第13話 回る自分に花束を




 俺は一体何がしたいんだろうか。


 自分の中にぐるぐると回り続ける問いが、都度都度自分に降りかかってくる。どうすればいいのか、それがどうしても分からない。


「課長、明日のレクですけど……」


 俺はいつも通り仕事を進めていく。


 いつも通り。いつも通りだ。何も変わらないし、別に仕事だってこなせている。ただ気を抜いたときにふと現れる自分への問いが、その時に自分を苦しめるだけだ。それも、仕事が手に付かなくなるわけじゃない。


(これが終われば、一応今日片付けなきゃいけない仕事は終わりになるな)


 俺は壁に掛かっている時計を見る。時間は19時を回ったところだった。


 オフィスにいる職員は減っているが、まだ残っている人は十分にいる。切り上げても良いが、明日の分を軽くしてもいいとも考えた。


 そしてそんなことを考えていれば、また自分の中で問いが浮かぶ。一体何がしたいのか。何をしているのか。そんな風に自然と問いが浮かんでくる。俺は雑念を消すべく、とりあえず今ある仕事に取りかかった。








 そして気がつけば21時を回っていた。俺は大きく伸びをして、軽く周囲を見渡していく。


 職員の数も随分と減っていた。残っているのは一部の管理職と、議会や予算周りの対応が必要な職員達といったところだろう。そのどちらでもない人間が残っているのは、少々居心地の悪さがある。


(そろそろ帰るか)


 そんな風に考えて一旦席を立つ。仕事をやっている間だけ雑念が振り払える。俺はどこか職場を離れることにいくらかの抵抗さえ感じていた。


「石田さん」

「っ!?」


 廊下に出たところで不意に声をかけられる。振り返るとそこには明るく微笑む女性がいた。


「なんだ大森さんか。ちょっとびっくりしたよ」

「そうですか?普通に声かけたんですけど」


 彼女はそう言ってまたニコッと笑う。この笑顔にやられる職員も少なくはないだろう。そして勘違いする職員も。


「ずいぶん遅いね。何かあったの?」


 俺が聞いてみる。


「ちょっとうちの担当で急な案件が入っちゃって。石田さんはどうしたんですか?」

「いや、別に。うちは普段からこんなもん」


「いつもしっちゃかめっちゃかだよ」と言って肩をすくめてみせる。


 実際そうだ。今の上司は自分の仕事は割とできるが、人の管理ができるタイプじゃない。『兵士としては優秀だが、指揮官としては無能』、そんな上司は別に珍しくはない。


 そして下の職員も、田辺をはじめみんなどっこいだ。頑張ることが大事だと思って、仕事の成果を考えていない。効率とか大局的視野なんてものはないそれなりにできる兵隊アリ。だから全体として回っていかない。……まあ、その中に俺も含まれているのだが。


「石田さん、そういえばあの件、ありがとうございました」

「あの件?」


 俺が聞き返すと彼女は軽く周囲を見渡す。そして誰かがいないことを確認すると、声のトーンを落として話し出す。


「田辺さんの件です」


 彼女の言葉に、俺はすこしだけドキッとする。一瞬はっきりと話してしまったことがバレたのかと思ったからだ。だが、少し話を聞いてみると様子は違っていた。


「石田さんがうまく話してくださったんですよね。ここ最近、連絡が来なくなったので」

「そうなのか。良かったね」


 俺はとりあえずの相槌を打っておく。何もしていないと言えば、嘘になる。だが、何をしたかと聞かれれば困ることになるのは間違いなかった。


「でも助かりました。正直結構困ってましたし、かといって変な感じになったら仕事でも支障出ちゃうんで」


「なんだかんだときどき仕事で関わりますし」。そう言う彼女を見ながら、俺は何を感じていたのだろうか。


 それは女性にとって当然のリアクションなのだろうか。そんなことを考えてもしょうがないことは分かっている。だが、そうなのだとしたら、俺も同様に惨めだ。


(まあ、いいか。これにて一件落着って事で)


 俺はそんな風に自分に言い聞かせる。「これでよかったんだ」「あとは時間が解決してくれる」と。そうであることを願って。


 しかし何故だろうか。何一つすっきりしない。田辺と重なるような、情けない自分の姿が心に残っているのは自覚している。だがそれ以上に、すっきりしないものがあった。


 このままではさらに自己嫌悪に陥ってしまう。はっきりとはしないが、確信があった。


(ああ、もう。俺は一体何がしたいんだ)


 黙って拳を握りしめる。大森さんが不思議そうにこちらを見ていたが、それさえもどうでも良く感じていた。


「石田さん?」


 彼女が声をかけてくる。


 うるさい。話しかけるな。素直にそう思った。


「まあ、何にせよ解決したならよかったよ」


 俺はそうとだけ言ってその場を離れることにする。少し挙動不審だったかもしれないが、そんなことはもうどうでもよかった。


(どいつもこいつも自分勝手だ)


 どす黒い感情が頭を巡っていく。それはもはや身体全身に周り、体中が嫌悪感を示していた。


(周りも気にせず、他人のために働かず、それでいて美女も手に入ると思っている後輩)


 足を進める。


(できるだけ男に勘違いさせて、男がよってきたらきたで、別の男を使う。それでいて自分では手を汚さない女)


 ひったくるように鞄を机の下から引きずり出す。


(はっきりした態度をとらずに何年もその気にさせ続け、あげくに付き合っているといった話もしないままに結婚する女)


 エレベーターのボタンを押す。エレベーターは中々来ない。イライラしてボタンを連打した。


(そして……)


 エレベーターがやってくる。この時間になっても、ある程度人はいる。楽しそうに話している男女を横目に、エレベーターの手前側に乗り込んだ。


(そして、それを逆恨みして、勝手に苛立ち、自分に失望している……俺もだ)


 二人組が途中の階で降りていく。俺はひとりぼっちになったエレベーターで、壁にもたれかかりながら閉めるボタンを押した。


 辛く、虚しかった。するべきことは分かっている。


『切り替えて次へ行け』。それが答えだと知りながら、一向に前には進めない。ありとあらゆる知識と理論を、受け入れることができなかった。


 俺はポケットからスマホを取り出し、画面を点ける。かつては連絡が来ているかもと心を躍らせて開いていたものだが、あの指輪を見た日から必要最低限すら開かない時期が続いていた。


 期待し、心を躍らせていた自分を思い出してしまうからだ。


 だが最近はそうでもない。むしろ積極的に開いてすらいる。彼女からの連絡を見逃さないようにするために。


 そしてそこに、一件の通知が入っていることに気が付いた。


『野村遙香』。彼女の名前を見たとき少しだけ肩の力が抜けた気がした。





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