終わるのか。
嫌だ。絶対に嫌だ。
常伴が心中でそう叫んだその時、一人の少女が常伴に声をかけた。
「君に私達の軍勢を与えよう。是非効率的に使って頼朝とかいう奴を始末してくれ。」
一体何が目的だ。何の為に力を貸す。
「理由は二つ。一つは私達の国が平清盛と同盟を結んでいるという事。私達としては平家政権に存続してもらうのが一番良いからね。もう一つが頼朝が金朝と同盟を結んでいるという事。金朝は私達の敵だ。」
常伴は彼女に問うた。何者だ、と。少女は不敵な笑みを浮かべてこう返した。
「私の名前は韓侂冑。南宋の政治家だよ。」
1180年09月30日。
千葉県南部から再起を図った源頼朝が次に目指したのは上総広常の支配する領域だった。広常はその名字からわかる通り千葉県中部の上総国の支配者である。彼女の助力を得る事が出来れば兵の一万は最低でも見込める。
頼朝は護衛を連れて北上を開始したがこの日は広常に会うところまではいかずに夜を迎えたので途中の宿泊所に泊まった。
「あのさあ、つまらないんだけど。」
夜中。宿泊所の一室で布団の上でうつ伏せになっている胡沙虎は同じ部屋に泊まっている足利義兼に言った。義兼は卓上の書類から目を離し、胡沙虎に振り返って言う。
「それが仕事だ。」
「つーまーんーなーいー。」
胡沙虎は左右の脚を交互にばたばたさせて不満を表現した。
現在義兼は書類を整理中であった。この時代の日本の識字率は非常に低く、武士の中でも東国の者達の中には比較的大きな勢力を有していながら字が読めない者達が多数居た。一方で京都周辺の公家達は歌の詠み合い等をしていたのだから当然識字率は高かった。そして義兼は中央政府で働いていた事もあったので頼朝軍内の貴重な文官の一人として事務仕事を押し付けられていたのである。
とはいえこの時期の頼朝軍は弱小であり義兼は非常時には武装を手に安達盛長や北条時政等の側近達と共に立ち上がらなければならない立場にあった。
現在宿泊所の外をシノギヅクリに乗っている山名義範とコウアイッシンに乗っている胡沙の二人が他の護衛達にまじって警戒している最中である。あと二時間で二人は義兼と胡沙虎と入れ替わる。
「気になってたんだけどさあ。」
そう言って胡沙虎は布団の上にあぐらをかいた。
「平家って、何なの。これから手を組みに行く上総広常って奴も元々は平っていう名字を名乗ってたんだよね。じゃあ敵じゃん。」
「名字じゃない。」
義兼は説明を始めた。
「まず、それぞれの一族の呼び名として氏族名が存在した。日本史の教科書でよく登場する蘇我氏の蘇我とか、物部氏の物部がそれだ。」
「それが名字なんじゃないの。」
「違う。氏族名は本姓とも呼ばれる。名字との違いは氏族名と個人名の間に『の』が入る点だな。」
「つまり、上総広常さんはかずさ『の』ひろつねさんじゃないから上総っていうのは名字って事?」
「その通り。」
「でもさっき言った通り平でもあるんだよね。そういう事。」
「最初の内は氏族名だけで良かったんだが時代が下ると同じ氏族名を持つ奴等が増え過ぎて色んな所に住み始めた。同姓同名だけど全く違う所に住んでいるとかが出てきた訳だ。じゃあ氏族名じゃなくて住んでいる所で呼べば区別つくだろ。そういう訳で住んでいる所を名字として採用した訳だ。」
「でもそれだと違う氏族出身で同じ土地に住んでたら同じ名字になるよね。」
「なったぞ。今の私が源氏という氏族出身で足利という名字を名乗っている奴でそして平家側に居る奴が藤原氏という氏族出身で足利という名字を名乗っている奴だ。」
「めんどくさいなおい。」
知っている人は知っていると思うが、こんな感じでかなり自由に名字を名乗っていたので後の時代になると全く無関係な奴等が過去の人物達の関係者であるかのような名字を名乗り始める。代表的なのはこの時代の北条氏とは全く無関係な戦国時代の北条氏。山形県にも北畠天童丸という人物が移り住んだという言い伝えから天童という地名がつき、そこに住んだから天童という名字を名乗りはしたものの、大元の天童丸とは一切関係無い一族とかが居た。
「で、なんで平っていう同じ氏族出身なのに争ってんの。平家じゃなくて源氏の側についてくれるんだよね、平の氏族の上総広常さんっていう人は。」
「お前が言うな。」
金朝では20年位前まで海陵王という皇帝が居た。何故皇帝なのに王なのかというと皇帝扱いしたくない程の暴君だったからだ。具体的には邪魔だった皇帝を殺害し自ら皇帝に即位し更に金朝の宗室と元勲の子孫達をまとめて粛清した。その上重税暴政実母の殺害の末に大軍を敵対国家である南宋に派遣して敗北している。金朝の歴史の中でも完全無欠の暗君オブ暗君と言って良い。
別に海陵王の例を挙げるまでもなく、古今東西人間の集団というのは数が増えれば内乱が起きるものである。
そして胡沙虎の金朝内部での嫌われっぷりは言うまでもない。
「そろそろ交代の時間だ。」
腕時計を見て呟く義兼。その直後だった。宿泊所内にサイレンが鳴り響いたのは。
長狭常伴が源頼朝の襲撃を計画している。
これに対し三浦義澄は鴨川市の貝渚にある一戦場(いっせんば)という名の土地に軍を布陣させた。
三浦氏はあまり良くない立場にあった。今後源頼朝が平家軍を打倒して清盛の次の権力者になるというのであれば初期段階からその戦いを支え続ける必要があるのだが、石橋山での戦いの時は合流出来なかった。これについては完全に不可抗力であったのだが合流出来なかったのは事実である。
それどころか頼朝は三浦氏の本拠地である三浦半島を無視して千葉県の房総半島に移動した。これは非常にまずい。石橋山の戦いで300の兵のほとんどを失った頼朝がこの房総半島で大量の兵を手に入れ、それによって平家を打倒したら間違いなく頼朝政権内での房総半島の武士達の地位は三浦氏のそれより高くなる。そしておそらく一位の座におさまるのは房総半島の南部を除いた大部分を支配している上総氏。
平家の本拠地は西方。これから頼朝軍が西進するにつれて多数の西方武士達が頼朝に服従する事になるが、上総氏は事実上の東端に位置している。その位置と大多数の兵力により最多戦闘数と最多戦勝数を意図せずとも得るのは間違いない。総取りと言っても良いだろう。
参加する戦いの絶対数が異なるならば逆立ちしても敵わないほどの格差が上総氏とそれ以外の武士達の間で生じる事になる。それを防ぎ三浦氏が頼朝功臣表の一番上に記されるには頼朝の敵対者達を始末するという実績をこの段階で挙げなければならない。
そこに飛び込んできた長狭常伴による頼朝襲撃計画。これを利用しない手は無い。
集団というのは構成員の数が増加すればその中に少数ではあるが集団に反する行動を取る者が必ず現れる。房総半島南部がほぼ頼朝派でかたまっているこの時期に絶対に馬鹿な事をしでかす奴が一人は居るだろう、と思って見張りを配置しておいたら案の定居た。こいつを始末する事で頼朝軍内の三浦氏の地位を確保する。
しかしよりにもよって長狭常伴とは。
長狭氏と三浦氏は前々から敵対関係にあった。三浦氏は1163年の秋に水軍を率いて房総半島南部を攻撃したが、待ち構えていた長狭軍に敗北した。加えて長狭氏は上総氏と縁戚関係にある。もし長狭常伴が討たれても上総氏が頼朝と会おうとしないのであればそれを理由に頼朝は上総氏を攻める事になるだろう。上総氏は当然それを避けたいはずなので常伴討伐後に頼朝派に参入する事はこの時点で決まったようなものである。
千葉県の大豪族上総氏帰参の功は三浦氏にあり。後世の教科書にはそのように記される事だろう、と三浦義明は確信した。
現在三浦軍を率いているのは当主である三浦義明。そしてその娘達である杉本義宗、三浦義澄、大和田義久、佐原義連等。
三浦氏が出せる戦力のほとんどが今ここに結集している。敗北する要因はどこにも無い、はずだった。
「かなり遠いな。」
第一報を受けた義明は進軍中の長狭軍が途中でこちらに気付き進路を変更したのだろう、位にしか思っていなかった。西側から、というのは頼朝の護衛部隊を警戒しての事か。
だが徐々にその反応が近付くにつれて自分達の認識の甘さに気が付いた。
長狭軍ではない。明らかに反応が日本の武者の鉄機のそれではないのだ。しかも数が多い。そして西方。
三浦義明は一つの可能性に辿り着いた。
「南宋軍か。」
南宋。
かつては宋と呼ばれていた中華王朝である。
中華王朝は元々は埼玉県、群馬県、栃木県、東京都を領土としていた東日本の大国である。しかし現在では異民族によって領土を切り取られ東京都のみを領土とするに留まっている。されど依然として大国ではある。だって東京都を持っているから。
東京都と千葉県は隣接しているが頼朝達の居る房総半島南部に陸路で到着するには上総氏達の領土を通過しなければならない。坂東独立を目指して反乱を起こした平将門。その親族の末裔を自称する上総氏達が平家に対抗する可能性は非常に高い。ので、平清盛と同盟を結んでいる南宋の軍を通すとは思えない。故に東京湾から水軍を派遣し房総半島南部に上陸させた。
南宋軍を率いていたのは張巌と辛棄疾だった。彼女達が乗る南宋軍の主力鉄機ヨウイエバオは青龍刀を片手に持って多数が三浦氏の軍へと迫っていた。ヨウイエバオに混じって歩いているのはリャヌーだ。同時代のヨーロッパで採用されていたアルムブルストとは似て異なり、高い連射性能を持つ鉄弩を装備していた。
張巌はリャヌー部隊を前面に立たせ、鉄矢を放った。日本の武士達の鉄機はオールラウンダーの重装弓騎兵が主力であるが、その装甲を貫通する程の威力を有するのが鉄弩である。その上ヨウイエバオとリャヌーは歩人甲と呼ばれる南宋独自の重装甲を搭載しており大体の攻撃を防ぐ事が可能だった。
その事を知らない三浦軍の騎馬武者達は鉄矢を放ちながら南宋軍に近づいていき、高威力かつ高連射のリャヌーの鉄矢に貫かれて倒れていく。
「随分と他愛の無い奴等だ。」
辛棄疾はそう呟いた。リャヌー部隊による射撃のインターバル中に三浦軍からの攻撃を南宋軍が受ける事はほぼ無い。落馬してもなお立ち向かってくる奴も居たが大体が負傷しているのでそのままヨウイエバオの青龍刀で切り倒された。日本の兵達は高い戦闘力を持つという噂だったがこの程度だったか。
無論全く反撃を受けなかった、という訳ではない。鉄弩は長い射程距離を有するが複雑な構造になっていおり各部の耐久性に威力が依存している。ので、射程距離には上限がある。
一方三浦軍のシノギヅクリ達が用いている鉄和弓は通常の弓を単に大型化した物である為構造が単純な分鉄機の力を効率よく威力に変換しやすい。ので、三浦軍が放った鉄矢により南宋側の鉄機が幾らか倒れたが武士の戦いぶりを槍働きと言うように三浦軍の武士達はヒットアンドアウェイ戦法を取る事は無かった。それ故彼女達の鉄機は接近戦に移ろうと近付き南宋軍の鉄弩に射抜かれた。
優勢である、と辛棄疾は思ったが殲滅まではするつもりは無い。
南宋側の戦力は騎馬鉄機部隊が存在しない上に重装備である。つまり移動速度が遅い。いくら長射程かつ重装甲で敵の攻撃をほぼ無効化出来るとは言え、包囲されれば流石にまずい。三浦軍が自他の弱点を把握して対策を練る前に海岸へと戻り母艦に収容されなければならない。
加えて今回の戦闘の目的は金と結ぼうとしている反平家勢力の盟主である源頼朝の討伐だ。平家と行っている日宋貿易は南宋の財政を支えている。財力無しには現在の対金戦争は継続出来ない。だがだからと言って自分達は平家の部下になった覚えは無い。何より平家が打倒されたら次は頼朝率いる源氏が日本の政権を担当するかも知れないのだ。致命的な手の下し方を避けなければ日本の政権交代後に日宋貿易が打ち切られて財政難になった南宋が南下する金に併呑される可能性がある。
なので長狭常伴が自ら源頼朝を討ち取ると言い出した時には張巌と辛棄疾は安堵した。二人の上官である韓侂冑は熱心な対金論者でありその為少しでも金に協力する者は徹底的に叩くべきだと日頃から叫んでいるような危険人物だ。なので常伴が頼朝討伐を南宋軍に依頼すれば間違いなく自分達が頼朝を討伐するように命じられ戻れない一線を超えさせられただろう。だが常伴は自分で殺すと宣言したのだ。もし自分達が常伴と同じ立場だったら間違いなく南宋側に共同討伐を依頼した事だろう。周囲がほぼ全員頼朝派の状況で言い逃れの余地を自分から潰す等というのは本来あり得ないからだ。
だというのに常伴はそのあり得ない事をすると言ったのだ。
「一体奴と頼朝の間に何があったんだ。」
張巌はそう呟きながら撤退の準備を配下の兵達に命じた。
敵襲。
予想はしていた事だった。山野義範は自身のシノギヅクリを回頭させた。
敵は宿所の東と西と南の三方向から迫っておりその総数は5000に近い。これだけの兵力を用意するとなるとこの近辺に居る豪族ならば自領の人間の大半を導入しなければ実現しない数だ。そして現在千葉県南部はほぼ頼朝勢力下にあると言ってよく、明日会う予定の上総氏はまだ旗色を明確にしていないもののこの時点で頼朝を切り捨てるという愚行をする人物ではないはず。
となるとまだ房総半島南部で頼朝に帰参していない豪族が自身の命運を賭して勝負をしかけてきた、という事だ。
確かに平家の好評を買う代金としては頼朝の首はこの上無い一級品の手柄ではある。だが頼朝を討ち取った後はどうするのか。周囲はほぼ全員頼朝派の状況で一体どうやって平家の所まで頼朝の首を届けるというのか。完全に事後の自己を見ていない向こう見ずな蛮勇。
次々に飛来する敵の鉄矢を自身のシノギヅクリに切り払わせながら義範は配下の兵達に言う。
「一人たりとも通すな。この命に背けば極刑と思え。」
そう命じた直後、闇夜に紛れて一体のコガラスヅクリが山名義範のシノギヅクリに切りかかってきた。咄嗟に太刀で受け止めるシノギヅクリだったが相手の力が強い。上級者向けの出力向上の改造を施している。指揮官機か。
コガラスヅクリは防がれたと見るやいなや後方へと大きく跳躍した。それと入れ替わるようにコガラスヅクリの下方を鉄矢達が山名義範のシノギヅクリに向かって飛んでいく。いくらなんでもこんなに近くに接近されるまで気付かない訳が無い。となると。
義範は配下の鉄機達に命じて投光させた。無数の光が闇夜の鉄機達を照らしていく。姿を現したのは一体のコガラスヅクリの他は全員頼朝軍の機体色に塗られたシノギヅクリだった。
要するに敵はこちらの鉄機を奪っていたという事であり、軍内部に既に潜んでいるという事を物語っていた。まずい。
義範は通信機に声を送り込んだ。
「気をつけろ義兼。既に敵がそっちに潜入している。」
宿所内には生身の敵兵達が入り込んでいた。
義兼と胡沙虎はそれぞれ日本刀と満鉄刀を携えてて生身の敵兵達を斬り殺していたが中庭に出た瞬間呆然とした。佐奈田義忠の人間離れした動きに圧倒されたのだ。
刀を振り上げて突撃してくる敵兵の正面に突っ込んだ義忠。当然彼女の体めがけて敵の日本刀が振り下ろされたのだが、カウンター発動中は無敵判定になる為敵兵の刀はカウンター攻撃中の義忠の身体を切断する事無く通過する。だがカウンター技は発動完了後の硬直時間が長い為更にその後ろに居るもう一人の敵兵に斬り殺される可能性が高いという危険性を孕んでいる。されどそうはならなかった。義忠は最初の敵の攻撃を無敵時間で回避した直後にコマンドを入力しカウンター技を完了前にキャンセルしたのだ。こうする事でうまく膠着を回避しカウンター攻撃時の無敵時間のみを利用する事が出来る。後は威力の高い通常攻撃で敵兵二人を斬り殺す。
まるで初心者の乱入は死んでも許可しないとでも言わんばかりの容赦のない悪夢のようなシークエンス。もし佐奈田義忠が数十年間この調子で暴れ回ったら武士界隈に新規が参入してこなくなり高齢化により衰退するのは確実と言って良い程には彼女の暴れっぷりは限度を超えていた。
「何なのあれ。」
人智どころか物理法則を超越し遂にはゲームセンター出入り禁止になりそうな程の義忠の暴れぶりに流石の胡沙虎も唖然とするより他はなかった。惨敗と言っても過言ではない石橋山の戦いで圧倒的な功績を叩き出した功労者は他の武士達に比較すれば格が違うだろう、と義兼は前々から思っていたのだが、いざ目の当たりにした光景は凄いんだけどなんか想像と違ってた。というか格ゲーそのものだった。
だが、そんな義忠相手に果敢にも挑む者が居た。
「我こそは長狭常伴が郎党、左中太常澄。平家にあだ名す逆賊頼朝を討ち取らんと参った。」
堂々と名乗りを上げた、という事は敗戦後に家族縁者達への報復が行われる事も覚悟の上だという事だ。完全に後が無いと思い込んだ奴がやけになって襲ってきたのか。救えないな、と思いつつ義兼は義忠に声をかけた。
「手伝おうか。」
「不要だ。」
義忠の即答にそうだろうな、と首肯しつつ胡沙虎を連れて義兼はその場を走り去った。目指すは頼朝の寝室だ。頼朝の護衛である義忠が中庭で戦っているという事は誰かが引き返したり等しない限り頼朝は一人で居るはずだ。戦術家としては大した事が無い頼朝だが個人の武力はかなり高いのでおそらく大丈夫だとは思いたい・だが油断は禁物だ。
途中で邪魔する敵兵達を斬り殺しながらひたすら長い廊下を突き進みんだ二人は頼朝の寝室に到着し、戸を開いた。中にいたのは三人の敵兵と源頼朝。対峙している双方は既に抜刀しており、敵兵三人の内二人が義兼と胡沙虎に気付いて向かってきた。
源頼朝はいつでも敵と戦えるように軽装ではあるが装甲を身に着けたまま寝ていた。佐奈田義忠がいち早く敵の接近を察知して迎撃に向かった後、頼朝はすぐさま残りの武具を身に着けて完全武装状態となった。
一方目の前の敵である少女はとにかく進行速度を重視したのだろう、おそらく服の下には最低限の防具は身につけているだろうがそうだとしても軽装過ぎるように見えた。
頼朝はその少女に言う。
「名は何と言う。」
「長狭常伴。」
長狭。確か千葉県南部の地名だったはず。この期に及んで自分に味方せず平家の側に付くというのか。
千葉県の大勢力である上総氏が頼朝の首を平家に差し出すのはわかる。千葉県南部全域を敵に回しても互角以上に戦える戦力を有しているのだから。
だが南部のほぼ全員が頼朝に味方しなおかつ上総氏の返事が明確になっていない現状で自分を討ち取ったとしても残り全員が敵に回る可能性があるのだ。まともな人間の判断ではない、と頼朝は思った。
「何故私を襲う。」
「お前は恵まれ過ぎている。」
そうう答えた長狭常伴は太刀を振りかぶって頼朝に切りかかってきた。頼朝はそれを全金属製の左の手甲で受け止めた。
恵まれ過ぎている、だと。二度の乱により同族の大部分を失い、遠く離れた伊豆で飼い殺しにされ続けた自分が。つい最近、石橋山で大敗して命からがらここまで逃げ延びた自分が。
恵まれ過ぎている、だと。
手甲で敵の太刀を掴んで力を込める。すると常伴の太刀は頼朝の握力に耐え切れず砕け散った。
そして太刀が砕かれるよりも早く常伴は太刀の柄から手を離し、後方に跳躍すると同時に脇差しを頼朝めがけて投擲した。まるで矢のようにまっすぐ飛来したそいつは頼朝の左肘関節に突き刺さった。だが頼朝は衣服の内部にも装甲を着込んでいるので顔色一つ変えずに脇差しを抜き取り、常伴めがけて投げ返した。
頼朝の視線の中央に常伴の脇差しが位置しているこの瞬間、常伴が放った二本の短刀が脇差しを挟む最小の角度で頼朝に向かって飛来した。間違いなく最小の角度である為、正面から見た姿は投げ返された脇差とほぼ重なった。脇差を挟み込むように飛んでいき、そしてちょうど頼朝の頭部の座標で短刀二本が衝突する計算され尽くした無駄の無い投擲。その為頼朝側からは自分が投げ返した脇差とほぼ重なって短刀が見えた為回避に手間取る、はずだった。
前述した通りこの時点での頼朝は完全武装状態だった。なので当然頭部には兜をかぶっていた。それ故、頭を下げて兜を叩きつける事で二本の短刀を叩き落し、事無きを得た。だがそれは、武芸に秀でた者だから出来た事。通常の人間ならば反応出来ずに頭部に短刀二本が突き刺さって絶命していただろう。
頼朝が顔を上げた時、既に長狭常伴の姿は無かった。入れ替わるように外からの緊急通信が入る。
『大変です。敵は陸上戦艦を持ち出しました。』
1161年11月26日。金の海陵王の軍勢が長江を渡って南宋に侵攻しようとしたが南宋軍はこれに対して巨大な外輪戦艦で迎撃した。采石磯の戦いである。
南宋は1132年から1183年までに様々な大きさの外輪艦を建造した。そのうちの一隻を常伴は韓侂冑から与えられていた。
幽州級五番艦『上谷』。霹靂砲で武装し両側に8台の車輪が付いている外輪戦艦。今回南宋軍が常伴に与えたこいつは旧式艦であり、河北が金ではなく遼に占領されていた時の水上艦を改造した物だ。両側に取り行けられた多数の外輪を用いて水上移動のみならず陸上でも走行が可能となっている。
その中に張巌と辛棄疾の二人は居た。
「まさか言い逃れの余地が無くなる程の強硬策を取らされるとは。」
これでもし頼朝軍が平家を滅ぼしたら日宋間の国交は断絶だろうか、と張巌は頭を抱えた。確かに南宋は清盛の平家政権と仲良くしている。だがそれは平家政権が日本の正統政府だから、というだけの理由からに過ぎない。なので当時は平家政権が正統な日本政府だったのだから彼女達と仲良くしたのは仕方がなかった、と釈明して政権交代後の頼朝政権を日本の正統政府と認めて再び条約を交わせば日宋貿易の継続は可能だ。
しかし、流石に戦艦その物を上陸させ源頼朝本人を狙うのは限度を超過している。韓侂冑は頼朝襲撃にもし失敗したら戦艦を上陸させろという常伴からの要求をいつの間にか承諾していたらしい。敵軍の誘導という役目を終えて後は戦艦に乗って引き返すだけだと思っていた南宋兵達にとってこの事態は全くの予想外だった。
この幽州級五番艦はその名からわかる通り燕雲十六州の奪還を願って建造された一隻であり、元々は遼が支配する華北へと大量の鉄機を輸送して上陸させる為の巨大揚陸艦だった。しかし時代が下り敵が陸軍重視の遼から巨大艦を建造する金に代わった事で対艦戦闘能力が求められるようになり装甲と武装を強化して戦艦に改造された。要するに状況に応じていじくり回されて無理矢理延命させられた旧式艦だ。だから潰されても構わないし痛手にはならない、と韓侂冑は思っているのか。だから長狭常伴の要求に承諾の二字を与えた、というのか。
「あいつ死なないかな。」
と張巌は呟いた。
とにかく上谷は本来戦闘を主任務として設計された艦ではない。それどころか陸上走行機能については外輪があるなら陸上も走れるだろうという雑な考えで追加されたに過ぎない為陸上での戦闘能力は全くの未知数だ。十中八九予想を上回らない方向に。
その悪い予感は的中した。
突如、轟音と地震のようなすさまじい振動が上谷の艦体を襲った。何事だ、と張巌が叫ぶ間も無く更に振動が上谷を揺らす。合計四回。巨艦が震える程のその衝撃に南宋兵の鉄機達が浮足立つ。張巌が状況報告を命じる。すると見張りの兵が通信で画像を張巌に送りながら説明した。それによると遥か遠くの山に一機の鉄機が見え、その鉄機が持つ四つの長方形が並んだ巨大な砲身から放たれた鉄矢が上谷に突き刺さったのだという。確かに見張り台からの望遠写真には説明通りの武器を構えた見慣れない四つ目の鉄機が山中に居た。なんだこいつは。鉄矢が突き刺さった部分は右側の外輪四つ。完全に軸を正確に射抜かれており張巌は通知をクリックしてヨウイエバオのメインモニターに艦体状況を示す模式図を呼び出す。すると損傷箇所が赤化して警告表示が出ていた。
「10年前に死んだはずだろ源為朝は。」
こんな事が出来るのはそいつしか居ないはず、と張巌は思ったが現実ではこの通り。
上谷の主砲を備えた砲塔が、右側にある山に向かって回り、そして主砲である霹靂砲を放った。己の巨体を震わせる五回目の衝撃を上谷は放つ。凄まじい量の火薬が一塊となって光の尾を引きながら夜の山へと一直線に飛んでいった。それは山の頂点に激突し、そこを中心として遠目にもわかる程に球形の光を放った。そして光が消失するとそこにはその形状にえぐれた山が出現した。
日本では火薬の正式な導入はまだまだ後の時代になるが、中国ではこの時代に既に実戦投入されており約100年後の元寇では『てつはう』という武器に火薬が用いられて防衛側の日本軍を大いに苦しめたのは日本人なら教科書で誰もが知っている有名な歴史的事実である。
これで被弾面積の大きい巨体を襲う懸念要因は払拭された、訳ではない。張巌は最悪の状況に自分達が置かれているのだという事を理解していた。先程の霹靂砲だが火薬兵器はまだまだ改良の余地があり、この一発を放ってから次弾発射までのインターバルは極めて長い。それ故奇襲という今回の作戦では第一目標にのみ用いるべきなのだが、自分達を狙ってきたどこのどいつかもわからない正体不明の、しかもたった一機の鉄機を葬り去る為だけに使ってしまった。これは本来相手とする頼朝軍達に無駄に自分達の居場所を喧伝してしまい、更にそいつらが近づくまでに主砲が使用できない状況に陥った事を意味する。
「最悪だ。」
思わずそう呟いたが、もう遅い。既に頼朝の護衛部隊が勇敢にも上谷に近付いてきたのだ。そりゃそうだ。誰だってそうだ。あんな轟音ならば誰だって気づく。あんな破壊力を見せられたら誰だって脅威に思う。故に通常速度を遥かに超過して鉄馬の脚部がけたたましい悲鳴をあげる程の速度で頼朝の護衛部隊は上谷の周囲に群がった。
そしてそれに対する有効な迎撃手段を南宋軍は持っていなかった。通常水上艦というのは喫水線という物がありそこから下の部分は水面下に沈む。そして水上戦での仮想敵は同じ水上艦、つまり大体同じ高さの巨大目標である。その為対艦用の主砲、副砲はあれど、小型の標的、それも喫水線より遥か下方に位置する鉄機を攻撃する為の火器類は一切搭載されていないのだ。故に何宋軍のリャヌー部隊が甲板から眼下の頼朝軍鉄機めがけて鉄弩を構えて鉄矢を放つが、あたらない。基本的に弩弓というのは水平前方に居る敵への攻撃手段であり、このような上方から下方への射撃は全く想定されておらず、当然その為の訓練も無かった。一方、日本の武士達は鉄矢で飛行する鳥達を射落とした経験を持つ者が少なくない上に日本は起伏の激しい地形が多い。戦闘経験がある者なら大体が高低差のある目標に対する射撃を経験した者が多かった。それ故日本の武士達を無理して鉄弩で狙おうと甲板から身を乗り出した南宋軍のリャヌー達を次から次へと頼朝軍のシノギヅクリ達が射抜いていった。
『こいつ図体が大きいだけで大した事無いぞ。』
誰かがそう通信で述べて、更に多数の頼朝軍鉄機達が上谷の艦体周辺に殺到した。
「狼狽えるな。こいつらはここまでのぼって来る事は無い。頼朝さえ倒せば戦いは終わる。焦らず冷静に対処しろ。」
張巌は部下達に冷静になるように命じるが、それを許さない者が一人居た。
まるで下方から射出されたかのように甲板上方へと勢いよく飛び出した一体のシノギヅクリ。そいつは右腕からワイヤーを射出し、上谷のマストに巻きつけると巻き取りを開始して甲板上空を移動した。その過程で何本かの短剣を投擲し、それらは甲板上からシノギヅクリを見上げる南宋軍の鉄機達のカメラアイめがけて吸い込まれる様に飛んでいき、レンズを砕いた。そしてマストまで残り10メートルというところで右腕の射出装置に取り付けられている刃がワイヤーが切断した。自由になったシノギヅクリはマストとの衝突をぎりぎりの所で回避しその横へと抜け、その瞬間マストの側面を蹴って斜め下方向へと急加速し、マストのすぐそばに立っていた一体のヨウイエバオの背中に足をのせて甲板上に踏み倒した。そのシノギヅクリはいつの間にか抜刀していた太刀を足元に倒れているヨウイエバオの背中に突き刺して搭乗者ごと絶命させた。
悪夢としか言いようがない鮮やか過ぎるシークエンスを目の当たりにした南宋兵達の脳内からは先程の張巌の狼狽えるなという命令が完全に蒸発していた。
上谷の艦橋内部にある操縦席内に長狭常伴の鉄機が座っている。まるで操縦桿のように2本のレバーを鉄機が握っているが人間が操縦する大型機械が更に巨大な機械を人間のように操縦する等馬鹿馬鹿しい。これは単に鉄機を固定する為の物であり、本物の操縦桿ではない。操縦権限が付与された鉄機は無線で上谷と接続される。
鉄機の操縦席内で常伴は思考した。
自分は源頼朝を直接殺害しようと決意した。どれ程劇的な状況にあっても死ねば無価値だ。自分の手で確実に殺す事で少なくとも一つだけは自分が頼朝に勝っている物があると思い込める。そしてその他の点については確認しなければ良い。頼朝を殺す事で永久に確認不可能の状態にしてしまえば良い。確認済みの点については時間の経過と共に記憶が劣化すして事実誤認するか忘れるかしてしまえば良い。所詮は飼い殺しにされているだけの流人。合戦経験がある自分の敵ではない。
そう思って常伴は生身で頼朝の宿所内に侵入して暗殺を試みた。だが失敗した。格の差を見せつけられた。自分は単独戦闘能力においても頼朝を下回っているのだと思い知らされた。知らされてしまった。その直後、常伴は脱兎の如く宿所から逃げ出した。自分には何も無い。正真正銘言い訳の余地無く歴史の誤差だった。この物語の主人公は頼朝で自分は脇役に過ぎない。嫌だ。認められるかそんな事。自分にだって何者かになる権利はあるはずだ。
自分がこの手で頼朝を殺すから誘導だけに徹して欲しい。作戦開始前に告げたその言葉を撤回し、韓侂冑に頭を下げて水陸両用戦艦上谷を貸してくれるように頼み込んだ。頼朝を自分の手では殺せず、自分には何も無い事に気付いた。気付いてしまった。
ならば最初から無かった事にするしかない。ここに源頼朝は居なかった。後世の歴史書に頼朝の存在は明記されるだろうが、読まなければ良い。この全長10kmに達する巨大戦艦で頼朝もその郎党も全員消し去り故郷に引きこもって目と耳を塞いで余生を過ごせば良い。頼朝なんて居ない。そんな奴は最初から存在しない。そのはずだ。だというのに。
甲板に設置してあるカメラから映像が送られて来て正面モニターにうつしだされる。そこには頼朝専用鉄機であるヒゲキリがうつしだされていた。耐え切れず、常伴は震える声で言う。
「何故向かって来る。」
義兼と胡沙虎は唖然としていた。当然だ。源氏の嫡流の実力を見せつけられたのだから。これが武家の棟梁。
戦艦には主砲という物が存在する。戦艦の定義によると、自身が自身の主砲を受けた時に耐えられる装甲を持っていなければいけない。その為改装艦といえど戦艦である上谷は強固な装甲を有しており、それ故に登山用のハーケン等は刺さらないはず、だった。だが頼朝の乗る専用鉄機ヒゲキリは凄まじい腕力でハーケンを突き刺しまくり、上谷の側面装甲を10秒足らずで登り切って甲板へと姿を消した。
「これが真打ちか。」
義兼は自分達の乗る数打鉄機と上位存在が乗る真打鉄機の厳然たる力の差に圧倒されていた。
「いや、それどころじゃなかっただろ。」
と胡沙虎が突っ込んだ。頼朝が残したハーケンを掴んで頼朝軍のシノギヅクリ達は上谷の側面装甲を登っていく。そう、シノギヅクリだ。今目の前の頼朝軍兵達のシノギヅクリ達こそが一般的な数打鉄機である。だがそいつと同じシノギヅクリに乗っているはずなのにハーケン無しで上谷の側面装甲を登りきった奴が居た。佐奈田義忠である。彼女は一本のハーケンも使わずにシノギヅクリに上谷の側面装甲を蹴らせて上方へと跳躍させた、壁と言ってよい側面装甲を蹴るという動作はシノギヅクリを側面装甲とは逆方向へと跳ばしてしまう。しかしその直後向きを装甲側に変更し、昇竜系の対空技を放ち、再び装甲側へと近付き更に装甲を蹴り、昇竜系を放つ、という動作を繰り返して頼朝より先に戦艦の甲板上へと到達したのだ。もう何が何だか。
義兼は東国武者である。そして胡沙虎は勇猛果敢な騎馬民族である。その為本来ならば我先にとハーケンを掴んでこのそびえ立つ戦艦の側面装甲を登っていなければならないのだが、圧倒的差を見せつけられて何もかも投げ出したくなってきた。本当にあいつは同じ人間か。
そして甲板上から落下してくる物がある。それは鉄機だった。日本製ではない。中華製の、要するに南宋軍の鉄機達だった。次々に地面に衝突していき機能停止していく鉄機達を見つめながら二人の鉄機は立ち尽くしていた。途中からそいつらが対落下姿勢を取り始めて無事に着地するようになるまでは。
気付いた時には数百機の中華鉄機が指揮官機らしい二機に率いられて義兼と胡沙虎の鉄機を包囲していた。
かなりの数の鉄機を斬り殺し、それと同程度の鉄機を甲板から叩き落とした。上谷の甲板上は頼朝と佐奈田義忠を中心とする頼朝軍鉄機達にほぼ占領されつつあると言って良かった。だが、敵の脅威はまだ残っていた。甲板の端側に設置されている対鉄機用機関砲が甲板上の頼朝軍相手に掃射を開始したのだ。味方がほぼおらず敵の鉄機のみになりつつある状況だからこそ自分の甲板上に向けてそいつは咆哮を放つ事が出来た。
次々と粉々になっていく頼朝軍のシノギヅクリ。だがその砲弾飛び交う地獄の中で頼朝のヒゲキリと義忠のシノギヅクリは素早く駆ける。ヒゲキリは単純な脚力だけであっという間に距離を詰め、無人砲塔を一刀両断にした。義忠のシノギヅクリは鉄和弓を用いて遠くの砲塔にワイヤー付きのアンカーを打ち込みそれを高速で巻き取る事で砲塔に急接近して鉄機そのものを打ち込むかのような勢いで右手に握りしめた短刀を制御中枢がある部分に深々と突き刺した。
一方頼朝軍のシノギヅクリはほとんどが破壊され、生き残ったシノギヅクリ達も手足等が欠損している為ほとんど戦える状態ではなかった。
だが二人は健在だ。頼朝と義忠。残るは敵が操縦している艦橋のみ。そしてその艦橋から突如として光が放たれた。その光は艦橋壁面を貫いて水平の板状に伸びた後その幅を狭め、一条の光となった後に更にそれを中心とする極太の円柱となった。
その発光する円柱が消滅した後、艦橋に開いた鉄機一機が通過出来る穴からそいつは姿を現した。
ガクボシジ。
かつて南宋の英雄、岳飛が用いていたとされる鉄機。特殊合金の透明装甲の下に入れ墨のようなレーザー発振器が搭載されており全方位への攻撃を可能としている。常伴に与えられたそれは流石に岳飛本人が使用していた物ではなく正式品の真打鉄機を生産する過程で発生した規格外品の影打鉄機である。だがそれでも数打鉄機と比較にならない程高性能だ。
中華武人を思わせながらも異形の鉄機。闇夜に無数のレーザー発振器を光らせているそいつは、容赦なく光線を照射し始めた。
張巌と辛棄疾の二人は必死だった。現在彼女達は戦艦上谷のすぐそばの森林で頼朝軍と戦っている。
鉄機は平均して大体5メートル弱の大きさを持つ機械巨人である。だがその巨人という表現は人間との比較であり、戦艦と比較すれば遥かに小さい。もしこの戦艦の巨躯がわずかにでも動こうものなら自分達は搭乗している鉄機もろとも圧潰するのは間違いない。だというのに目の前の東国武者達はそんな事は知らないと言わんばかりに襲ってくる。
『待て待て待て待て待て待てお前達一旦休戦しよう。』
張巌のその公開通信の言葉に一切耳を貸さない頼朝軍のシノギヅクリ達は太刀を振り回して襲いかかってくる。それをなんとか曲刀で受け止める張巌のヨウイエバオだったが数が多過ぎる。既に奇襲の利点は失われ攻守は逆転している事は火を見るより明らかだった。
最初の奇襲が失敗した時点で退いていればよかったものを。張巌は韓侂冑を呪った。
あの女、どういう訳か縁もゆかりも無いはずの長狭常伴に今回の作戦指揮を一任した。これだから政治家は、とシノギヅクリを切り倒しながら心中で張巌は唾棄した。南宋は文治主義であり上位に立つ文官からの命令は絶対だ。どれ位絶対なのかというと南宋史上最高の英雄である岳飛が死ぬ位絶対。
冷静になれ、と張巌は自分自身に言い聞かせる。甲板上に居た自分達が叩き落とされたのはあの2機の鉄機が原因だ。奴等、叩き落としたら登ってくる事がほぼ絶望的だという事を的確に見抜いて武器を可能な限り消耗しないように突き落とす事を選びやがった。敵の数は決して多くない。だが落下時の衝撃で動作不良を一部にかかえている南宋鉄機は少なくない。ここから無事に逃げる方法はただ一つ。上谷の揚陸用ハッチを展開して水陸両用車両を発進させてそいつに飛び乗る。その為にはまず最小限の攻撃で最大限の効果を得なければならない。
張巌は敵の指揮官機と思わしき鉄機に切りかかった。比較的装飾が派手なそいつは張巌の鉄機が振り下ろした曲刀を太刀で受け止め、空いた方の手で張巌の鉄機の顎を上方へと殴り上げた。こいつ。
『話を聞け。このままこの戦艦が動けば私達は敵も味方も間違いなく死ぬ。ここは一旦双方退くべきだ。』
張巌のその警告に対して頼朝軍の指揮官機から返ってきたのは答えではなかった。
それは、歌だった。
『馬に乗りつれば、落つる道を知らず。悪所を馳すれども馬を倒さず。親も討たれよ、子も討たれよ。死すれば、乗り越え、乗り越え戦い候。』
まるで何度も再生し続けて摩耗したカセットテープが奏でているかのような非常に音質の悪い歌だった。
何だこいつ。
一瞬だが張巌は怯んだ。怯んでしまった。
その瞬間、張巌の曲刀は敵の大太刀によって大きく弾き飛ばされた。しまった。いくら南宋鉄機が重装甲といえど、追撃されて至近距離からの渾身の一撃を放たれれば機能停止までには至らずとも深手は負うだろう。
だが、両者の間に放り込まれた球体が突如として炸裂した。
『捕まれ張巌。』
伏線無しに周囲に散った音と光の中、張巌がその通信の意図を正確に理解し、その声の主の鉄機の手を張巌のヨウイエバオが掴んだ。その手の主は辛棄疾の鉄機だった。
辛棄疾は既に戦艦のハッチを外部から操作可能な位置までに移動しており、水陸両用車両に鉄機ごと乗り込んでいたのだ。解放式の座席を持つバギー型のそいつに搭載された車載砲で敵を追い払いながら味方の鉄機達を回収していく辛棄疾。彼女の一両だけでなく他の南宋兵達も別の水陸両用車両に乗り込み仲間達を回収し始めていた。
日本で本格的に火薬が導入され始めたのは1543年以降とされており、未だ平安時代に区分される1190年のこの時点では火薬技術を持つ南宋は頼朝軍に対して圧倒的優勢だったと言って良い。鉄機が携行できる実用的な火器が無くともこのような高い積載量を有する大型車両に搭載された車載砲を用いれば一瞬で優位に立つ事が可能なのだ。
だが、張巌はあえて継戦を放棄し仲間の兵達に命令を飛ばした。
『全軍撤退。、逃げるぞ。』
長狭常伴が乗るガクボシジの胸部が光り、宋の字型の光線が照射される。レーザー兵器という極めて特殊な兵装である為いくら高い技術を有する南宋でも実用性を得る事は出来なかった。その証拠に照射までの間に発振器の発光がどうしても必要な為それを見た敵が事前に回避行動を取る事が可能となっている。実際にレーザーを回避しした義忠のシノギヅクリが反撃として短刀を凄まじい速度で投擲するが、それはガクボシジの胸部装甲に弾かれた。極めて透明度の高い特殊な鉄合金がレーザー発振器を上から覆い尽くしている為攻撃手段を損なう事無くその保護が可能となっているのだ。
とはいえ、特殊装甲である為耐久性は通常の装甲のそれと比較して特別高い訳ではない。圧倒的腕力を有するヒゲキリの鉄和弓が命中すれば容易に串刺しになるだろう。だからヒゲキリが鉄和弓に鉄矢を構えた途端、ガクボシジは眩いばかりの光を放った。威力を宿したレーザー光は照射までに時間がかかるが単なる目眩ましならば即座に照射可能だ。頼朝のヒゲキリは鉄矢の射出の直前に光を照射された為、放たれた鉄矢は狙いを失いあらぬ方向へと飛んでいく。
いくら源氏の棟梁と言えど想定外の攻撃には戸惑うもので次に敵の本命が来るのだという判断が遅れた。ヒゲキリが動いた時には既にガクボシジの額から岳の字形の光線が放たれ逃げ遅れた鉄和弓の下部を蒸発させた。ガクボシジを遠距離から攻撃可能な手段はこれで全て失われた。
だが源氏の主従は強敵の弱点を瞬時に見抜き、それぞれの鉄機を走らせた。左右にわかれるように。
この頼朝と義忠の判断は正しかった。レーザー兵器は先述した通りいかに高度な科学技術を有する南宋と言えど十分な実用段階には至っていない新兵器であり、多くの制約が存在した。手に搭載出来ない点もその一つだ。鉄機の装甲を瞬時に蒸発させる程の出力のレーザー光を繰り返し照射するには比較的大型の冷却装置が必要となる。手や腕の体積では十分な冷却装置は内蔵出来ない。その上腕部脚部は可動部分であり破損し易く消去法で搭載可能部位は頭胸部に限られる。
つまり左右にわかれた義忠と頼朝の二人を同時に相手にするには頭部と胸部をそれぞれ別方向に向ける必要があるのだ。はっきり言ってそんな間抜けな真似は出来ないし、雑兵相手ならばともかく精強な戦闘者二人を相手にしてその戦術で勝てる者など居ない。
だがそれでも常伴はそれを採用した。頼朝のヒゲキリに向けた胸部レーザー光の出力を目眩ましから殺傷レベルに上げつつ、左から迫る来る義忠のシノギヅクリに対して額の岳の字レーザーを照射した。胸部レーザーより狭いそいつは光の速度でシノギヅクリの左手に迫って蒸発させ、回避行動に移ろうとしたシノギヅクリをガクボシジは回頭する事で追撃しようとした。だがシノギヅクリはガクボシジの頭部に合わせて動くレーザー光を避けつつ右手首からワイヤー付きアンカーを射出する。そいつは甲板の端へと引っかかり、急速に巻き取られ、シノギヅクリを引きずりながら回収していく。
常伴がその意味を考える。レーザー主体のこちらから飛び道具無しで離れるという事はそれはつまり戦闘の意思が無い事を意味する。自分の左手を失い戦闘力を喪失したと判断した直後、こいつは即座に自分を囮にする判断を下した。
つまり。
ガクボシジの頭部と胴体の向きが一致したその瞬間、メインモニターにそいつが姿を現した。
ヒゲキリ。源家伝来の真打鉄機。源頼朝の専用機。
胸部の宋の字レーザーは照射し続けていたはずだぞ。どういう事だ。
次の瞬間、ガクボシジの胸部にヒゲキリの手が突き刺さった。
手の内を明かせばなんという事はない。ただ単にヒゲキリの耐久性がガクボシジのレーザーの威力を耐えるのに十分だったというだけだ。レーザー兵器という特殊技術はこの時代の日本に浸透していなかったが、だからと言って日本側の全ての鉄機相手に有効な手段という訳ではなかった。サバンナのライオンと生息域が異なるからと言ってホッキョクグマが必ずしもライオンに負ける訳ではない。
胸部がヒゲキリの手刀によって貫かれ、全身から光を失ったガクボシジだったが、それでもその通信機能は生きているらしく搭乗者の声が聞こえてきた。
『何故お前は私の邪魔をする。』
頼朝は答えない。常伴は続ける。
『お前は何者でもないはずだ。なのに何故大勢の者達に期待され、何かを成し遂げようとしている。』
次の瞬間、ガクボシジは頭部を発光させ、ヒゲキリの視界をくらませた。光が消えた頃には既にガクボシジは甲板の端へと到達していた。
そして常伴は最後にこう述べ、ガクボシジを甲板から飛び降ろさせた。
『私はお前の脇役ではない。』
頼朝の乗るヒゲキリは、立ち尽くしていた。
戦闘は終わった。
敵味方含めて多数の鉄機が破壊された。戦力が少しでも欲しい頼朝軍は使えそうな残骸を手当たり次第回収し修理しまくった。シノギヅクリ同士での共食い修理はもちろんの事、南宋鉄機でも使えそうな奴は修理しまくった。部品が不足して一機分が組み上がらない奴については鉄木を削り出して応急処置として簡易的な代替部品を作って組み込んだ。
そういう訳なので頼朝軍は上総氏に会いに行くどころではなかった。仮に鉄機の問題が片付いても放置できない難題が目の前に文字通り横たわっていた。
水陸両用戦艦『上谷』。艦橋を破壊され巨大な置き物と化したそいつをどうするのか。頼朝配下の有力武将達は議論を重ねていた。
一方頼朝は上谷の甲板上から遠くの地面を見下ろしていた。木々を踏み潰そうとしていた悪夢のような巨躯は動きを止め、まるでそれを受け止めたかのように森は変わらずそこにあった。後方を見れば押し潰された木々をいくらでも見る事が出来るのだが。
「お疲れ様、鎌倉殿。」
義兼が声をかける。血筋で言えば頼朝の家族外では頼朝に最も近いであろう彼女だが、まだ若年である為有力武将たちの議論には加われずに居た。
「随分苦労したみたいだね義兼。」
「鎌倉殿程じゃないさ。」
義兼はそう返して頼朝と共に甲板から森を見下ろした。
「まさかこんな大規模戦闘になるとはね。まるで軍記物の世界だ。」
軍記物。義兼の言葉を聞いて頼朝は長狭常伴の言葉を思い出す。
『私はお前の脇役ではない。』
脇役、という事は主人公が居るという事だ。常伴には頼朝が主人公に見えていたのだろう。頼朝は義兼に言う。
「私ってそんなに主人公に見えるかな。」
「自意識過剰も大概にしろよ33歳まで無職だった奴が。」
そうだ。33歳。自分は伊豆に流されもう遅過ぎると言っても過言ではない年齢になってしまった。年齢を気にした事は無かったと言えば嘘になる。石橋山からついてきてくれている佐奈田義忠は頼朝より11歳年下の若武者だ。自分もこの年齢の時に立ち上がっていれば、と思った事は一度や二度ではない。だがその度に頼朝は自分のその考えを否定する。何故ならば当時の自分には大義名分が無かったからだ。頼朝が立ち上がるには源氏の御曹司という肩書だけでなくそれを後押しする上位貴族からの命令書が必要だった。だから頼朝は立ち上がらなかったのではなく立ち上がれなかったのだ、と自己を正当化出来る。
ではそれが無い者達はどうなる。
長狭常伴は平家方であり、本来ならば官軍側の勢力であり、公的に言えば正義の側である。正義は信仰を生む。自分は正しい。だから酷い目に遭うのはおかしい。これが発展すると正しい者は決して酷い目に遭わない、と悪化する。そしてこの考えは齢を重ねる程に修正が困難になる。自分の正しさに安住し外敵との競争にさらされる事がなくなった者はいざ自分を脅かす外敵が出現するとこう思うのだ。
『正しい自分がこんな目に遭うのはおかしい。』
と。
長狭常伴が何歳なのか頼朝は知らないが1180年である現在から17年前に三浦氏の侵略を撃退しているのだから恐らくは頼朝よりは年齢は上。少女なのはその他の人間同様に外見だけだろう。その上、侵略を撃退し、官軍である平家に与し、今年になるまで平穏に暮らしていた。これだけ見れば常伴の行いは正しく、何らかの罰を彼女が受けるのは理不尽に思えるだろう。
だが現実は道徳とか法律とかが支配するのではなく、物理的に可能だからやった、が通る位には人間の脳内にしか存在しない妄想に価値は無い。正しさとはそれ単体では物理的な質量もエネルギーも持たない妄想に過ぎないのだ。
17年。
今までずっと常伴は正しい側に自分は居ると自認して生きてきた。それを、自分より年下で、平家に歯向かう源氏の御曹司で、常伴の本拠地から離れた伊豆に居るはずの頼朝が、全否定しようと襲いかかってくる。正しさを破壊しようとしてくる。
恐らく、長狭常伴にはそう見えたはずだ。それだけでなく幼少の頃に親と親類の大多数を討ち取られた少女が齢を重ねて旗揚げし、かつての仲間達がその旗の下へと集う物語性も感じたはずだ。物語性があったから常伴は頼朝を主人公だと思った。常伴は頼朝を正しい側に居ないと思い込みたかったから主人公ではないと言い張った。そして常伴は、自分こそが主人公だと言わなかったし、言えなかった。
常伴は既に物語を終えてエンディングを迎えたつもりだったのだろう、と頼朝は思う。もし自分が平家打倒を達成して平穏な日々を送った後に反体制派の者達が物語性をまとって打倒しに来たら物語が変わったと思うだろう。主人公が変わったと思うだろう。自分が主人公ではなくなった、と思うだろう。いつか自分も長狭常伴のようになるのか。
頼朝は振り返る。甲板の向こう側の上谷が通過した跡には無数の木々が轢き潰されていた。朝日の温かい色で染められて本来の色を発していないその光景は不自然に押し潰された歪さもあいまってまるで人工物が破壊されつくされた文明崩壊後の世界に見えた。
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