第5話 平凡な日々に花束を




 カタカタカタカタ。


 一定の速度で鳴り続けるタイプ音を感じながら、俺はモニターとにらめっこを続けている。


 手が動いているときは調子がいい。俺はさらに集中のギアを上げ、一気にタスクを片付けていく。


(15時か。随分と調子が良かったな)


 俺は腕時計をみながらキーボードから手を放す。一応確認は必要だが、頼まれていた資料の作成はもう九割方終わっていた。


(こっちは片付いたが……っと)


 俺は椅子に深く腰掛けながらタンブラーへと手を伸ばす。そこで空になっていることに気付き、給茶機へ向かうべくPCをロックする。そして一度大きく伸びをしてから、重い腰を上げた。


(……しかしなんだってこんなことになったんだろうな)


 俺はそんなことを考えがら、席を立ち歩いて行く。


 無論、仕事のことではない。先日出会い、面接の練習相手になることになった彼女のことである。


 普段なら関わろうともしなかっただろう。就活なんて個人の重要な選択に対して、軽く口出しできるほど俺は優秀でも浅はかでもない。


 給茶機の前には先客がいた。俺は待ちながら今後について考える。


(まあ、頼る相手がいないっていうのもあるのか。それとも彼女には俺がまともな社会人に見えたのか。まあ若い頃は社会人がみんな大人に見えたがな)


 だが実際に会社に入ってみればその『社会人』の幻想に打ち砕かれることになる。別に学校だって社会だ。働き始めたらといって、その性質がいきなり変わるわけじゃない。いじめや嫌がらせ、贔屓に理不尽は当たり前に存在する。


(まあいずれにせよ深入りしないに越したことはない。上手くいけばいいが、そうじゃない場合は目も当てられない。彼女に対して、変な責任は負いたくない)


 それは実に消極的、とても公務員らしいアンサーだった。俺がそう客観視する頃には、給茶機が空いていた。


「はてさて、どうしたものかねえ」


 俺は小さく呟く。すると不意に後ろから声がした。


「何がですか?」

「うわっ」


 俺は分かりやすく動揺しながら、後ろを振り返る。


「『うわっ』てなんですか。変な驚き方しないでくださいよ」


 俺は「悪い悪い」と言って、タンブラーの蓋を閉める。そして彼女に場所を譲り、脇に立った。


「ごめん。ちょっと考え事しててね」

「なんか珍しいですね。石田さん、悩み事少なそうなのに」

「……どういう意味だよ、大森さん」


 俺がそう言うと、彼女はからかうように笑った。


 彼女は大森。下の名前は……マミだったか、マナだったか。同じ部署の後輩で仕事でも何度か関わったことのある女性だ。短めのボブカットに明るい雰囲気、そして人なつっこいその性格から部署でも人気がある職員だ。


「だって仕事好きそうじゃないですか。それに仕事もできるし。本当公務員が天職みたいに働いていますし」

「それ褒めてないだろ」

「何言ってるんですか。すごく褒めてますよ?」

「……語尾が疑問形じゃねえか」


 俺がそう言うと彼女は楽しそうに笑う。そういえば彼女と話すのも久しぶりな気がする。


(ここ最近はなるべく職場で人と関わらなかったからな)


 あの一件、いや一件というのもなにかおこがましいが、いつぞやの指輪を見てからは職場での時間を極力減らそうとしていたのだ。無理もない。


「なんか今日石田さん機嫌良いですね。何か良いことありましたか?」

「何も。ただ今日は誰も問題を起こしてない。ただそれだけさ」


 俺は肩をすくめながら答える。そして視線を件の上司と後輩に送った。


「あ~なるほど。そういう感じですか」


 彼女は苦笑いしながら相槌をうつ。しかしそれはただの同調というよりどこか思い当たる節があるような様子だ。もしかしたら俺の知らないところで、彼女もまた被害に遭っているのかもしれない。


(担当が違うとはいえ、大きなくくりでは同じ部内にいる。仕事で関わることもあるだろう)


 組織は狭い。距離を取ろうとしても難しいことがある。だからこそ噂はすぐに広がる。少し前、あの人に言い寄っていた俺も、どこかでは噂になっているかもしれない。


 だが、噂には良い側面もある。問題のあるヤツを先んじて遠ざけることができることだ。誰だって問題児からはなるべく離れようとする。それは学生の頃からも変わっていない。学校が社会の縮図であるというのは、さほど間違っていないのだ。


(学チカに自己PR。何の意味があるのかとも思うが、学校時代のその人の立ち位置を見れば、入社後の働き方もそれなりには見えてくる……か)


 成る程。日本の就活システムもそこまで無駄ではない。少なくとも、日本的組織においてはだが。俺はそんな風に考えた。


(おっと、長居しすぎたな)


 サボっていると思われても癪だ。俺はその場を離れるべく歩き出す。


「そういえば石田さん」


 彼女がお茶を入れながら呼び止める。


 まあそれぐらいは待っても良いだろう。どうせ仕事もほとんど片付いている。俺は彼女の話を聞きつづけた。


「最近あんまり飲み会に来ないですね?何かあったんですか?」

「ん?いや、特にないけど……。タイミングの問題かな」

「そうですか……」


 ありがちな世間話。しかしどことなく何か言いたげな雰囲気を彼女は醸している。


 俺に会いたい……という感じではない。ともすれば何か問題だろうか?聞いてあげるのもやぶさかではないが、どうも俺にはそのモチベーションはなかった。


(とりあえずは……一旦保留で。積極的に関わるのはよしておくか)


 俺は「じゃあお疲れ」とだけ言ってその場を後にする。時刻は15時10分。この分だと仕事は定時で上がれそうだ。


 とりあえず就活について少し調べてみるか。何ができるわけではないが、特にすることがあるわけでもない。ならばできる範囲で力を貸しても良いだろう。


 俺はそんなことを考えつつ、席へと戻っていった。



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