第18話 ダサい記憶に花束を
「好きです。付き合ってください!」
自分が初めて告白したのは、確か中学生の頃だったと思う。あの時は心臓があまりにも強く動き、破裂してしまうのでは無いかと心配になるほどであった。
相手は同じ委員会に入っていた子で、テニス部に入っている可愛らしいポニーテールが特徴的な女の子だった。一番人気といったタイプではないが、一定数にモテてはいる。そんな感じの子だ。
ちなみにその告白はあっさりと振られ、ほろ苦い記憶となっている。今でも時々思い出して、夜ベッドで悶えたりもする。
だが、それでも、告白したこと自体をトラウマや封じ込めたい記憶として捉えてはいない。それはその後の人生で彼女ができたことや上手くいったことがあるからとも言えるが、何よりも確かなことがあるからだ。
自分は確かに行動した。その事実は俺にとって、確かな財産だったのだ。
(さて、どのタイミングで言ったものかね)
定時を少し回った頃、俺はキーボードを打つ手を一時的に止めて、背もたれに体重を預ける。彼女がまだ職場に残っていることはさっき確認したし、そもそも比較的遅くまで仕事しているタイプであることを俺は重々承知していた。
(なんなら業務内容まで把握して、忙しさとかスケジュールとか予想してたからな……。考えれば考えるほど気持ち悪いな、俺)
そんな風に考えながら、少しだけ口元が緩む。この前まで自己嫌悪でボロボロに崩れそうだった自分が、どこか懐かしく思えていた。
(とはいえ、できれば誰もいないタイミングがいいことは確かだな。雑談がてら言えるのがベストだが)
俺はそんな風に考えながら、どうしたものかと考える。わざわざ席にいってまで話すことなのかと聞かれると、若干微妙な節がある。それに今俺が仕事している席からは彼女の様子を確認することができない。忙しいところに話しかけに行くのも、少し憚られてしまった。
「お先、失礼します」
田辺が荷物をまとめて、席を立つ。今までは挨拶さえ碌にしていなかった奴だが、最近は帰るときぐらいは挨拶している。そんな変化を誰がどの程度認識しているか分からないが。
俺の席は彼が廊下に出て行く際の通り道になっている。これまでは素通りが多かったが、あの飲み以降は、俺は彼が通る際に「お疲れ」とだけ言うようになった。
すると田辺が不意に立ち止まる。
「石田さん、まだ帰らないんですか?珍しいですね」
「ん?まあ、ちょっと立て込んでてな」
田辺は分かったような、分からないような顔をする。まあ、どう見ても忙しそうじゃないし、業務内容的にもそこまで忙しい時期じゃ無いことは田辺もよく分かっている。ただ『だからといって詮索する必要も無い』と言った感じだろうか。どこか興味なさげだ。
「まあ、お疲れ様です」
田辺はそう言ってまた歩きだす。無愛想な奴だ。その辺はこれから教育しなければならん。俺は冗談交じりでそんなことを考えていたが、おかげで身体に入っていた力が少しだけ抜けた気がした。
彼がどこまで察したかは知らない。だが、なんとなくエールをもらった。そんな気がしていた。
(まあ鈍いアイツのことだ。何も感づいてはいないだろうが)
別に何か感づかれて困るものではない。ちょっとばかし一ヶ月遅れの祝いの言葉を贈るだけのことだ。周りからすれば、寧ろ必要なのかと思うような些細なこと。だが、俺にとっては大事なことだ。
(てか、そんなあいつにさえ俺の気持ちが悟られてたのか。やべ、急に恥ずかしくなってきた……)
俺は頭を抱える。実際のところ田辺がそうした事実を知ることになったのは女性職員の噂話からであり、決して自ら気付いていたわけではなかったのだが、それを俺が知るのはずっと後のことだ。
(あー、クソ。なんでこんなことに俺が悩んでるんだ。どうする?明日にするか?でも先延ばしにしたらずっと悩むはめに……)
俺は額をこつこつと叩きながら、少しばかり考える。だが、もう考えていても埒があかなかった。
(行くしかないだろ。もう)
俺は席を立った。
大木彩花、俺が恋に身を焦がした彼女は、俺と同じフロアで働いている。とはいえ、フロアは広く南北に延びており、彼女がいるのはかなり離れた場所だった。忙しいのか、声かけられそうなのか、そういった様子は遠目で見て判断するしかない。
(あの頃は何も考えず、声かけに行ったっけ)
話しかけたくて、声をかけたくて。特に用も無いのに、何か聞きにいったりして。旅行の帰りに必ずお土産を買ってくるようになったのもきっと無関係では無い。
(やべ、恥ずかしくて死にたくなってきた……)
俺はつい恥ずかしい記憶を思い起こし、軽く目頭を押さえる。悶えるような黒歴史は、いくつになっても増えていくみたいだ。
(彼女の席は……と)
遠くに働いている彼女が視界に入ってくる。何度も見た光景、見た姿だ。しかし今では見る印象が大分異なっている。俺は少しばかり心臓が締め付けられる気がした。
『なんとなく忙しそうだ』。俺の頭の中で、話しかけない言い訳が生成される。だが、それに従うことはできない。従うわけにはいかない。
(たく、何をビビってるんだが)
俺は足を進める。これまで何回も声をかけてきたから、だろうか。俺はまるで身体が自動化されているかのように、彼女に話しかけていた。
「お疲れ様です」
「お疲れ……って、石田さん?!」
彼女は少し驚いたように此方を見る。だが、嫌われてはいなそうだ。俺の中で空気が抜けていく。
「どうしたんですか?珍しいですね」
「別に。仕事が一段落してたまたま見かけたんで声かけちゃいました」
俺は笑って答える。何の理由なんていらない。話しかけるのにも、祝うのにも。
「どうですか。業務の方は?」
「もう大変。この間なんか……」
俺の問いかけに、彼女は話し始める。かつてと同じように、変わらない日常会話。彼女にとっては、何も変わらないのだろう。
呼吸が浅くなる。あの子、野村遙香が言っていたことはどこまで事実になり得るんだろうか。この人が俺を少なからず想っていてくれたその可能性。それはどこまであったのだろうか。俺は知りたくてたまらなかった。
(くそっ。知ってどうするって言うんだ……)
俺は軽く唇をかむ。終わったことを認められない、どこまでも情けない自分が中にいる。彼女を見るだけで、それが痛いほどよく分かった。
「そういえば、石田さんはどうしたの?」
「あ、いや。ちょっと……」
未練がましい自分に、決別する。そのためにさっさと離れたくてはならない。分かってはいるが、それができない。未練が俺をそうさせない。
この雑談に心地よさを感じている自分に腹が立つ。頭の指令に、心が反発する。昨日決意したときは、こんなはずではなかった。だが、認めなくてはならない。俺は今でも……。
その時だった。
(あれ?)
不意に彼女の、野村遙香の顔が思い浮かぶ。昨日ファミレスで食べたときの顔だ。不思議と、良く覚えていた。
大木さんが不思議そうに此方を見ている。俺は軽く一呼吸入れる。。
「そういえば大木さん、ご結婚おめでとうございます。……ちょっと遅くなっちゃいましたが」
彼女はさらにきょとんとした顔で、ぼんやりとこちらを見ていた。別に告白をしているわけではないが、どことなく中学の初めての告白を思い出した。ほろ苦い記憶。忘れがたい記憶だった。
「へ?ああ。話してなかったっけ。もう一ヶ月くらい前だけどね」
「まあ僕ももう少し前に知ったんですが、タイミング逃しちゃって」
俺は軽く照れ笑いをしながら答える。彼女も同じように、思いがけない言葉に照れくさそうに笑っていた。それはどこか嬉しそうで、どこか気恥ずかしそうで。
その後の俺は笑いながら、聞きたくもなく、知りたくもない話を聞いた。相手の話や、どれくらい付き合っていたのか等。心臓が細い糸で縛り付けられているような気がした。
俺はうまく笑えているだろうか。きっと少しばかりぎこちなくはあるだろう。
ああ。いつもそうだ。俺はダサい。その事実を認められずにいた。でも、今は少しだけ認められる。
心の成長とかじゃない。きっと心なんてそう簡単に成長はしないのだ。ただ、そんな自分を認めてくれた人がいた。それだけのことで、それだけで十分だった。
人は人を必要とする。頭ではなく、心で。
「それじゃ、これで」
「あっ」
彼女は何か言いかけたようだったが、それに付き合ってやる義理もない。今は自分の弱さを認め、きちんと彼女から離れるべきだ。友人でも同僚でもなく、もっと遠い距離へ。
そしていつか心の整理がついた頃に、彼女と話せる日が来るだろう。それはいつになるかは分からない。もしかしたらそんな日は来ないかもしれない。だが、それならそれでいい。
初めての告白のことだって、結局今でも忘れない。いつか忘れる日が来るかもと思っていたが、結局今になってもその日はやって来なかった。きっと、これからも彼女とのやりとりを思い出して頭を抱えるのだろう。
だが、それでよかった。
今日のこともきっと忘れることはないのだろう。中学の告白も、今日の事も。これまでのことも、明日のことも。どれもが俺を作っていく。俺の血肉そのものなのだ。
(まったく、ダサいな俺は。……いや、)
そう考えるのは止めにしよう。
「そんなことはない」。そう言ってくれた人がいるのだから。
(そういえば彼女の就活はどうなっただろうか)
具体的な日程は聞いていないが、そろそろ最終面接があるはずだ。彼女が受かった際には、盛大に祝ってやろう。俺はどう祝うか考える。
きっと前よりずっと胸を張って祝うことができる。そんな気がしていた。
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