1180年09月08日 山木館襲撃

 平治の乱で源義朝は敗れた。その娘である頼朝は静岡県の伊豆半島(インド亜大陸)に流罪となった。

 後の初代鎌倉幕府将軍である彼女は、暇だった。流罪先でする事が全く無いのである。あまりにも暇過ぎるのでひたすら読書していた。余った時間で流行り物をメルカリで転売。

 頭の中では色々策謀を練っていたが、結局どれも実行する為の武力が無くて権威も無いのだからひたすらニート生活を送らざるを得なかった。

 どのような状況下でも大義名分は大事だ。暴力こそ全てを支配する、というのは暴力によって全てを支配できる者のみが言える言葉である。どんなに頑張っても人間の不安は暴力だけでは拭えない。もしかしたら賊軍扱いされて一族郎党皆殺しになるかも知れない。そういう不安を払拭して未来の安寧を想像させる事で部下という者は大将について来て革命は成功する。その為の権威。その権威による安心があって初めて部下は大将に武力を提供するのだ。

 そして、その権威が転がり込んできた。

 頼朝が配流されたのは静岡県伊豆の国市内にある蛭ヶ小島という地だ。小島、とあるが島ではなく半島内の陸地であり、そこに叔母である源行家が以仁王の令旨を持ってやってきた。治承4年4月27日の事であった。

 久しぶりに会った叔母と歓談する暇は無かった。行家が他にも令旨を届けなければいけない相手が居ると述べて早々に立ち去ったからだ。

 どうしたものか、と頼朝は考える。

 今ここで即座に動くのはまずい。これ自体が平家の罠である可能性が高い。

 源平合戦、という名前から源氏と平家が完全に二分されたと勘違いしそうだが厳密には平家側にも源氏は居るし源氏側にも平氏は居る。後年、源平合戦が治承・寿永の乱という名前に改められたのはそういう理由からだ。

 そういう訳なので、叔母である行家の『他にもこれを渡す相手が居る』という発言は本当かどうか怪しい。行家が平家方に与しており、わざと挙兵させ、反平家勢力を集めさせてそれをまとめて叩く。そういう算段ではないか。

 そう考えた頼朝は様子を見る事とした。見ていたのだが、予想以上にその後の展開が早かった。

 5月。西暦で言えば1180年6月20日。以仁王は挙兵し、その軍勢は平家に敗れた。

 そして今、頼朝の手元には頼政の孫娘である源有綱が居る。そいつを引き渡すように、と清盛の命を受けた大庭景親が派遣されてきた。

 状況を整理した結果、座して待っていられない、と頼朝は判断した。

 伊豆半島の知行国主は頼政だが、それが敗退した。当然平家の棟梁である平清盛が支配者の居なくなった伊豆半島を放置する訳が無く、義妹である平時忠を伊豆半島の知行国主に任命した。それにより平家配下の伊東氏が伊豆の政治実権を握る事となった。

 問題なのはここから。頼朝側の工藤氏と北条氏は頼政派であった。その為このままでは双方伊東氏の圧力により衰退するのは確実。

 それを頼朝は好機と見た。頼政の挙兵の一年前、治承三年の政変の時点で坂東各地では知行国主の変更が行われており、旧知行国主系の豪族たちは圧迫されて不平不満を溜め込んでいた。そこに更に自分に最も近い工藤氏と北条氏まで圧迫されたならば直下の部隊として裏切らない事はほぼ確実。

 そして以仁王の令旨。武力と権威、その双方が労せず転がり込んできた。

 とはいえいつの時代にも我慢しようと考える臆病者は居る。

 頼朝はまず側近である安達盛長に関東各地の武士団の意向を確認させた。その結果、平家派である大庭景親だがその姉である大庭景義は快諾し、神奈川県横浜市の三浦義明は落涙し、千葉県に住む非平家の平氏達も快諾したとの事だった。

 戦力は揃った。有力な武将達を一人ずつ私室に呼んで期待していると声をかけるピグマリオン効果も実施した。だが、やはり問題はあるだろう。

 平家に与する者は武士だけではない。伊豆半島(インド亜大陸)の王朝である後期チャールキヤ朝もその内の一つだ。同じ伊豆半島のインド王朝であるヤーダヴァ朝のビッラマ5世は後期チャールキヤ朝からの独立を目論んでおり、これと手を組む事で戦力の不足が補えるはず、と頼朝は判断した。

 戦力の用意が済んだら次は攻撃目標の選定が必要だ。どこを襲撃するか。簡単だ。伊豆半島の目代である山木兼隆。そいつの館を討つ事に成功すれば伊豆半島の豪族達は一気に頼朝に味方するはず。

 頼朝率いる伊豆武士達とビッラマ5世率いるクシャトリヤ達は共に山木兼隆の館を目指して出発した。途中で兼隆の後見役の堤信遠の館を発見した。もしこれを放置して山木館に全戦力を投入し、陥落まで時間がかかった場合、背後から信遠軍が攻めてくる可能性があった。だが信遠を攻める事に全力を集中させれば今度は兼隆が攻めてくるだろう。最悪なのは兼隆に逃げられ、平家本軍が伊豆半島を攻める事だ。なんとしても信遠と義隆の二人を討ち取る。これが頼朝軍の勝利条件だった。

 頼朝は佐々木姉妹に命じて信遠を襲撃させ、残りの軍で山木館に向かった。

 天候は雨。

 佐々木定綱、佐々木経高、佐々木高綱の三人は自分達の鉄機シノギヅクリの弓に矢を番えさせて信遠の館に無数の鉄矢を降らせた。

「観測手が居ない曲射を試みるとは随分と戦慣れしていないようだな、賊軍は。」

 信遠は慌てず郎党達に反撃を命じる。

 館の内部に入り込んだ上での弓射ならばともかく、館の壁の向こう側からいくら矢を射掛けた所で有効打が得られる訳がない。塀を越えて敷地内に届いたとしてもそれが命中したか否かが不明だから着弾地点の修正ができないからだ。

 信遠は乗機であるコガラスヅクリを塀の上の瓦に立たせて鉄矢を放つ。

 それは経高の乗機であるシノギヅクリの脚部に突き刺さり、擱座させた。

 矢とは手当り次第に放てば良い、というものではない。敵を恐れずしっかり見て弓に矢を番え、放つ。それがしっかりできていればあとは訓練通りに吸い込まれるように敵へと矢は飛んでいく。

 敵は初めての合戦で慌てているのだろう、と信遠は思った。とにかくこちらからの攻撃を恐れているらしく、その証拠にまだ一体の鉄機の脚部を射抜いただけだといのに周囲の鉄機達の動きが一目でわかる程に乱れた。動揺が広がっている。

「打って出ろ。」

 信遠の命令に館の門が開かれ、信遠の郎党が乗る無数のコガラスヅクリ達が門外へと飛び出した。

 敵は明らかにこちらからの反撃を恐れており、それ故可能な限り塀に近付こうとしていなかったので信遠の郎党達はたやすく門外へと出る事が出来た。この点からも彼女達が戦慣れしていない事がわかる。出てこれないように門の前で待ち構える勇敢さが必要だったが臆病だったようだ。命を恐れないと言われている東国武士達にもこのような怯懦に支配された軟弱者達も居るのだな。

 また、館をぐるりと包囲する事もしていない。分散する事で不安になる心理的効果を抑止できずに密集している事から訓練もまともに積んでいないと推測出来る。

 恐らくこいつらが担ぎ上げているのは頼朝か、あるいは以仁王に与した頼政の孫娘か。

 どちらにせよ興味は無い。

 自分が後見している山木兼隆の所にも賊軍は向かっているだろう。さっさとこいつらを始末して向かわなければ。いや、この程度の練度ならば任せてよいか。

「お前達、こいつらを始末しろ。私は山木の館に向かう。」

 信遠は親族にして家臣である堤近遠、景遠、足遠、洋遠に後を任せ、自らは騎馬鉄機を100機率いて山木館へと向かった。


「雑魚共が。」

 山木館にはほぼ郎党が居なかった。あまり戦いに向いていない牧の方ですら敵の鉄機を容易に切り殺せる程だった。

 牧の方が乗るシノギヅクリは敵のコガラスヅクリを次々に切り倒していく。太刀筋もまともではない。いくらなんでも手応えが無さすぎる。訓練のくの字も受けていないかのような弱さだ。という事は。

 突如として、爆発音が響いた。

 罠だったか。

 この初陣を北条家の第一の軍功として源氏嫡流の源頼朝に捧げる事でその後の頼朝軍内の北条家の地位を盤石のものとする予定だったのだが、焦り過ぎたか。

『来ると思ったよ、賊将に与する田舎共よ。』

 あちこちから火の手があがる山木館内に聞き覚えのある声が響く。山木兼隆のそれだ。

「お前も人の事が言える程の身分ではなかろう。」

 と、牧の方が言い返すのは無理があった。

 地方豪族に過ぎない北条氏に対し、兼隆の親である平信兼は保元の乱で清盛に味方し、その後検非違使や複数の国司に任じられ正五位下に至っている。また兼隆自身も平家一派の平時忠の元で検非違使少尉として活躍した経験がある。

 返答は無い。録音された音声を流しただけだったか。それとも逆探知で居場所を知られるのを避けたいだけか。

『退却だ。兼隆の奴、本気でここを捨てる気らしい。』

 通信が入った。北条時政からのものだった。

 牧の方は共有された脱出経路図をモニターにうつしてそれを見ながら乗機のシノギヅクリを館の外へと走らせた。中庭では既に塀の向こう側から矢が飛んできており、山木館自体が巨大な囮であった事を物語っていた。

 その直後、山木館本体が音を立てて崩れ落ち、その上更に炎上した。牧の方はモニター右端の味方の機数が百近い数減っている事に気付いた。

 これが都を経験した者の戦い方か。

 坂東武者は命というものを軽く扱うが故に勇猛果敢に戦える。しかしその一方で高度な建築技術や財力を有していないので建造物の破壊をためらう傾向にある。

 それに対して西国の経済的に豊かな武士達は命を大事にする一方で館等は所詮物品に過ぎないと判断して破壊する事を厭わない。たとえそれが自分の館であっても。

「指示を出せ時政。北条家の頭目にふさわしい指導力を見せろ。」

 牧の方の通信を受けて時政が下した決断は冷静沈着そのものであった。

 後方に控えている頼朝に援軍を要請する。


 頼朝は慎重が服を着ているような人物であった。

 常に相手が自分を罠にはめているのでは、と疑い、身内であろうとも疑う。とにかく疑い続ける日々を過ごしてきた。それ以外には読書とメルカリ位しかする事が無かった程度には暇人だったのだが、暇ではなくなったからといって長年続けてきた習慣は変わらなかった。

 そして疑った結果、やっぱり罠だったな、と気付いた。

 山木館に突入した北条軍は館の塀の内側に閉じ込められ、外側から無数の鉄矢を射られて徐々にその数を減らしている。

 対策が必要だ、と考えた頼朝は自分の警護として近くに配置していた加藤景廉、佐々木盛綱、堀親家の三人を派遣した。手勢を率いて山木館へと向かう三人の鉄機を遠くから見つめながら側に立つインド形式の鉄機『ザグナル』に乗っているビッラマ5世に通信を入れた。

「勝てるかな、この戦い。」

『さてね。』

 ビッラマ5世の返答はどこか他人事だ。

 ビッラマ5世も頼朝も共に現政権からの独立を目的としている。そして両者共に現実主義者だった。だから不確定な事を断言したりはしない。

 ビッラマ5世の部隊を最後まで出さないのは頼朝の策だった。平家軍が伊豆半島、すなわちインド亜大陸の現地勢力の全てに圧力をかけているとは考えにくい。となると平家に協力する勢力も当然存在し、その者達がここで援軍として現れる可能性は十分にあった。

 のだが、先に現れたのは堤信遠率いる100機程度の軍勢だった。

『頼朝、あれ潰していいか。』

「まだ待ちなさい。」

 ビッラマ5世が興味を持ったが頼朝が止める。先程頼朝の所から離れた三人の部隊に信遠の部隊が襲いかかり激しい戦闘になった。

 当然その間も山木兼隆の軍による北条隊への逆包囲は続いている。

 仕方がないか。

 頼朝は嘆息しながら安達盛長に命じて配下の兵達に出陣を伝えさせる。

「私自ら北条を助ける。ビッラマは敵が出てきたらそいつを始末して。」

『じゃあ一緒に出撃だね。』

 頼朝は一瞬ビッラマ5世の発言を理解できなかったが一瞬でビッラマ5世の発言を理解した。

 見慣れぬ軍勢が、山木館めがけて疾走していたのだ。その軍勢はビッラマ5世が率いる軍と似ていた。

 ソーメーシュヴァラ4世率いる後期チャールキヤ朝の軍勢であった。


 ソーメーシュヴァラ4世は焦っていた。何が何でも平家を味方につけなければならない。

 現在彼女の王朝である後期チャールキヤ朝の首都カリヤーニは封臣であるはずのカラチュリ家によって20数年間占領され続けていた。

 ここでチャールキヤ朝の権威を示す必要がある。頼朝を叩き潰し平家に恩を売る。そして平家の軍勢を借りて首都を取り戻しす。

 チャールキヤ朝軍の鉄機『ジャマダハル』は鉄馬にまたがって山木館に進んだが、後方から接近してくる敵の反応にソーメーシュヴァラ4世は振り返らずにはいられなかった。

 そこには日本形式の鉄機達とインド形式の鉄機達が鉄馬に乗って並走してくる姿があった。

「ヤーダヴァ朝の奴らめ、封臣の分際で図に乗りおったか。」

 忌々しい邪魔者の出現に、ソーメーシュヴァラ4世は睨みつけながら軍勢を反転させた。背後を突かれればどれ程精強な軍勢でも崩壊するのだから兼隆救援は後回しにせざるを得ない。

 ソーメーシュヴァラ4世の専用ジャマダハルを先頭に後期チャールキヤ軍がビッラマ5世の率いるヤーダヴァ朝の軍に突撃した。

 ジャマダハル達は乗っていた鉄馬を変形させて合体し、一回り大きい人型の姿になってから刺突用の短剣を突き刺していく。ヤーダヴァ朝のザグナル達も同様に鉄馬と合体して激突した。

 だがソーメーシュヴァラ4世達を受け止めたのはザグナル達の前方部隊だけだった。後方の部隊は左右にわかれ、ジャマダハル達を半包囲していく。

 だがソーメーシュヴァラ4世は止まらなかった。

 チャールキヤ朝は6世紀から600年以上続く名門国家だ。自分の代で滅ぼす訳にはいかない。その為には勝利が必要だ。周辺諸政権を従属させるに足る圧倒的勝利が。

 ジャマダハル達は敵の胴体に短剣を突き刺していく。短剣は右手に握られている。拳の向きと刃の先端が一致する特殊形状の片手用の短剣である為、殴る威力が短剣の刺突能力に完全に上乗せされて重装甲が相手であっても貫通する。そしてその高い威力に反して片手しか消費しない為自由な左手で敵の攻撃を防いだり、そのまま殴りつけたりも出来る。一方敵であるザグナル達は柄の長い戦鎚で武装している為、短剣で武装しているジャマダハル達に懐に入られたら対抗できない。その上最初に激突したザグナル以外は鉄馬に乗っており小回りもきかない。

 既に敵の鉄機は10機は倒した。それはソーメーシュヴァラ4世だけの戦果だ。配下の兵達が倒した数も合わせればかなりの数になった。そしてひたすら敵の中を突進し続ける。最後方の兵達は流石に敵の攻撃を防ぐように動くが、それ以外はひたすら敵を突き倒しながら前方へと進み、そして、突破した。

 居ない。

 そこにはヤーダヴァ朝を率いるビッラマ5世の姿は無かった。

 当然だ。指揮官は必ずしも一番奥に控えている必要は無い。その事はソーメーシュヴァラ4世自身が証明している。

 だが、敵将さえ討ち取れば逆転出来ると思っていたソーメーシュヴァラ4世にとってこれは痛手だった。進める場所が敵が居ないこの一方向だけであり、そして左右後方は敵に囲まれているのだ。

 要するに、もう逃げるしかない。


 山木兼隆は娘である山木兼光と山木兼盛と共にコガラスヅクリに乗って兵達を率いて山木館を逆包囲していた。中に閉じ込められた北条家は塀の内側からの爆発や発火によって徐々に数を減らしていく。所詮は命知らずなだけの野蛮な東国武者。計略にはめればたやすく死ぬ。

 そう思ったが電探が自分達に後方から迫る敵の反応を拾う。インド戦士のそれではない。東国の武者。それも源氏の反応だ。

「来たか、逆賊の娘め。」

 兼隆は娘達に包囲を続けさせながら自分の直属200機を率いて包囲網から離れ、はるか先からやってくる敵軍めがけて鉄馬を走らせた。

 兼隆にとって平治の乱でほぼ壊滅した源氏は愚かな反逆者達に過ぎなかった。唯一生き残り中央政界に残っていた頼政も馬鹿な反逆行為に手を染めた結果、平家による中央支配が完成してしまった。

 賢く立ち回らなければならない。それは山木兼隆の絶対の行動方針だった。敵は所詮将門の真似事をするだけの雑兵共。

 兼隆の乗るコガラスヅクリは鉄馬と変形合体を行い鉄製の機械の巨躯は更に巨大になり頼朝率いる本隊に飛びかかった。

 まずは最初の一体。先頭のシノギヅクリをそいつがまたがっている鉄馬ごと蹴り上げる。鉄馬の機械製の内蔵が鉄製の皮膚がひしゃげる程の衝撃を受けて音を立てて潰れていく。上に乗っていたシノギヅクリは上方へと飛んでいき、兼隆のコガラスヅクリが放った短剣を首の関節に受けて機能を停止する。まずは一体。

 進軍中の騎馬鉄機隊に突撃したので敵は勢いを殺す事ができずそのまま兼隆のコガラスヅクリを轢き殺そうとする。しかし即座に兼隆はコガラスヅクリに地面を蹴らせ右方向へと飛び退いて回避する。人間とその騎馬隊ならば回避不可能な距離だが、巨大な機械巨人と鉄馬の合体した結果誕生した圧倒的脚力により兼隆のコガラスヅクリは自身の背丈の10倍もの距離を瞬時に移動し回避しきった。

 そして兼隆率いる騎馬鉄機隊と頼朝の騎馬鉄機隊が激突する。一人そこから逃れた兼隆は再び鉄馬とコガラスヅクリの合体を解除し、騎兵形態に戻して走らせた。狙うは最後尾に居るであろう頼朝本人。百体を超える数の騎馬鉄機達の横を駆け抜け、最後尾を視界に入れた。

 居た。一体だけ明らかに過剰装飾な鉄機が、鉄馬にまたがっている。それこそが頼朝専用の鉄機『ヒゲキリ』。

 オーバードブースト展開。

 山木兼隆の先祖は平将門を討伐した平貞盛の妹である平繁盛である。平将門は極めて強固な肉体を持ち更に七人の影武者達が居たとされる。もし本物の将門を討ち取ったとしても将門と区別が付かない影武者達が逃げて将門を名乗って兵を募れば反乱は長期化する。加えて将門が反乱を起こしたのとほぼ同時期に瀬戸内海で藤原純友が乱を起こしていた事からもわかるようにこの頃の日本は朝廷に対する不満が各地に溜め込まれていた時期だった。速やかに反乱を鎮圧しなければ全国各地の不満が爆発して朝廷打倒の動きが広まるという恐れもあった。それらを回避する為に開発されたとされるのが加速装置であるオーバードブーストである。

 当時の朝廷側が盛んに用いたとされるがその後の歴史ではあまり多く登場しない為、日本国内で開発された物ではなく大陸から伝わった物を用いたのではないのかという説が唱えられ、そこから更に飛躍して中華北方の騎馬民族達から伝わったのだという荒唐無稽な論理が展開され騎馬民族征服王朝説が世に出た流れは昭和の日本史界隈を調べた事がある人なら誰でも御存知の事だろう。

 兼隆は自分の先祖である繁盛から代々受け継いだこの切り札を今ここで切った。

 兼隆のコガラスヅクリがまたがっている鉄馬の脚が折りたたまれ、巨大な車輪が地面に接する。更に頭部も折りたたまれる。四輪バギーモードである。そして鉄馬の胴体両側面にある巨大な推進器から光と熱を放つ推進剤が凄まじい勢いで放出し、彼女の鉄機と鉄馬に時速1000キロを超える高速を与える。5メートルの巨人がその体格にふさわしい巨大な四輪バギーにまたがり、遷音速で突っ込んでくる。この恐怖を理解できるだけの猶予を頼朝の配下達は与えられなかった。

 頼朝が居る場所と兼隆が居る場所までの距離は間違いなく1キロメートルはあった。だが、秒速に換算すると0.278キロメートルに達する高速の物体に頼朝の配下達は気付くのが遅れ脅威を脅威だと認識するまもなく鉄機も鉄馬も跳ね飛ばされた。

 そして四輪駆動形態の鉄馬に兼隆のコガラスヅクリは、またがっていなかった。

 敵の騎馬鉄機隊に派手に衝突し、それでも速度を殺し切れなかった兼隆の鉄馬は頼朝の護衛部隊の位置を貫きはるか遠くまで走った後に推進剤と姿勢制御を失って横転して機能を停止した。その装甲は衝突時の衝撃でひしゃげていたが、そんな事は兼隆にはどうでも良かった。

 大事なのは賊将の首だ。

 頼朝の護衛達に鉄馬が衝突する直前で兼隆のコガラスヅクリは飛び跳ねるように下馬し、衝突を免れた敵の鉄機をそいつの鉄馬ごと切り倒した。あまりの強力な衝突だったため無事だった頼朝の護衛達は何が起きているのかを理解するまでに時間を要した。その時間を見逃さず、兼隆のコガラスヅクリは次々に敵を切り倒していく。

 電探が最後に残った敵の反応を示す。そいつを兼隆のコガラスヅクリは睨みつけた。鉄馬にはまたがっていない。恐らく先程の大衝突時に回避する為に乗り捨てたのだろう。

 シノギヅクリよりはるかに過剰な装飾を身に着けた大将専用機。

 ヒゲキリ。

 兼隆達平家側の将兵に配られたコガラスヅクリは大量生産の規格品の数打に分類される。一方頼朝のヒゲキリは真打と呼ばれる生産性を度外視した規格外品であり性能差はあまりにも大きい。

 だが兼隆にとってそんな事はどうでも良い。敵の大将首を取る。それこそが自分に課せられた使命だと思った。

 人間は、自分の人生に意味を求める。

 以仁王は次期天皇に即位できないどころか親王にすらなれなかった現実を受け入れる事ができず、前年の政変を口実として挙兵した。

 兼隆も自分の現実が受け入れられなかった。

 山木兼隆の親は平信兼であり、先祖は先にも述べた通り平将門を討伐した武将の一人である平繁盛である。盛、という字から分かる通り、平家棟梁の平清盛の遠戚である。繁盛の姉、貞盛が清盛達平家の先祖にあたり、平家が宗家、信兼の家が分家にあたる。

 兼隆は1180年に平家一門の平時忠から静岡県の目代に任命されるが、その前年の1179年に親である信兼によって訴えられて解官されている。静岡県は配流先であり転勤先ではない。本来ならば自分はここにいるべき人間ではない。時忠は仲良くしてくれる親戚だからという理由で自分を目代にしてくれたのであって平家の総意で罪が許された訳ではない。自分は未だ罪人なのだ、と兼隆は思っていた。

 だからこそ源氏の大将首を取る。自分が流罪となったその翌年に以仁王が挙兵し、そして自分の目と鼻の先に手柄となる源氏の残党が居る。これは運命としか言いようがない、と兼隆は思った。

 ここで好機を活かす事ができなければ自分は敗北者のままだ。あるべき自分に戻る。将門を討伐した武将の末裔を名乗るのにふさわしい女になる。

 兼隆のコガラスヅクリが刀を構える。

 それに対し頼朝のヒゲキリは何も持たずに掌を見せてくる。挑発か。武器無しでも相手出来ると、そう言いたいのか。

 コガラスヅクリは斬りかかる。振り上げた刀はヒゲキリの右肩から左腹まで振り下ろされた、はずだがヒゲキリは全くの無傷だった。確かに真打が数打にまさる点に装甲の堅牢さがあるが、これはそれどころの話ではない。振り下ろされるその瞬間、わずかに身を引き、最小限の動きで刃を回避したのだ。桁違いの反応速度。

 そして次の瞬間、コガラスヅクリの顔の前にヒゲキリの顔があった。感情を持たない鉄製の冷たい機械の顔。だがそれには言語化出来ない威圧感があった。

 たかが機械だ、とは心中であっても兼隆は言い放てなかった。一瞬気圧された、その直後、兼隆のコガラスヅクリの腹部にヒゲキリの右拳が叩き込まれた。圧倒的速度と質量を持つその正拳突きはコガラスヅクリの両足を地面から引き剥がし、その身体を宙へと射出し、百メートル以上後方へとふっ飛ばした。

 コガラスヅクリのオートバランサーは機能不全に陥り、それを理解した兼隆は手動でコガラスヅクリの姿勢を制御し、なんとか両足で着地させた。だが、電装系がやられたのか左脚のモーターへの通電が切れ、片膝をついてしまった。

 これが源氏。

『兼隆。退却するぞ。』

 堤信遠の声だ。電探を見ると信遠とその配下のコガラスヅクリ達の光点が接近してきているのがわかる。

 後期チャールキヤ朝のソーメーシュヴァラ4世も劣勢に立たされているようで自領内への撤退を開始している。

 娘二人が率いている部隊も北条氏の脱出を許して逆襲されているようだ。

 潮時か。

「総員に告ぐ。予定通り基地は放棄し後期チャールキヤ朝の領土へ退避を開始せよ。落伍者は見捨てる。死ぬ気で生き延びろ。」

 兼隆は通信を開き兵士達にそう告げた後緊急レバーを引いた。両腕、胸部、背中、頭部。コガラスヅクリのそれらが脱落し、操縦席を格納した箱型のブロックが姿を表した。そいつは内部に兼隆を乗せたまま鳥の翼のような飛行装置を展開し、大空へと飛び立った。コガラスヅクリの名前の由来とも言われている鳥型脱出航空機である。命知らずの東国武者とは異なり西国の武者は戦を問題解決の手段としかみなしていない為このような脱出装置を多くの鉄機に採用している。

 こうして源頼朝の初陣である山木館襲撃は頼朝軍の勝利に終わった。その事実に兼隆は当然納得していない。

 必ず、仕返ししてやる。

 鳥型航空機の操縦席内で眼下の頼朝軍の鉄機達を見下ろしながら兼隆は復讐を強く誓った。

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