【7】

 朝、雀の声で目を覚ます。壁掛け時計の時針は、八時を示していた。

 まず自身が全裸のままでいることにため息をつき、次に隣で寝ている裸の蛍さんに顔を青くする。

「………もしかして…一線越えちゃった…?」

 シングルベッドに二人で寝てたのか…とりあえず、幸せそうに寝息を立てている蛍さんを起こすことから始めようか……………いや、もう少しだけ、一緒に寝よう。

 蛍さんの隣に寝そべり、手を握る。

「…大好きです…蛍さん……」と、ひとりごとを囁き、キスは……恥ずかしいのでやめた。



 その後も、二人で色々な所を巡った。有名な寺社仏閣からグルメまで、お金が尽きるまでどこまでも逃げ続けたかった。

 こんな、カラフルなキャンディみたいに幸せな日々が永遠に、いつまでもどこまでも続いて欲しかった。

 でも、お終いはすぐやってきた。


 それは七月下旬のある日のことだった。

 この日、私たちはとある海岸を訪れていた。その海岸は潮風が心地よい断崖絶壁で、平安時代のある水軍が舟隠しの場として利用していたと伝わる洞窟がある観光名所らしい。

「……綺麗ね、円香ちゃん」

「はい……海なんて初めて見ました」

 まさか人生初の海を、こんな形で見ることになるだなんて…まぁこんな旅をしている高校生なんて全国探しても私くらいだろう。こうなることを予想できる人間なんていやしない。

「ねぇ、円香ちゃん」

「なんですか?」

 美しい海を背景に、太陽に照らされた蛍さんの顔は、どこか憂いを帯びていた。

「アタシのイヤリング、片っぽあげる」

「え? いいんですか?」

「うん ここまで付き合ってくれたお礼」

 そういって蛍さんは右耳のイヤリングを外し、私につけた。

「…うん、似合ってるわ」

 蛍さんは微笑んでそういった。

「……ありがとう…ございます……」

 陽の光で煌めくイヤリングが、潮風に揺れていた。


「じゃ、そろそろ戻る?」

「はい!」

 この時に、『戻りたくない』と答えていたら…あんなことにならなかったのかなぁ…




 木陰に入れていたおかげか、車内はそれほど暑くなかった。いつも通り、助手席に座る。

「蛍さん、次はどんなところに行くんですか?」

 あたりまえのように次の行き先を尋ねた。しかし、返事はなかった。

「蛍さん…?」

「………円香ちゃん、ごめんね」

「え? 急にどうしたんですか?」

「アタシ…実はもうあんまり長くないんだ……」

 突然の『ごめんね』が理解できず訳を尋ねるも、質問に対する回答は得られなかった。

「……ちょっと…ちょっとどういう「だから、もうすぐ死んじゃうってこと……」

 蛍さんは涙を目に浮かべている。顔は笑っているが、心は違うのだろう。

「…なんで……なんで急にそんな………」

「今まで一緒に逃げてくれて、すっごく嬉しかった…でも、もうお終いなんだ…」

 お終い…?

「嫌…嫌ですよ…そんなの!」

 なんでお終いだなんて言うの?嫌だよ…もっと一緒にいたいよ……まだ私は始まったばかりなのに…

「ううん…もう逃げるのはアタシ独りで充分だから…」

「円香ちゃんには生きてほしいから」

「嫌です!…私はアナタと二人だったから…ここまで、アナタが……アナタという人が居てくれたから!」

 涙ぐむ声は震え、彼女へ手を伸ばす。

「いかないでよ……私を独りにしないでよ…」

 哭きながら、その肩に縋り付く。しかし、私の手は払いのけられた。

「……なんで…どうして……」

 蛍さんは涙ながら、優しく微笑んでいた。

「だからね…ごめんね……さよなら」

 次の瞬間、私の身体を電光が駆け巡る。遠のく意識の中で、再びあの断崖へと向かう蛍さんへ手を伸ばす。もちろんその手はフロントガラスに阻まれ届かない。

 そして浮き沈みしていた意識は沈み込んで見えなくなり、視界を瞼が覆い隠した。








「なぁ…高田、お前この事件をどう思う?」

「さぁ? こんなもんよくある投身自殺でしょ」

「全く、自殺なんてしてくれちゃって…観光地の皆様は大迷惑だっての」


 俺の名前は吉田 京一。この地域の警察署に勤務する刑事だ。

 今回俺が担当していた、観光名所の海岸で投身自殺した大学生と、行方不明になっていた十六歳の少女が見つかった事件だが、その重要参考人たる件の少女に事情聴取を行ったところ、これまた面倒な事件だったことが発覚した。

 何が面倒ってその自殺した『石寺 蛍』っていう二十一歳の大学生は、三年ほど前に起こった猩々市しょうじょうし夫婦殺人未遂事件の渦中の夫婦が残した一人娘だったってことだ。おかげでマスゴミ共が大喜びで取材にきやがる。

 ま、『こんなにウマいネタはほっとけねぇ』ってのには概ね同意するがな。

「しかし…なんだ、まだあのガキの親は来ねえのか?」

「あぁ〜ヨシダにはまだ言ってなかったか…あの娘の両親はもう交通事故で何年も前に亡くなってんだとよ」

「ははっ…こりゃなんかのドラマか? バックストーリーが重すぎんだよ全く…」

「ホントにドラマだったらよかったのにね……………じゃ、ヨシダ、僕はあの娘に事件の顛末を説明してくるよ」

「おうよ、泣かせないよう頑張れよぉ〜」

 車に乗り込む高田を横目に、タバコに火をつけ、紫煙で肺を満たす。

……全く、可哀想なガキだ……神サマも意地悪なもんだな。



 件の重要参考人の女の子…目覚めてからずっと自殺した女子大生を探してるって聞いたけど、『死んだよ』なんて言ったら…マズイだろなぁ〜

「全く、お偉い様は僕へ何を期待してんだか…」

 悪態を吐きながら、病室へ足を運ぶ。……が、病室の所在ををヨシダに聞きそびれてたので一旦ロビーの受付に戻る。

「すみません…私、警視庁刑事課の高田 茂夫と申します…」

 警察手帳を提示し、自身が刑事であることを一方的にだが、証明する。

「原山 円香さんへの面会を頼みたいのですが…」

「あぁ〜原山さんね、はいはい…」

 カタカタとキーボードを打ち、おそらく原山 円香に関する何かを調べる看護師。そして、「ちょうど今、近くに用がある看護師がおりますので、そちらに案内させます…もう暫くお待ちください」と、いかにも機械的な対応…まぁ、緊張したら定型文でしか会話できなくなる僕が言えたことじゃないんだけど。

「お待たせしました、私がご案内いたします」

 今時は男の看護師も多いんだなぁ…と感心しつつ、彼の背を追う。


 病室に着く前に、岳田課長クソ上司から渡された封筒の中身を確認しておこう。

「うわぁ…」

……現場の写真と遺留品の口紅?なんだこれ? あとは……遺書とかふざけんなよあのアホ共ォ!」

「あっやべ……」

 感情が昂りすぎて声に出てしまっていたらしい…どこから声に出てたかによっては、僕の首がブッ飛ぶ可能性がある。

「……院内ではお静かにお願いいたします…」

 うっわぁ…スッゲェ引き攣った笑顔だなぁ。やめてくれ。

「右手に見えます『四〇五号室』が原山様の病室でございます…それでは私はこの辺りで失礼します」

「おっ…おう…ありがとうございました」

 看護師はそそくさと立ち去り、病室の純白の引き戸のみがそこにあった。

「はぁ〜しんどぉ〜!」

 日々の清掃によって容易く動かせるはずの扉が、錆びれた鉄の門のように重たく感じる。

「失礼します、原山 円香さんですね?」

「私、刑事の高田と申します……石寺 蛍さんについて、貴女にお話ししなければならないことがあります…」

 いくらヘタレの僕でも、やれる時はやるのだ。きちっと入室の挨拶を決めてみせた。けど……まぁ流石に怯えるよねぇ〜

 少女は、原山 円香はひどく怯えた様子だ。それにしてもちっさいなぁ〜ほんとに高校生か? 小学生って言われたら簡単に騙されちゃうよ?

「こほん…それではまず、石寺さんは既に自殺しています…」

「遺体はまだ見つかっていませんが、遺書があったことと、現場の岩場に彼女の靴が揃えて置かれていたことから、間違いないでしょう…」

 『……うわぁぁ…もぉぉん! 個人的には泣かれるのが一番面倒くさいんだよぉ〜』ってなるかと覚悟してたが、意外とこの娘は強かなのかも。『やっぱりだったか』とでも言わんばかりの表情をしている。案外平気そうだ。

「じゃ、遺品の口紅を預かっているから渡しと…預かっていますのでお渡しします」

 封筒の中から口紅と思しきソレを取り出し、少女に手渡す。

「もう調べ尽くしたので、指紋とかは特に気にしなくても結構です」

 こういう配慮ができる男はモテるとヨシダも言っていた。まぁ今したって僕のモテ期が到来するワケじゃないんだけど。

 少女は口紅を眺め、ぎゅっと抱きしめると、少しばかり目元を濡らした。その表情は悲しみや怒りとそれ以外の感情とが混ざり合った複雑な色をしている。

「次に、石寺さんの車にて、貴女と一緒に見つかった遺書をお渡しします…」

「こちらも口紅同様もう我々は回収しないのでご自由にどうぞ」

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