第19話 笑顔の君に花束を






「じゃあ、最終面接は上手くいったんだ。よかったよかった」

「はい。終始和やかな感じで、準備してたこともきちんと話せました」


 新宿にある喫茶店、そこに俺と野村遙香はいた。


 彼女とこの店に来るのは三回目になる。俺は嬉しそうに話す彼女を微笑ましく見ながら、紅茶の入ったグラスを傾ける。


 彼女は昨日、一つ目の最終面接を受けてきたらしい。最後に連絡を取ったときは、メールの文面からでも緊張が伝わってきた。俺はとにかく「やってきたことをするだけ」と伝え、彼女もそれを実践したらしい。この様子を見るに、それが上手く効いたようだ。


(しかしここまで笑顔で来るとはね)


 余程会心の出来だったのだろうか。それとも、雰囲気から察せられるものがあったのだろうか。いずれにせよ、面接の後にこれだけ機嫌が良かったのだから、相当に好感触だったのだろう。


(あんまり期待しすぎるなと言いたいところだが……。まあもう一つの面接も明日だからな。ここは下手に言うより、自信をもったまま突き進んでもらおう)


 彼女は嬉しそうにケーキを頬張っている。俺はどこか呑気にも見える彼女を見ながら、そんな風に考えた。


 慢心は問題だが、自信の欠如は大問題だ。これまでの彼女を鑑みれば、多少自信過剰で向かうぐらいで丁度良い。


「そういえば、企業からの連絡はいつ来るの?」

「えっと、一週間程度を目安って言ってました。多分、来週ぐらいじゃないですかね?」


 俺は「なるほどね」とだけ言って、再び紅茶を流し込む。外は暑く、クーラーの効いた部屋で飲む冷たい液体が、俺の体温をぐっと下げている。まだ乾ききっていない汗が冷たい風で更に熱を奪い、俺は少しだけ身震いをした。


(これで決まってくれると良いんだが……)


 ふとガラス越しに見える外の景色に視線を移す。日は長くなり、仕事が終わった後のこの時間でも、十分すぎるほどに西日がアスファルトを熱している。


 もう完全に夏といえる季節だ。できるだけ良い企業に入っては欲しいというのは前提ではあるが、できることなら彼女には、夏の間で就活を終えて欲しい。俺はそう思っている。


 夏休みがあけてからも就活するのは、精神的にキツいところもあるだろう。企業に断られ続ければいずれ精神がもたなくなるのは自明のことだ。彼女は明るく振る舞っているが、それは無理してそう振る舞っている部分もあるだろう。その痛みは十分すぎる程に察することができる。


(恥ずかしさから友達とかとも疎遠になるだろうしな。できるだけ早く決まるのに越したことはない)


 大学生活の最後の一年は、モラトリアムの最後の一年でもある。社会人になってからは遊ぶ機会も体力も減る。社会人になってから振り返ってみると、学生時代が如何に貴重な時間だったかを痛感できる。だからこそ、その時間も大切にしてほしい。


「そういえば石田さん」


 彼女に声をかけられて、ふと現実に帰ってくる。彼女は少し不思議そうにこちらを見ている。


「ごめん。それで?」

「もう、ちゃんと聞いててくださいよ」


 彼女がわざとらしく怒った振りをする。俺は「ごめん、ごめん」と謝り、先を促す。


「石田さんってどうして公務員やろうと思ったんですか?」

「えっ?」


 思いがけない質問に、俺はつい口ごもってしまう。当時あれだけ練習したはずの志望理由だったのに、今は全くと言って良いほど口から出てこなかった。


「そう言われてみれば、何でだろうね」

「えー、そんなんでいいんですか?」

「そんなもんだよ。どうせ当時だって、それっぽいことを言ってただけだ」


 俺はそういう風に話しながら、本当の理由を思い出そうとしていた。きっとそれは、もの凄く俗っぽい理由だったのだろう。ステータスになるとか、安定しているとか、給料がいいとか、女性にモテるとか……。


(まったく、何目線から彼女を指導できるんだろうな。俺は)


 しかしそれも振り返ってから分かることだ。そしてそれを知ると、あの当時随分と大人に見えた面接官も、よくよく考えてみればたいしたことの無い自分たちと同レベルの人間だと理解できる。


 だから彼女も今はその時期なのだろう。ぶつかり、傷つき、悩み、そして後から、たいしたこと無いものだと知ることになる。俺のかつての黒歴史達も、当時ほど悩んでいる訳ではない。


「ま、とにかく自分のベストを尽くすことだけ頑張って。後はもう、運に任せよう」

「もー、石田さん。最近ちょっとてきとうじゃ無いですか?」

「そんなことないよ。きちんと考えてる」

「えー、ホントですかね?」


 彼女がまたわざとらしく怒ってみせる。そんな様子はどこか可愛らしく、そしてとても愛らしく見えた。











「石田さん、この前の件なんですけど」

「ああ。あれならこの前電話入れたときに話しておいたよ。担当からメール入れるって伝えてあるから、後で田辺の方からメールしてくれ」

「ありがとうございます」


 俺が田辺にそう答えると、田辺は自分の席へと戻っていく。相変わらずの省エネ主義だが、話しやすくなったことで業務がかなり回るようになった。


(それでもけっこう俺が仕事持ってるけどな)


 俺はそんなことを考えながら雑務と言えるような仕事をまた一つ片付けていく。


 社会人をやっていれば誰だって面倒で意味があるのかも分からないような仕事が降ってくる時が来る。しかしそんな仕事も、愚痴言いながらできるかで大分変わるのだ。少なくとも田辺に対して不満を抱くことは少なくなった。


(まあ結局俺がほとんど処理している事実は変わらないがな)


 俺は着実に仕事を進め、また一つ今日やるべきことを片付けていく。


(そういえばそろそろ最終面接の時間かな)


 俺は腕時計に目を落とす。13時35分。14時からと言っていたから、今丁度待っているような時間だろう。おそらく、一番緊張する時間だ。


(スマホを見る余裕があるかは分からないが、激励の言葉でも送ってやるか)


 そんなことを考えながら、俺はスマホを取り出す。そして丁度そのタイミングで、通知が入った。


『面接、落ちちゃいました』


 いくらか文章が続いているのだろうが、ポップアップの通知だけでは、それ以上が分からない。


 ただ野村遙香の名前で、そう確かに書いてあった。




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