第12話 立ち止まる自分に花束を





 何日かが過ぎた。時は動きを止めることなく、ただ淡々と過ぎていく。


 あれから何かを話したわけではない。元々、あいつとはそんなに話をする間柄でもない。表面上はまるで何もなかったかのように、俺達は仕事をしていた。


(まあ、あと半年もすればどっちかは異動になるだろう)


 俺はただ心を無にして、目の前の仕事をこなしていった。


「今日、田辺さんすごく課長に怒られてましたね」

「いつもの事といえばそうだけど」


 たまたま田辺が席を立ったときだろう。女性職員がそんな噂話をしていた。


 元々あいつはそんなに職場の人間関係に頓着のある奴じゃない。人の仕事を積極的に手伝うこともないし、ましてや飲み会に参加するタイプでも。


 いや、今思うと時々参加している姿を見た気もする。だがそれはきっと、何かしらの打算があってのことだろう。その気持ちは、俺には痛いほどよく分かる。


(なんだかな)


 俺は席を立ち、気分転換がてらトイレに向かう。さっき行ったばかりではあるが、どうも居心地が良くなかった。


 その日の仕事は、なんだかあまり進みが良くなかった。











「石田さん、お疲れ様です」


 画面の向こうで野村遙香が気持ちよく挨拶をしてくれる。俺はできるだけ愛想良く挨拶を返したが、彼女はすぐに異変を察知していた。


「石田さん、元気ないですね?何かありました?」

「あ、いや。何でも無いよ」


 勘の良い子だ。いや、それとも誰にでも分かるくらいには俺が変だったのだろうか。あの人に振られてから、いや正確には振られてすらいないが、あれからはとにかく自分の客観視には自信が無い。


「とにかく、今は君の就活だ。エントリーシートはどうなった?」


 俺は話を逸らすべく本題へと移る。彼女は少しだけ間を置いたが、すぐに切り替えて状況の説明を始めた。


「……とまあこんな感じで、おかげさまで選考は進んでいます。それ以外に新しいところも引き続き受けてます」

「うん。良いと思う。今進めているところのどこかに入れるのが一番だけど、それが必ずしも通るとは限らないからね」


 俺はそう言いながら彼女が受けている企業を今一度確認する。


 確かにどこかしらに就職しなければならない。それは事実だ。だが、仮に今彼女が受けている企業に落ちたとき、残っているところが数段落ちるということもまた事実だった。


(人気や大きさだけで企業の優劣は付けられない。だが……)


 俺は口コミ等も確認する。


 どこに入っても、彼女はやっていけるだろう。それでも、報われて欲しいという気持ちは間違いなくあった。


「でも、石田さんが色々調べてくれたお陰で、ぐんと選択肢が増えました」

「そうか?」

「はい。きっとあのままでしたら、私、何も考えられなくて選考にも応募すらできませんでした。そしたらもっともっと条件も悪くなって……。とにかく、あそこですぐ立ち直れたことは石田さんのお陰です」


 彼女は嬉しそうに笑いながら言う。


 確かにそうだ。だが、彼女の就職活動を手伝うことで、職場の下らない諸々を忘れる事ができていることも事実だ。


 これらの経験に価値はない。それに意味も。


 だから忘れるべきなのだ。一刻も早く、切り替えて……。



『大木さんが結婚しちゃって、それで相手を変えたんですか?』



「っ……!?」


 俺は少し強めに息をはく。忘れろ。忘れろ。しかしそう思えば思うほどに、その幻影は消えなかった。


(分かってはいたことだが……)


 俺の好意は、周りから見てもあからさまだったのだろう。俺は本当に救いようがない。そしてあまつさえ、それを覆い隠すために、田辺に刃を突き立てた。


 俺と同じ、誰にも触れられたくないその生傷へ。


「石田さん?」

「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」

「あ、いや。そうじゃなくて」


「大丈夫ですか?」。彼女がそう聞いてくる。


 俺は「ごめん。ちょっと疲れてたかも」とだけ答えた。















「……最悪だ」


 俺は寝不足でひどいクマをつけた自分の姿を確認しながら、職場のトイレで顔を洗う。


(今が丁度誰もいないタイミングで助かったな。流石に人がいるところで顔洗うのも憚られる)


 俺はそんなことを考えながらどうにかこの覇気の無い顔をマシにできないかと考える。だがそんなものは一時しのぎに過ぎないのは自分でも分かっていた。


 最近また寝付きが悪くなった。別に医者にいくほどじゃないが、最近はよくて5時間程度しか寝れていない。


(いや、十分問題なんだろうが……)


 だとして、医者に言って何と説明するのか。「好きな人に振られたから」とでも説明するか?馬鹿らしい。そもそも振られる段階にすらたどり着けていないのだ。女々しくてとてもじゃないが言えたもんじゃない。


(まったく、俺って奴は……)


 壁にもたれながら、軽く首をさする。


 あのとき、俺は何を最初に感じたんだろうか。


 ダサい自分への憐憫か、はたまた失望か。いや、そのどちらでもないだろう。


 最初に思ったのは、どうして好きだと伝えなかったのかということだった。無理にでも思いは伝えておくべきだった。


 確かに分は悪かった。でもチャンスがないわけでもなかった。……いや、それは自分に甘すぎるか。きっと強くアタックしても、十中八九振られていた。


 だが、それでもずっとマシなはずだ。挑戦して負けたことと、それすら許されなかったこと、そこには雲泥の差がある。


 俺は田辺を笑えない。むしろ田辺の方がしっかりと意思表示をしている。結果として断られていたかもしれないが、口説くのが下手だったのかもしれないが。それでも、奴はきちんと挑戦していた。


 それに比べて俺はどうだ。時間ばかりかけて、一体何をやっていたんだ。彼女はその間に、人生の選択を進めたというのに。


(まったく、俺って奴は……)


 同じ感情が繰り返される。


 自分がダラダラと家でゲームして、ぼーっとスマホ見てる間に、みんなは人生の選択を進めていく。


 年齢も上がってきた。もう三十になる。高校の部活の同期は、もう半分が結婚している。


 周りが変わり始めてきた。俺だけは何も変わっていない。


 成長しようなどといっちょ前に考え、自己啓発本をよく読んでいた。


 確かに仕事ができるようにはなった。だが、自分は頭がいいのだと驕り高ぶってもいた。


 それが自分に跳ね返ってくる。仕事はできても、人生の進め方を知らなかった。


「何か変えられるんじゃないか」


「何も変わっていなかった?」


「同じところにを回っていた?」


 何を問いかけてみても、答えは出ない。いや、本当は気付いているのかもしれない。そこに何もなくて、時間だけが過ぎていたことに。成長や学びなどなく、ただ無為に過ぎていたことに。


 自分のことさえ客観視できていない。俺はどの口で、田辺を貶め、彼女に就活の指導なぞしているのだろうか。


 いつまでもぐるぐると、同じ所を回っていた。


「まずい、もう時間だ」


 俺は鞄を手に取り、いつもの電車へと向かうべく、玄関の扉を開けた。

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