第9話 ダサい彼と、過去の自分とに花束を
「石田さん、最近調子良いみたいですね!」
「……え、何?大森さん、怖いんだけど」
思いがけない相手に、思いがけないことを言われるものだ。
俺はそんなことを考えながら、自販機のボタンを押した。
事の発端は自販機に飲み物を買いに行ったときだった。
今日はいつものタンブラーをもってくるのを忘れた。だからしかたがなく給茶機ではなく、席から少し離れた自動販売機まで足を運んでいた。
まあこういった飲み物の購入は、喉を潤すためというよりは気分転換のためといった意味合いも強い。その意味では、遠くの自販機の方が気分転換にはなっている部分もあった。
そしてその結果、同じ部署の後輩にでくわした。
「別に変な意味じゃないですよ。このまえ課長が言ってたんです。『石田を少しは見習え』って」
俺はどう返事をしていいか分からず、「そうか?珍しいこともあるな」とだけ返す。
彼女は俺が照れてると思ったんだろうか。少しだけ楽しそうに笑っている。
彼女の言葉に踊らされるのは癪だが、悪くない気分であることは否定しない。俺はもう少し話を聞いてみることにした。
だがこれはやぶヘビだった。
「ちなみにそれは、誰に言ってたんだ?」
「あっ……。えっと、気になります?」
急に歯切れが悪くなる。瞬時にあまり手放しで喜べるものではないと理解した。
だがここまで聞いて最後まで聞かないのも気持ち悪い。俺は聞くべきではないと理解しつつも、詳細を確かめる事にする。
「気になるな」
「あっ、えっと」
俺の言葉に彼女はすこしばかり口ごもる。しかし黙るわけにもいかないと思ったのか、躊躇いながらも口にした。
「……田辺さんです」
「……なるほどね」
俺はトーンを落として返答する。
どうやら課長は、また件の後輩と揉めたようだ。そしてその時、俺を引き合いに出した。
たまたま面接の練習に付き合うために早く帰っていた日だろう。俺がいなかったことも相まって、課長は俺をダシに、彼に一発浴びせたのだ。
「あー、それはあれだな。引き合いに出して説教するのが目的のヤツだ」
「まあ、それは……そうですね」
すこしだけばつが悪そうにする彼女に、俺はもう少しだけ質問する。
「それで?あいつからは反撃はあったのか?」
「田辺さんですか?無かったと思います。その後すぐ終わってたし。流石に石田さんの名前を出されたら、反論はできないんじゃないですし」
「まさか。俺にそんな効果あるかよ」
「ありますよ、十分。少なくとも石田さんのほうが仕事できますし」
「……そりゃどうも」
勿体ないお言葉だ。だがそれは俺を褒めているというものではないだろう。むしろ彼を低く見ているようにも感じさせた。
彼女にしては珍しい、少し毒のある物言いだ。何かあったのだろうか。
俺はとりあえず自販機のボタンを押してICカードをタッチする。ピピッという音と共に、選んだお茶がガシャガシャと落ちてきた。
「まあとりあえず、情報には感謝するよ」
「え、あっ。別にいいですよ。そんなこと」
俺はそう言ってその場を離れ、歩き出す。するとおもいがけず、彼女に呼び止められた。
「あっ、あの!」
「ん?どうしたの?」
彼女は少しだけ言うかどうかを躊躇った後、言葉を続けた。
「今日の仕事終わりとか、石田さん時間ありますか?」
「え?」
少しだけドキッとした。いつになっても、男は単純だ。予想だにしない誘いでも、瞬時に期待へと変換される。だが多分、これはそういう話じゃない。
(なんだか面倒な予感がする)
俺はそう思った。正直、確信があった。
しかし困っている様子を見せつける彼女の誘いを、うまく断る口実はみつからない。唐突な誘いは断るにも技術がいる。
(色々うまいな。この子は)
俺はそんな風に思いながら、今日の仕事を早く終わらせる算段をつけた。
だがこの判断は間違いだった。
「そんで?何があったの?」
俺達はいつもの帰り道からは少し外れたお店に入って席に着く。まあ、誰かに見られたところでそういう関係じゃないことは別に説明できるが、変な誤解は避けたかった。
「そうですね……とりあえず、飲み物頼みましょう。石田さん、何が良いですか?」
「とりあえず生で」とだけ答えて彼女を見る。彼女はスマホでQRを読み込んで、器用に注文を飛ばしていた。
「じゃあ、話を聞こうか」
「石田さん、けっこうせっかちですね」
「……悪かったな」
俺は適当に相槌をうつ。さっさと終わらせたい気持ちは、実際あることにはあったのだ。
つい最近失恋したばかりだからだろうか。彼女に何か期待することはない。
いや、それはきっと正確ではないだろう。失恋直後だろうと、男は単純で、チャンスがあればすぐに向かっていく。問題は俺がこれを微塵もチャンスだと感じていないことにあるのだ。
俺は前回の失敗に怯えている。彼女とそういった関係になる可能性がゼロでないにしても、男がいる可能性は十二分にある。それを本能的に警戒している。
実際、“あの人”はそうだったのだ。
(勘違いしないことは良いことだ。……雄としては情けない限りだが)
俺は頬杖をつきながらメニュー表をながめる。ここ最近は飲みに行っていなかった。それだけに、この何の変哲も無い居酒屋メニューが少しだけ新鮮に感じられる。
「それで」
俺は一通り注文を終えた段階で再び問いかける。
「何があったんだ?」
大森さんは少しだけ間をあけてから、意を決したように話し始めた。
「田辺さん、わかります?今日話してた」
「ああ」
意外な人物が出てきた。俺はそう思いながら話を聞き続ける。
「実は最近、結構ご飯に誘われてて……」
彼女の言葉に、少しだけ瞳孔が開いた気がした。
心臓が締め付けられる。いや、体中が見えない力で縛られているようだった。身体がぴくりとも動かせない。
「それとなく伝えてるんですけど、あんまり伝わってなくて。どうしたらいいかなって」
彼女が言わんとすることはよくわかった。それに俺に話した理由も。
きっと女性同士なら、自慢みたいになってしまうから嫌なんだろう。もしくは変な噂が立つかもしれないと思ったのかもしれない。彼女のような比較的男性人気の高い女性には、当人なりの苦労はある。
だが俺なら、上手く処理してくれる。そんな算段があったのかもしれない。できないにしても、話を聞いてくれる相手にはなるだろう。
俺のこれまでの仕事の様子や、人当たり、なにより俺のこれまでのイメージから、上手く処理してくれると思ったのかもしれない。
できなくはないだろう。だが、難しい。
そしてそれ以上に、何かが胸につっかえていた。
理由は分からない。いや、分からないはずはないのだ。ただ、目を背けているだけで。
俺もあの人に同じように思われていたのではないかという事実に。
(くそっ……)
息が詰まる。俺は溺れていた。
(とりあえず、ここは話を合わせて穏便に済ませよう)
俺は彼女の話に相槌を入れていく。いつも通りだ。相手に共感を示すのは難しい話ではない。
俺の態度に気をよくしたのか、彼女は話を続けていく。
「昨日とかも連絡来てて、困るんですよね。正直」
「ま、まあ大森さんなら慣れてるでしょ。これぐらいの扱い」
「慣れてるからって、良いわけではないですよ」
彼女はそう言って笑う。笑いながらにもそこにはきっぱりとした拒絶があった。
きっと今までの俺なら、笑って誤魔化し、うまくなだめることができていただろう。ガス抜きをして、時が過ぎるのを待つように促すこともできた。
だができなかった。心の中どうしようもなくぐちゃぐちゃにされていた。
何故彼女は、はっきりと断らないのだろうか。何故彼女は、こうも笑っていられるのだろうか。何故彼女は……。
「……るなよ」
「え?」
「あ、いや。なんでもない」
俺はそのまま彼女の話を聞いていく。アルコールが入った彼女はどんどん彼とのやりとりを話してくれた。
(”あの人”も、こうやって話していたんだろうか)
それは自意識過剰だったかもしれない。だが話されていたにせよ、そうでないにせよ、どっちにしろ同じだった。
俺は必要とされる人間ではなかったのだから。
「ちょっと石田さん、聞いてます?」
「聞いてるよ。ただ恥ずかしくなっちゃって」
「ですよね~。そういえばこの間も……」
居酒屋でよくある、下世話な話。かつてなら楽しめたそんな話も、俺の頭には入ってこない。
胸にあったのは、行き場を失った怒りと、彼への同情と、どこまでも惨めで情けない自分への憐れみだけだった。
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