第8話 浮かれる彼女に花束を
「石田さん、聞いてください!受けてた企業、今のところ全部上手くいってます!今日も次の選考案内が来ました!」
画面の向こう側で野村遙香が嬉しそうに笑っている。彼女との面談は、気がつけばかなりの頻度で行うようになっていた。そこまで必要なのかは正直微妙だが、彼女としては十分に練習ができるというのもある。
(まあ複数の企業を受けてた場合、スケジュールはタイトになるからな)
練習量は自信になる。自信があるからこそ、良い印象を与える。少なくとも、上手くいっていないときこそ準備は大切だ。だからエントリーシートをみてもらい、都度練習をする習慣は彼女にとっては意味のあることだった。
それに俺の方も早く帰る口実ができる。仕事自体は別に繁忙期でもないため、帰る理由など必要ないといえばない。だが周りより早く帰るには自分への口実も必要なのだ。それに一回一回もさして手間ではなかった。
「なるほど。それは良い傾向だ」
「そうなんですよ!もしかしたら就活、案外早く終わっちゃうかもですよ!」
俺は彼女の話に耳を傾けながら、ほどよいトーンで相槌を打っていく。
本当にこの前までの落ち込み方はなんだったんだろう。日に日に機嫌が良くなっていく彼女は、出会った時の彼女を思い出せないほどだ。
しかし暗いよりは全然良いだろう。どんな面接官だって、明るく前向きな方が欲しいだろうし。
「はいはい。調子にのらない」
「わかってますよ。だから他の面接やエントリーシートも抜かりなく準備してます」
「だとしてもだ。どんなに上手くいっても、落ちるときはあるし、逆に面接の手応えが悪かったのに、受かることもある。まあ、準備は必要条件だが、十分条件じゃないってことだ」
「ん?……なるほど?」
「まあ、準備は忘れるな。だが期待はしすぎるな。結局は相性が決める部分も多い」
そう言う彼女には、俺の言葉もどこ吹く風だ。
だが俺がしたアドバイスはきちんと聞き入れているようでもある。彼女が送ってきたエントリーシートにも、今日の面接練習にも、きちんとその学習の跡が見受けられた。だから別に心配はしていない。
それに、それにだ。就活は実力もそうだが、運や相性の部分もある。それは間違いなく否定できない。
(しかし分かりやすいくらいに機嫌が良いな)
調子の良いやつめ。俺はそんな風に思いながら、自然と笑みを浮かべてしまう。人の機嫌は伝染すると誰かが言っていた。彼女の振る舞いもまた俺に影響を与えているようだ。
「それじゃあ、今日はここまでにしよう。さっさと準備して、明日の説明会には遅れないように早めに行くんだ」
「え~もう終わりですか?」
「前に言ったでしょ?相談や雑談は長くても意味がない。結局は何も前進してないからね」
「……わかってますよ。でも石田さん、もうちょっと話聞いてくれても……」
「はいはい。内定が出たらいくらでも聞いてやるよ」
俺が適当に答えてウェブミーティングを切ろうとする。すると、少しだけきょとんとした彼女の顔が目に入った。
「どうした?」
「あ、いや。何でもないです!絶対ですよ!内定出たら、ごちそうしてもらいますからね!」
「いや、そんなことは言ってな……」
「お疲れ様でした!おやすみなさい!」
「おい、ちょっと」
無情にも画面が暗くなる。俺は軽くため息をつきながらアプリを落とした。
(……確かにそうか)
俺は背もたれに体重を預けながら考える。よくよく考えてみれば、就活が終われば彼女の練習に付き合う必要などないのだ。奢る道理も、話を聞いてやる理由も。それなのに俺は、まるで知り合いと話しているかのように彼女と話していた。
これからもその付き合いが続いていくかのように。
(どうしちまったんだか。まったく)
俺は脇に置いてあったお茶のペットボトルを手に取り、一気に飲み干していく。俺自身もなんだかんだで、この時間を楽しんでしまっているようだった。
「うん。良い感じだ。じゃあここだけ、修正して」
あれから一週間ほど経った頃だった。彼女も忙しくしているのだろう。しばらく連絡は来ていない。
便りがないのが、良い便りということだろう。俺はそう考えることにして、ここ最近は仕事の方に集中していた。
夏は公務員にとって一つの忙しい時期でもある。予算要求があり、部署によっては遅くまで残って仕事をする。予算周りの仕事をしている人間は忙しさのギアが上がり、管理職も基本的には忙しくなる。
そして忙しくなれば職場の雰囲気もどこかピリつきだす。機嫌の悪い管理職をもつ部署は、部下の職員達にまで険悪な雰囲気が流れ出す。機嫌というものはやはり伝播するのだ。
「ありがとうございます」
俺は課長に見てもらっていた説明用の資料を返してもらう。多少文言の修正はあったが、いつになく感触は良かった。そしてその珍しい光景は少なからず周囲の視線も集めていた。
うちの課長はまさに典型の感情型の上司だ。だから皆、変に注意されるように気が張っている。だからこそ伸び伸び仕事をし、さっさと進めている俺が目立つのだろう。はっきりとはしないが、幾つかの視線を感じていた。
(これで一段落。今日は早く終われそうだ)
しかしいつもなら気になるそんな視線も、何故だか最近は気にならなかった。
彼女の練習相手を始めてからだろう。俺は自然と仕事を早く終わらせるようになっていた。いつもなら周りに合わせて多少の残業ぐらいはしていたかもしれないが、どこか吹っ切れたように切り上げている。
今日も特段用事など無かったが、別に周りに合わせて残らなきゃいけないような雰囲気でもない。いや、人によってはそうなのかもしれないが、少なくとも今の俺はそうは思わなかった。
俺は机の整理を始める。すると珍しいやつから声をかけられた。
「石田さん、帰りっすか?」
件の後輩、田辺が俺に向かって尋ねてくる。向こうがどう思っているかは分からないが、同じ担当同士だ。話すことも少ないわけじゃない。
しかし向こうからこんなことを聞かれるのは初めてだった。
「あ、いや資料修正してから帰るけど。ただまあ、どうせ今日はしばらく課長も忙しくて、俺の資料も見れないだろうから、修正版送ったら帰るつもり」
「……そうっすか」
田辺はそれだけ言うと、またパソコンをカタカタと打ち始める。俺は何なのかとも思ったが、別に早く帰ることに嫌みを言っているわけでも無さそうだった。
(まあいいか)
俺もある程度机を整理したら、最後の修正作業にとりかかる。
あたりでは忙しそうに職員が動き回り、課長も忙しそうに次々来る職員の資料を確認している。
見慣れた日常だ。見かけ上は。しかし人の気持ちなんてものは日常の流れとは一致しない。
普段の日常の中で人は悩み、苦しみ、ぐちゃぐちゃな感情を抱えていく。
俺のように。そして、他の人も同様に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます