【8】

拝啓 蝉のラブコールが騒がしい七月ですが、円香ちゃんはお元気ですか? アタシは自由です。

 君がこの手紙を読んでるってことは、アタシはもうこの世からも逃げてしまった後のはずでしょう。

 ま、円香ちゃんはアタシが自殺したって知ったら間違いなく理由を知りたがるだろうし、君以外の誰かにアタシの全てを掘り返されるのは嫌だから前もってここに書いておくね。

 では、改めまして、アタシが自殺に至った理由は二つあります。一つは、アタシが末期の胃癌に身体を蝕まれていたこと。大学入って一ヶ月ぐらいの時になんとなく健康診断受けたら癌が見つかったんだけど、もう手遅れだった。薬とか色々あったけど、アタシはもう生きるモチベーションがなかったから、全部断った。希死念慮ってやつ?

 もう一つは、アタシの昔話からなんとなく察してくれただろうけど、やっぱりにんげんが怖い。怖いの。

 もうどうしようもないぐらいアタシは疲れちゃったんだ。なんか『怖い』と『嫌い』って似て非なるモノじゃない? とにかく人間が怖くて嫌いになってしまったの。

 もちろん君や万作まんさく店長は別だよ。特に君。ずっとずっと大好き。

 正直店長には申し訳ない事しちゃったなぁ〜って思ってる。だから今度あったら代わりに謝っといてくれる? ダメ? まぁいいわ、円香ちゃんに全部任せる。あと、アタシの残りの資産は全部円香ちゃんに譲るよ。大した量じゃないけど…

 最初は叔父さんにも何か遺しておこうと思ったけど、まぁ父さんへの当てつけ代わりに恩を仇で返すことにしたよ。叔父さんごめんね。

 さて、アタシの自殺に関してはこんなところかな?

 そろそろ余白も無くなりそうだし、締めに入るね。

 円香ちゃん。アタシは君と一緒に生きられてとっても幸せでした。

 確かにすごく短い間だったかもしれない。それでも、アタシにとっては一生分の幸福に等しいモノだったんだ。

 君にとってはどうだったかな? アタシと同じ風に思っていてくれたなら、アタシは幸せ者だよ。きっと。

 どうかアタシを、蛍を忘れないでね?

 約束だよ。               敬具

                   君の蛍

  原山 円香さま













 そういえばこの家に行くのは、あの日以来二回目だったっけか……もっと沢山行っておけばよかったなぁ…と後悔しながら空っぽの家の鍵を開ける。

「……ただいま」

 『おかえり、円香ちゃん』と、返事が返ってくる未来もあったのかな…そうやってまたIFを妄想する。だが、心にぽっかり空いた穴が塞がることはない。

 退院してからも学校には行かず、ずっと家を掃除していた。

「あはは…結局片付いてないじゃん…」

『今度来る時までには掃除しておくから…』って言ってたのに…

「うそつき……」

 だが、あれほど転がっていた空き缶の類が一切見受けられない。一応掃除自体はしていたみたいだ。

「…こんな棚あったっけ?」

 見覚えのない棚がある。多分カーテンで隠れていたのだろう。そこには額縁に収められた写真が大量に陳列していただけでなく、そこそこ厚みのあるアルバムまで置いていた。ただ、被写体は全て私のようだ。

「……ずっと前から両想いだったなんてね…」

 こういうのを両片想いと呼ぶのだろうか。今ではもう恋人同士だったけど。

 なんだかすごく切なくなってくる。あぁ、また涙が…でも、もう大丈夫。

「そろそろ始めよう」

 そして私は、蛍さんの家にある窓や扉の隙間を全てガムテープで塞ぐと、玄関まで前もって運んでおいた七輪を室内に運び込む。

「台車って便利だなぁ…」

 非力な私は文明の利器に頼らざるを得ない。

 家の倉庫にあった七輪だが、ここまで運ぶのはとても大変だった。そもそも電車で移動するような距離を台車を押しながら徒歩で移動すること自体可笑しいのだから仕方ないということにしておいた。

「じゃあ次はコレを……」

 そう言ってレジ袋の中から練炭を取り出し、七輪にセットする。


「ママ、パパ、ごめんなさい」

「二人の分まで生きるつもりだったけど、もう無理です…ごめんなさい」

「蛍さん、アナタは私に『生きてほしい』って言いましたよね?」

「残念ながらそれは難しそうです」

「私はアナタの願いを叶えられません」

「悪い子でごめんなさい」

「待っててくださいね…私もいきますから」

 そして私はマッチを擦り、練炭に火をつけた。

 それから市販品の睡眠導入剤を沢山飲み込んで、私と両親を繋ぐぬいぐるみを抱きしめた。寂しさを紛らわすように。怖くないように。



 口元を不恰好に…されど紅く彩った少女は眠る。古びた兎の人形を抱いて。

 片耳だけのイヤリングが、橙色の炭火を反射している。

 煙が徐々に部屋に充満していき、同時に少女の命を蝕む。そんなことはいざ知らず、彼女の知人たちは呑気に暇を謳歌しているのだろう。

 この無色不透明な世界から独りの少女が零れ落ちようとしている。

 結局、彼女の世界が彩りを取り戻すことはなかった。

 誰も彼女を救えなかった。

 猛暑日の国道に陽炎がゆらめき、蝉の骸に蟻が齧り付く。

 七月の慟哭は、止むことを知らない。

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