第14話 ダサい自分に花束を
「すいません。お時間いただいちゃって」
「いや、全然。大丈夫だよ」
新宿のとあるカフェ。そこに俺と彼女、野村遙香がいた。彼女とは何度もウェブ上で話してはいたが、実際に会うのはこれで三度目になる。
どうも近くで選考があったらしい。それで時間があればといった形で、彼女から連絡があった。
(前と同じカフェだが、今目の前にしている彼女は、同じ人間とは思えないな)
人は自分の思う自分になる。それは心理学的にも正しいし、実感としてもそうだと感じていた。
かつての彼女は、吹けば今にも消えてしまいそうであった。自信は粉砕、自尊心は破壊され、残っていたのは自分への失望、憐憫、そして絶望だっただろう。それはいとも容易く見て取ることができた。
そしてそんな彼女を雇う企業がいるだろうか。いや、いないはずだ。
自らに自信の無い人間は、その所作や発する言葉の節々にそれが出る。そして人間はそれを敏感に察知し、無意識下で“できない人間”であると判断する。
そしてそうなれば、評価などされるはずがない。
だが今の彼女はどうだろうか。前を向き、一生懸命に足を進めている。自信を取り戻したその表情は、見る人の印象を変えるだろう。少なくとも、今の彼女を欲しがらないほど社会の人材は豊富ではない。
(それに比べて……)
「何をやっているんだろうか」。俺は出かかった言葉を飲み込んでいく。ふと気を抜けば、どこまでも負の感情が増大してきた。
考えないようにしよう。悪い考えが更に自分を貶めていく。自分は自分が思っている自分になってしまうのだから。
「それで」
俺が話を切り出す。
「見てもらいたいエントリーシートって?」
「あっ、そうでした。すいません、急にお願いしてしまって……。あ、せめてここのお代は私に払わせてください!」
彼女はそう言いながら、俺にA4何枚かの用紙を渡してくる。俺はそれを受け取りながら、「だとしても学生に払わせられないよ」とだけ返した。
(ふむ。全然悩むような内容じゃないが)
これまで何度も添削はしてきたし、特に他の企業と異なっているポイントもない。よくある自己PRや志望動機、その他これまでにやってきたことなどだ。
(これならあえて直接会わなくても大丈夫そうだが……)
俺はとりあえず幾つかの点を確認して、添削を終えた。修正点は些末な言い回し程度であり、やはり大きな変更点はなかった。
「ここは好みだけど、こういう言い方の方が丁寧かな。あとは聞かれるであろうことをメモしたから、練習しておこう」
「はい!ありがとうございます」
彼女はそう言って用紙を受け取る。そして一通り確認すると、すぐに鞄にしまった。
俺は頼んだ紅茶を飲みながら、ぼーっと彼女の様子を観察する。彼女は少しだけ緊張した様子で、注文したアイスコーヒーを飲んでいた。
(どうしたんだ?)
俺がそんな風に不思議がっていると、唐突に彼女は話し始めた。
「あのっ!」
「ん?」
彼女はそれだけ言うと、また少し黙ってしまう。そして何度か俺の方を確認してから、再び話し始めた。
「石田さん、最近何かあったんですか?」
「え?」
思いがけない言葉に、俺の方も言葉がつまってしまう。一体何のことだかはわからなかったが、何もないということはなかった。
(むしろずっと何か引きずってたわけだが……)
俺は彼女を見る。彼女の真剣な眼差しが、まっすぐ俺を貫いていた。
「何かって聞かれると答えづらいけど、何か変だったかな?」
俺はちょっとおどけた感じで聞き返してみる。
「いえ、変って事はないですが……」
彼女も合わせて笑ってくれたが、目は笑っていない。それどころか、はっきりと俺の方を見て、話を続けた。
「この前、添削してもらったとき。石田さん、どこか元気なかったように感じて……」
「そ、そうかな?」
「はい。明らかに様子が変でしたので……。あ、別にプライベートのことだったら全然話さなくて大丈夫なんで!」
彼女は両手を振りながら、遠慮がちに言う。しかしその後に「でも」と続けた。
「でも、私に聴けることであれば、話してください。私は石田さんにそう言われて、そして救われましたので」
「…………」
俺は少しだけ黙って、いくらか考えを巡らせた。自分のことを、7つも8つも違う少女に話して何になるのかと。俺の理性は問いかけていた。
「いや本当になんでもないんだ」。そう言うこともできたし、いつもならそう言っていただろう。
だが何故だろうか。俺は話し始めていた。
「実は、好きだった人が結婚してね」
俺は諸々説明した。
二年間片思いし続けていたこと。一緒に帰ったことや話したこと。赤裸々に、聞かれてもいないことさえも。
何のことはない。俺は誰かに話したかったのだ。彼女はただ黙って聞いている。
「好きだった。どうしようもなく好きだった」
「よく一緒に帰ったりしてね。いつか結ばれると思ってた。それが独りよがりだったんだ」
「自分が客観的にみてどうなっているのかもよく分からなかった。止まらなかった。俺はいい歳して中学生みたいな恋をするオヤジが本当に気持ち悪いしダサいと思っていた。でも蓋を開けてみれば俺の方がよっぽどダサかった。俺が内心見下していた連中の方が、ずっとずっと立派だった」
「かっこつけて。中途半端で、結局何もできていない。そんな自分が本当に腹立たしかった。いや、違うな。怒りというより、失望だ。そんな自分に心の底から失望しているんだ」
「上手くやれている気がしていた。本当は上手くやれていると思い込んでいただけだった」
俺はできる限り言語化して、自分の事を表現した。みっともなく、ダサくて、情けない自分を。本来ならば見せるべきでない、自分の醜態を。
だが、もうどうでも良かったのだ。どうせ元々よく分かんない縁で手伝っていただけで。いざとなれば連絡を取らなければ良い。だから、どう思われようが知ったことではない。むしろ自分の気持ちを吐露する相手になってもらおう。
俺はそんな風に考えていた。
その時までは。
「……違います」
俺が一通り話し終え、紅茶を口にしたとき、ずっと黙っていた彼女は口を開く。
「……それは悪くないです」
声が小さく、イマイチききとれなかったが、悪くないの部分だけ聞き取れた。
「そうだ。彼女は何も悪くない。悪いのは俺。勝手に期待した俺だ」
俺がそう言ったとき、彼女は顔を上げた。
「そんな事ありません!」
彼女ははっきりとそう答え、俺の方を見る。思いがけない大きな声に、俺はついとまどってしまう。しかし彼女は話を続けていた。
「石田さんは、悪くないんです!」
さらに少しだけトーンを落として続ける。
「女性は……そういうことには敏感です。それだけ石田さんが好きに思ってたら、絶対にその人も気づいています。気づいたうえで仲良くしてたんです」
「……」
彼女の言葉は止まらない。
「就活と同じです。最後まで悩んでたんです。どっちの人と一緒に歩くのか。これからの長い時間をどこで使っていくのかを」
「どうだろうな。相手はずっと付き合ってた男だ」
「だとしてもです!」
俺の言葉に、彼女は強く返す。まっすぐ俺の方を見て、絶対にその言葉だけは曲げないとばかりに。
「それだけ石田さんは魅力的だったんです!それに、私の先輩で長く付き合ってたけど、結局別れた人も知ってます!逆に出会ってすぐに結婚した人で今すっごく幸せそうにしている人も!時間だけが全てじゃないんです!石田さんは何も間違って無いんです!」
「ちょっと、声が大きい……」
俺の言葉が届いていないのか、彼女はさらに続ける。
「言ってくれましたよね。君を選ばないのは君が悪いんじゃない。ただマッチングが合わなかっただけだって。いくらでも会社はあるし、今の時代転職だっていくらでもするって!」
彼女は止まらない。
「その人もそうです!……第一、同僚っていっても年上なんですよね?石田さん、今三十って言いましたか?じゃあ石田さんよりも年上のその人は、石田さんよりもっと早く歳をとっておばさんになります。それでもって、もし仮に結ばれていたとしても、すぐに後悔するんです。『なんでこの人にしたんだろう』って。石田さんを選ばないような人なんだから絶対にそうです!だから、だからもう、忘れて良いんです!面接で落としてきた企業と一緒なんです!」
彼女は感情任せに、どこまでも言葉を紡いでいく。どんどん早口になって、声も大きくなっていく。
思いつきで発せられる言葉と、整理されずに話していく彼女は、どこかたどたどしく、それでいてダサくも見えた。
だが、確かに、その言葉は俺の心に届いていた。
(まいったな)
俺の言葉が返ってくる。でも今度は自分を救ってくれる言葉が。
自分の発した言葉がどこかで返ってくる。そんな迷信じみた考えも俺は信じることができる。頭ではなく、心で。
「……ありがとう」
俺がそう言ったとき、彼女も冷静になったんだろう。つい声が大きくなったことに、恥ずかしそうにしている。
そんな様子を見て、俺はつい笑ってしまう。彼女はそんな様子にはじめは不満げな表情だったが、次第に俺につられて、笑い始めてしまった。
「ありがとう」
俺は一通り笑った後で、あらためてお礼を言う。
「どういたしまして」。彼女は満面の笑みでそう言った。
彼女は俺に救われた。
俺も今、彼女に救われた。
だからやるべきことをやろう。
言わなきゃならない言葉がある。手を差し伸べなきゃならない奴もいる。やることは少なからずあるのだ。止まってばかりもいられない。
俺も一歩を踏み出すとしよう。
まず手始めに救わなくちゃならない奴がいる。
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