第4話 前を向く貴方に花束を



 一階のエントランス。そこには来庁者が来たときに待つことができるよう座る場所がある。


 すでに定時を回っていることもあり、訪れる人も減っている。俺は大した労力も無しに、すぐに彼女をみつけることができた。


「ごめん。少し遅くなった。……わざわざ遠かったでしょ?ありがとね」

「いえ、たまたま近くまで来たので……」


 彼女は少しだけ緊張した様子で、頭を下げる。そしてすぐに鞄の中から封筒を取り出した。


「あの、これ。お借りしていた交通費です」


 俺は「ありがとう」とだけ言って彼女が差し出した封筒を受け取る。


 無地の封筒が可愛らしいシールで封じられている。俺はポケットにしまうのも何だと思い、とりあえず手に持っていた。


「どう?少しは落ち着いた?」


 俺はとりあえず話を振ってみる。特に意図は無いが、なんとなく「ハイ、さようなら」というわけにもいかないと感じていた。


「そうですね……まあ、なんとか頑張ってます」


 彼女はそんな感じで苦笑いをする。まあ、ついこの間の話だ。状況が好転しているとは思わない。ただ、少なくとも前回合ったときよりは余裕が出てきているようではあった。


「あのっ……」

「ん?」


 「じゃあこれで」。俺がそう言って立ち去ろうとするとき、彼女が何か言いたそうに口ごもる。そして少し間隔をあけて、話し出した。


「この前は、ありがとうございました」

「え?」

「家族にでも相談してみろって。私あの後、お母さんに電話して、それで話聞いてもらって、少しだけ楽になりました」

「そう。よかったね」


 俺は素直にそう思った。何であれ一人で抱え込むとろくなことがない。


(本当に良かった……いいお母さんで)


 俺はそうも思った。


 人によっては、こんな時ですら頼れる相手がいない場合もある。不仲なのか、そもそも存在しないのか。肉親を頼れることはそれ自体が幸福であるという見方もあるのだ。


(流石にこれは、ひねくれすぎか。それなら俺だって恵まれている)


 俺は脳内で少しだけ反省する。まだあの一件を引きずっているのかもしれない。今更詮無きことだというのに。


 そんなことを考えていると、彼女が口を開く。


「あの、石田さんは、就活の時どうしてましたか?」

「ん?そうだね……」


 聞く相手として正しいのだろうか。俺はそんなことを思いつつも、少しだけ考える。


 民間就活もある程度やったが、結局なったのは公務員だ。淡々と勉強して、それっぽい面接対策をして、それで終わり。はたしてこれが彼女の助言者として的確だろうか。少なくとも俺は自信を持ってイエスとは言えない。


「ごめんね。民間就活もやったけど、結局公務員になったから、話半分で聞いて欲しいんだけど…」


 俺はそう言って彼女に話し始める。


「やっぱり面接の練習は何度もやったかな」

「何度も……ですか」

「そう、何度も」


 俺は続ける。


「エントリーシートとかもそうだけど、できるだけ何度も人に見てもらった。社会人の人にね。俺の場合は部活の先輩が多かったけど」

「そう……ですか」

「ただ逆に相談とかはあんまりしすぎない方がいいかもしれない。心は落ち着くかもしれないけど、物事が前進はしないからね。あくまで、練習相手」


 受験勉強で先生によく相談に行っているクラスメイトがいたことを思い出す。一件真面目に見えるが、その実不安を誤魔化しているだけで勉強が進んでいるわけではない。必要以上の相談は、ただの誤魔化しと時間の浪費でもあるのだ。


(彼女の場合、そこにつけいられる可能性もあるからな)


 精神が不安定なときは、判断力も鈍る。変な副業とか新興宗教とか、下心のある男とか。そんなものに引っかからないように釘は刺しておきたい。俺はそんな風にも思った。


「とにかく、自分の考えを整理して、何度も話す練習をするんだ。いちいち頭で考える必要が無いくらいに、何度も何度も。そうすれば多少テンパっても、言葉が出てくる。逆に頭がよくても、練習していなければ上手く話せないもんさ」


 実際に上司への説明が下手なヤツは事前に説明のシミュレーションをしていないことが多い。頭が良いと思われるヤツは頭そのものがいいというより、こうした準備をきちんと怠らないと言った方が正しいくらいだ。


 彼女は俺の言葉に、少し考えている様子だった。まあ他に色々言うことがあるかもしれないが、とりあえず一番言いたいことは伝えた。それで十分だろう。


(ま、後は彼女の人生だろ)


 俺はそんな風に考えて、別れの挨拶をしようとする。すると彼女の言葉がそれを遮った。


「あのっ……」


 俺は彼女の様子に少しだけ驚いたが、そのまま話を聞き続ける。


 彼女は少しだけ黙っていたが、何か意を決したように話し始めた。


「あのっ、私の面接……見てもらえませんか!」

「え?」


 俺はちょっとだけ間の抜けた返事をする。しかし彼女の様子はいたって真剣だった。


「勿論お礼はします!でも私、頼れる人あんまりいなくて……。親は自営業だし、キャリアセンターの人もあんまり熱心じゃないし……。それに先輩はほとんど私の志望業界受けてないので」

「えっと……」

「お願いします。一回でいいので!……あんまり、頼る相手がいないんです」


 彼女はそう言って頭を下げる。まいったな。俺もまったくの他人に就活の指導することになるとは思いもしない。


(しかしいくらなんでも危険だろ。二回しか会ったことない男に指導を頼むのわ。危険じゃなかったとしても、そもそも頼るって選択肢もおかしいだろ)


 俺はそんな風に考えたが、彼女はまっすぐこちらを見ていた。どうも決意は固いらしい。まあこんな提案して、やっぱりやめますと引くのも難しいと思うが。


(ああ、もうしょうがないな)


 俺は少し雑に頭をかく。まあweb面接ぐらいなら見れるだろう。


「……わかった。ただし仕事用のメールアドレスは使えない。この前もらったメールアドレスに俺の個人アドレスからメール送るから、それでいいか?」

「っ……!?はい!ありがとうございます!」


 何の因果かは分からない。


 しかしこの夏は少しだけいつもとは違うことが起きていた。




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